南高尾ー城山ー高尾ビアマウント トレイルラン編集する

職場のランニングサークルの監督が企画したトレイルラン+高尾山ビアマウントのセット。沢山のかたが参加しました。高尾山口から~高尾山(6号路)~高尾山山頂(5号路)~(4号路)~ケーブルカー乗り場(ビアマウント)をハイキングするチームに6名、高尾山口~草戸山~大洞山~大垂水峠~高尾山~ケーブルカー乗り場(ビアマウント)をハイキングするチームに8名。そして、高尾山口~草戸山~大洞山~大垂水峠~城山~高尾山~ケーブルカー乗り場(ビアマウント)までのトレイルランのチームに6名、がそれぞれ参加した。私は最後のトレイルランのチームに参加。

一人でJR高尾駅から集合地点の高尾山口駅まで約2Kmを走っているころは雨はちらちら。ところが、集合して出発するころにはしっかりとした雨脚。そもそも、この企画は暑い夏を高地のビアガーデンで涼しく過ごそう、と言うのが発端。ところが高地に行かなくとも十分に涼しい日が2,3日続いていた。まあ、それでもしっかりと決断してそれぞれのチームに分かれて躊躇なく雨の中を出発。

私のチームは走り始めてすぐに急登になった。高尾山のハイキングルートはこんな筈ではないと思いながらも30分くらいでようやく尾根にたどり着く。この時点で汗と雨で衣類はびっしょり。ずっと樹林帯の中なので細かい雨ならば雨の影響はほとんどない筈だが今日の雨はしずくがどんどん落ちてくるくらいの強さ。登るときには傘をさしていた。雨の中は風が吹いている稜線以外は傘が一番でいつも使っている。

草戸山から大洞山を過ぎて大垂水峠に到着。ここまでは6~7人のトレイルランのグループ以外に数人のハイカーに会っただけ。さすがの高尾も雨の日は少ないのかあるいはこのコースはそもそも人が少ないのか。後者かも知れない。ハイキングチームは大垂水峠から直接高尾山を目指すが我々は城山を経由して高尾山を目指した。大垂水峠は自転車で何回となく通過した峠だがこうして登山ルートを通るのは初めて。甲州街道をまたぐように陸橋があることが分かった。登山者としてこの大垂水峠を見るとまた新鮮だ。雨の中を数人の自転車乗りが走っていた。雨中の自転車は危険なので注意してほしい。(二週間前には日光で土砂降りの中を走ったのを思い出した)

大垂水から城山まではこれまた急登だった。雨と汗でズボンまでびっしょり。城山に到着すると立派な茶店があった。登山者もそれなりに雨宿りしていた。こんな雨の中をお疲れ様と言いたいが自分たちも仲間なわけだ。予定したよりもだいぶ早いので大休止。この間も雨は止まず。

城山から高尾山までは下り基調。高尾山に近づくとさすがに観光客が多い。予定したよりも早くケーブル駅に到着。着替えをしてビアマウントに備えた。

ビアマウントは二時間制の飲み放題、食べ放題。2:00の回を目指していたが雨の中、行列を作ってたくさんの人たちが待っていた。さすがに世界の高尾山。こんな雨のなかでも登山者、観光客が多いい。

ビアマウントは初めてだ。天気が良い夜は遠く新宿の灯りが見えると聞いていたが確かめようがない。着替えて待っている間は肌寒く感じるほど。ケーブル駅の温度計を見ると19度。ビアマウントの建物の中に入るとほっとした。幸いにも建物内の席を確保できた。

3300円を払って入場。ビールジョッキと皿を受け取っていざ。都会の居酒屋がそのまま高尾山に移ったような感じ。セルフサービスながら多種多様なビール、ワイン、日本酒、サワー類、ソフトドリンク。そして多種類の食べ物が並んでいる。これをバイキング式に食べる訳だ。15Km以上のトレイルを走ったあとは何でもおいしく食べられる。走って消費したカロリー以上に多くのカロリーを摂取したのでは、と思えるくらいにいろいろな物を食べて満足。参加者全員で楽しく過ごせました。

二時間の飲食の後はケーブルカーで下山。解散となった次第。

雨の中、いつもよりも疲れた。私が快適と思えるペースで走っていると取り残されてしまうので一人で走るよりも早いペースで走ったせいかも。これで進歩があるはずです。毎度ながらいろいろな企画をしていただく監督に感謝。

自社製品を使ってみました

我が社は医療器機を親会社から輸入して販売している。愛社精神があると言ってもその製品の性格上できることならば使わずに生活したいとおもっている。そして、幸いにもこれまでは使わずに済んでいる。

そんな我が社の製品の一つを試せる機会が今日あった。社内で定期的に行われている自社製品の説明会で取り上げられたのは糖尿病治療の機器。通常はスライドだけのプレゼンテーションだが今回は製品を実際に試した次第。

糖尿病の患者は通常毎日3,4回もインシュリンを自ら注射する必要がある。I型糖尿病と呼ばれる患者は子供も多い。こうした子供も同様に自ら注射する。

こうした毎日の注射から開放される機器が我が社のインシュリンポンプだ。携帯電話とほぼ同じ大きさの機械をベルトに付け、その中にインシュリンを入れておき微量を腹部にさした針を通して持続的に供給する。一旦針を刺すと3,4日はそのままにでき入浴もできる。

その機器をセットし実際に針を腹部に刺してみた。針は腹部に約6mm入る。刺す時に思い切りが必要になるが簡易な装置があり簡単に安全に刺せるようになっている。

実際に差してみるとあっという間にできた。痛みはほとんど感じられない。注射をする時ほどの痛みもなかった。

この機器を装着したまま普通に運動もできるらしい。これで毎日繰り返す注射から開放されるのは患者にとって大変な進歩になることと思う。同様の製品は他に無いとのこと。より多くの患者にこの朗報を知って欲しいものだ。

セヴァンの地球のなおし方

1992年の第一回地球サミットで当時12歳の少女が行った大人への挑戦状といった感じの訴え。その鋭い問いかけに誰もが反論できなかったと思う。私も遅ればせながら今になってこれを聞いて衝撃をうけた。

http://youtu.be/XjlUyVnDGIA

If you do not know how to fix it, please stop breaking it(なおし方を知らないならば壊さないで)

我々は便利さを求めてつぎから次へと色々な物を作り出してきた。その代償として自然を破壊し、新たな化学物質を垂れ流してきた。その究極が原子力。制御出来ない原子力発電所の事故で地域を、家族を、自然を破壊してしまった。

こうした現状を12歳の少女が19年も前に警鐘を鳴らし変化を促した訳だ。

この少女をテーマにした映画「セヴァンの地球のなおし方」。 Trail Walkerな方から紹介されて見てきた。場所は渋谷のUplink。この小さな映画館では自転車物を見たことがある。

映画は彼女の故郷であるカナダの漁村で環境汚染のため漁獲量がどんどん減少して行く様を紹介。フランスの農民は農薬が原因でガンになり入院したらその治療薬のメーカーと農薬のメーカーとが同じだった言う笑えない矛盾を紹介していた。その後は日本、フランスなどで行われている環境保護の為のいろいろな対策を写していた。福岡県で合鴨農法を実践して無農薬で多くの収穫を得ている農家も紹介されていた。

それぞれのエピソードに登場する当事者の一言一言がずしりと重い。

その彼女も現在は30歳を過ぎて一児の母親になった。20年前に訴えかけた大人の仲間に入り、今となっては自分がその訴えに応える責任を持つ立場になっている。彼女がこれまでに何をしてきたのか。映画の中では紹介がなかったのがすこし不満だった。あとから調べてみると彼女は立派な環境活動家として父とともに各地で活動しているようだ。日本にも来ている。すこしほっとした。

彼女のスピーチは環境汚染がなかった古代文明の生活の戻れと言っているわけではないと思う。こうした環境汚染の防止と文明の進化とは共存できないものか。人類の成長と言う意味で文明の進化は善であると思う。しかし、その代償として環境汚染を受け入れることはできないでしょう。

環境汚染を防ぎながら文明を進化させ、より豊かな生活をできる方法を見つけていく必要がある。そういう知恵を人類は持っていると信じたい。身の回りの無駄の排除。ここがスタートポイントでしょう。

宮沢湖トレイルラン

今週末は、明日の夕方に中学校時代のなかよしグループで食事をする以外の予定は何にもなかった。

で、練習コースとして教えてもらった宮沢湖周辺のトレイルルートを走った。台風が過ぎ去ったあとに優勢になった北からの高気圧のせいか何とも涼しい。5月のような天気で走るには快適。

ここは緑が豊富だ。近辺では4000年以上前の縄文遺跡も発掘されているらしい。釣り人も多く来る。

そんな宮沢湖をぐるっと大きく回るコースはず~っと林の中で木陰のしたを走るようになる。まだ朝の散歩をする地元に方々以外にだれもいない湖畔で身支度をしてからまず一周。気温が高くないので楽に走れた。最後の急坂もゆっくりと走って登れた。でも汗びっしょり。

二周目も同じ。地元の高校陸上部と思える男子生徒数人がさっそうと走っていた。さすがです。フォームが美しい。時折ハイカーとすれ違う。最後に湖の堰堤に下りてくると何とも風がさわやかで疲れがいっきに癒される。釣り人が十人くらい並んで釣り糸を垂れている。いつも思うが特別なマークがされていないのにこういう場合に皆さん等間隔に並んでいる。バス停で並ぶ人たちも同じだ。自然と等間隔に並んでいる。

一休みしてから三週目。途中でセルフ写真を撮る練習。新しいデジカメには連写機能があるので試してみた。なるほど、走っているときの姿が連続で撮れるわけだ。走行フォームのチェックに役立つかもしれない。掲載すればだれかフォームをチェックしてくれるかな。

三周走ってもまだ11:00。このまま帰るには天気が良すぎる。と言うことでこんどは平たんな湖畔沿いのルートを一周。全部で20Kmくらい。

そして、近くにある宮沢湖温泉「喜楽里」。ここは他の温泉よりもちょっとだけ高級感があり好きだ。洗い場も個別の仕切りがあり個室感覚。露天風呂もいろいろな種類がある。好きなのが「寝ころび湯」。岩盤浴みたいなところに温泉の湯がちょろちょろ流れている。

バイキングで食事をしてからお昼寝。走ってストレス発散。昼寝でリラックスできた。ツイートしたように「いい休日」でした。

日光いろは坂から戦場ヶ原、川俣湖、鬼怒川温泉を自転車で走った

4040のHさんが企画してくれた。これまで日光近辺で何回が走ったが「いろは坂」はまだ上ったことがなかったので楽しみにして参加。途中で土砂降りに会ったがもう一度走ってみたいコースだった。

先行ののんびりグループは東武日光駅に集合して一時間ほどまえに出発。私は新宿から日光1号で後を追って三人のグループで一時間遅れで出発。

薄曇りだがやはり暑い。駅をでるとすぐに登りになる。近くのコンビニに立ち寄るまでにすでに汗びっしょり。観光地の街並みを抜けて馬返しからいよいよ本格的な登り。休日とあって観光客の車が多い。スーパーカーが数台爆音をとどろかせて走り去って行った。いろは坂はさぼど急ではなく7%位がつづく。途中から一方通行になるので車はあまり気にならない。途中の駐車場で休憩。1時間半ほどで中禅寺湖に到着。なんとも風がひんやりしてすがすがしい。夏はこれですな。

中禅寺湖畔をしばらく走って戦場ヶ原に向かった。この途中で先行グループに追いついて集団走行。昼食を食べる予定の赤沼茶店に着いたとたんに雨が降り始めた。タイミングがよかったと喜んでいた。ところが、、、、

昼食を食べている間も降り続いた。かなり強い雨。ちょっと不安になった。それでも食事が終わったころには雨脚が弱まった。チャンスと言うことで光徳牧場を目指した。

ところが、この途中でまたもや豪雨。雷鳴。林の中を走っていても雨が強く落ちてきてびっしょり。雨水が川のように路面を流れている。何と言うことか、息がつまるような雨脚の時もある。

光徳牧場にはすぐに到着。這う這うの体でここの茶店に入って雨をしのいだ。課外学習と思える小学生の団体もいた。引率の先生も当惑しているようす。

濡れたジャージは速乾性が高いので濡れていてもそれほど不快感はないがそれでも靴は濡れて不快だ。ここで温かいコーヒーで少しだけ体を温めた。そうこうしているうちに雨が上がった。青空も見られた。一時は引き返すことも頭をよぎったが躊躇なく予定通りに前に進むことにした。

今日最後の登り。山王峠までは数Km。ところがこの途中でまた雨が降ってきた。雷鳴も遠くに聞こえる。雷鳴が聞こえる間は雨だね、と言う声が聞こえた。山王峠の木の下で雨宿り。標高が1700mだが意外と寒くなくて助かった。

また、雨が止んできたので出発。これから先は50Km以上も続くダウンヒルだ。1000m以上の標高差をどんどん下るわけだ。車もほとんど来なく快適。

雨も上がってどんどん走った。川俣湖。静かだ。吊り橋がはるか下に見えるがだれが使うのだろう。観光目的か。時々ぱらぱらと雨がふってくるが気にならない。行け行けどんどんと言う感じだ。

この辺は何とも静かでいいとろこだ。下り基調で楽々と走れるところがいい。登りはなし。川俣湖をすぎると瀬戸合渓とよばれる景観のよいところを通過。雨上がりの峡谷にガスがかかってきれいですな。

どんどん下ると川治温泉。龍王峡を過ぎて新藤原に到着。鬼怒川公園駅まで足を延ばしてここできれいな身障者用のトイレで体を拭いて着替え。このころには濡れた衣類もほとんど乾いていたが着替えると気持ちがいい。

東武線区間快速で帰途についた。区間快速と言っても途中までは各駅停車。時間がかかった。日光は遠い。

このコースはなかなか良い。気に入った。山王峠からの長い長い下りが特に良い。秋の紅葉のころにまた走ってみたいものだ。

夏祭り準備とお盆送りのことなど気慰めに。。。

暑い日が続く。

朝から公会堂に集まって夏祭りの案内送付の準備。100軒以上の家に8月7日の夏祭りの案内状を送る必要がある。なにしろこれで「花」をもらえるわけなので大事な仕事。集まった自治会役員で手分けして案内状を折りたたんで封筒にいれてあて名書き。クーラーのない旧式の公会堂では扇風機の風だけが頼り。ところで紙を扱っているとこの風が敵になる。飛ばされてしまう。

苦労して作業を終えたらこんどはこれを分担して配布する必要がある。郵送しないで手作業で配るわけだ。狭い市内に住んでいるので歩いてポスティング。でも今日はしなかった。昼近くなってあまりにも暑すぎる。明日の朝、手分けして配る。

午後は実家に行ってお盆送り。今日でお盆の期間が終わるので家に来ていた先祖の魂を墓に送り届けるわけだ。魂を背に背負った気になって墓地に。

クーラーを使わない生活が続いている。扇風機の風で何とかしのいでいる。そういえば先日妻の実家で物置を整理していたら妻の小学生のころの夏休みの日記がでてきたとか。それを見ると気温が30度を超えた日は数日だけだったと言っていた。50年以上も前の夏休み。三丁目の夕陽が見えてきた。

カラーバス効果

最近読んだ本の中で気になった言葉。カラーバスと言う言葉がある。Color Bath。つまり、色を浴びる、と言うことらしい。

特定の色、例えば黄色、を思い浮かべてその日一日をすごしてみる。するとそれまで気が付かなかった黄色いものが次々と目に入ってくる。つまり、黄色と言う色で網をはってすごすことで黄色のものが網にかかる、と言うこと。こうして特定の何かを思い浮かべて生活するとそれまで気が付かなかったその「もの」がビシビシ入ってくる。こうした効果を「カラーバス効果」と呼ぶ。

そうですな、何かに興味を持って生活しているとその興味の対象についていろいろと情報が知らず知らずに入ってくる、と言うことを経験している。どこかに旅行をして帰ってくるとその土地についての新聞記事がやけに目につく。その土地についての記事がそれまでにそんなに多くあったことには気が付いていなかったが一旦その土地に興味を持つと確かにその土地の情報が入ってくる。

これが「カラーバス効果」なんでしょう。

毎日、何らかのテーマを持って生活すること。これが大事なんでしょうね。

そう言えば、何かの不祥事が報道されて世間で騒がれるとそれと同じ不祥事がいろいろのところでも発生していると報道される。これは「カラーバス効果」とは少し異なるでしょう。それまでも起こっていたことでも新聞記事にならなかったのがたまたまその不祥事が話題になったのであえて記事にしたということでしょう。

富士山五合目までランニングで

先週は自転車でスバルライン経由で五合目まで自転車で登った富士山。アッという間に一週間が経過して今日はランニングで五合目まで登った。

まりおクラブの四人が参加して富士吉田から五合目佐藤小屋までのルートを使った。途中の「中の茶屋」で待ち合わせと聞いていたので富士吉田(富士山)駅から走り始めた。

駅をでるといきなり4-5%の登りが始まる。先週と同じルートだ。富士みちのかかる金鳥居は俗世間と富士山信仰の世界とを仕切る境界線とか。この向こうに富士山が見えた。一部に雪が残っている。

待ち合わせの時間まで十分あるので途中の浅間神社で参拝。二礼二拍一礼です。早朝の神社は凛としておごそか。杉の大木にかこまれた神社はさすがに神々しい。関係者が朝の掃除とか忙しそうに働いている。お勤めご苦労様です。

浅間神社を後にして走っているとAさんが軽い足取りで追い越して行った。山頂まで行くんでしょう。元気ですな。。。こちらはよたよたと先週自転車で登ったまっすぐな舗装路を黙々と走った。4%位の傾斜がずっと続いていく。

7Km位で待ち合わせ場所に到着。一時間近く早く着いてしまった。そうこうしているうちに参加者のHさんが登場。ここで待っているあいだに次から次へとランナーがやってくる。皆22日に行われる富士登山競争に参加する人たちでしょう。皆さん若い。元気はつらつです。大した食料をもたないでさっそうと走り去っていきます。

Hさんと話していたら今日は一旦車で富士吉田まで下ってそこからスタートするとか。何しろ本番は富士吉田の市役所がスタートになる。何とまあ、私も一緒に下って登り返すことも一瞬だけ考えたが改めて登りかえすのもかなり辛そうなのでやめた。結局、一足先に私だけ五合目を目指すことにした。

中の茶屋までは何とか走れた。ところがここからはだんだんと斜度が大きくなり歩く場面も増えてきた。情けないですな。馬返しを過ぎると山道になり走って登れる斜度ではなくなった。ほとんど歩き。。。。。

大汗をかきながら息を切らして登っていくとようやく一合目。やれやれ。かつては登山者で賑わった茶屋も今は荒れ放題。二合目、三合目、四合目と茶屋があったようだがどこも同じ。かろうじて祠が補修されて残っている。

4合目くらいまで登ると空気が冷たくなる。そしてようやく佐藤小屋に到着。水がなくなったのでペットボトルを買った。300円。小屋の番人と昔話をしばし。汗でびっしょりの衣類が冷たくなって寒くなってきた。後続の3人をしばらく待ったが何しろ一時間くらいのハンディがあるのでさすがに若く元気がある3人でもすぐには追いつかないと思って下山を始めた。

ほどなくしてHさんと遭遇。そしてMさん、今日初めてお会いしたEさんと遭遇。その後は一人でひたすら駆け下りた。やっぱり下りは早い。中の茶屋から先の舗装路もひたすら走って富士吉田に到着。きれいな公園のトイレで着替えて富士急線で帰途に就いた。

富士山駅から往復30Km。お疲れ様でした。

ちなみに富士登山競争の最速記録は富士吉田市役所から五合目までが1時間20分くらい、山頂までが2時間40分くらい。すごいですね。制限時間は五合目コースは3時間半。山頂コースは5時間。私の場合中の茶屋でだいぶ休憩したのでその時間を除いて2時間30分くらい。後半はほとんど歩き。本番になるともう少し早くなるかも。

帰宅してから庭の草退治。夏は成長が早いので大変だ。夜は自治会の全体集会で夏祭りの打ち合わせ。明日はゆっくりと映画でも見るつもり。

富士山五合目まで自転車で

富士山には登山をしているころに何回も登っていた。30年以上も前のことだ。ここは毎年秋になると他の山に先駆けて雪が降り積雪状態になるのが早い。冬の積雪期の登山が始まる前にここで雪上トレーニングをするのが慣わしだった。五合目の佐藤小屋近くにテントを張って7,8合目近辺でアイゼンを履いての歩行訓練から始まって滑落時の滑落停止、突風に備えての耐風姿勢、などなどの訓練をし最後の日は山頂まで昇った次第。極寒の山頂で簡易テントにくるまって一夜を明かしたこともある。ある年の春に行ったときには、突然の嵐で大きな雪崩が発生し大量遭難に立ち会ったこともある。

いろいろな思い出がある富士山の五合目まで自転車で登ってみた。同行者はO氏とB氏。いずれも私よりもずっと健脚。

集合場所の富士山駅。かつての富士吉田駅が7月から改名された。この三人でのツアーは何回かあるので阿吽の呼吸で集まって阿吽の呼吸で走り始めた。

駅をでるといきなり軽い登りが始まる。駅前からは富士登山競争のルートを途中まで走った。涼しい木立の中のまっすぐな登り坂が続く。じわじわとくるあまり気持ちがいい坂ではない。5Kmくらい走ってからスバルラインに入った。料金所で200円を払っていよいよ富士山の登りが始まった。車の量は少ない。ときどきバスとマイカーが通りすぎるだけ。安心して走れる。

淡々とした5~8%の登り。下の景色は見えない。周りの木々が見えるだけ。ほとんど同じ斜度の坂が続く。それも延々と続くような感じ。何しろ料金所から五合目まで25Kmある。いつも登っている峠道はせいぜい10Kmくらいなので25Kmはずいぶんと長く感じる。かなり登ったと思っていると二合目の標識。やれやれ。

このコースを富士ヒルクライムレースの優勝者は一時間以内で走るそうだ。つまり平均時速が20Km以上だ。そこを10Kmくらいで走った。息がみだれないように静かに走るとこの程度だ。トップ選手とは大違いだがこんなものだ。

長い。お尻も痛くなるし景色は見えないし足を休めるような平地はないし、つらいコースだ。五合目にあと2Kmのところからほぼ平地になる。やれやれと思って少しスピードを上げた。そして最後にまた坂が登場。

なんだかんだで約二時間かかって五合目に到着。思っていたよりも時間がかかるものだ。

五合目は登山者や観光客でにぎわっていた。周辺の建物も大きくて立派だ。30年前の面影はない。外人のグループも多い。

記念撮影をして下山開始。

これがまた長い。延々と25Km。ブレーキを軽くかけるだけですむくらいの斜度でカーブも大きいのでハンドルを握っているだけ。40~50Km/hくらいで走っていると睡魔が襲ってくる。こんなときに居眠りでもしたら大事故になる。歌を口ずさんで眠気を覚ました。

二時間かけて登ったところも40分ほどで富士吉田の街に到着。昼食をとってから次は139号をまっしぐらに下った。ここもほぼ下り一辺倒。

都留市をぬけて大月の手前で35号に入って雛鶴峠をめざす。ここは数Kmの登りの後、20Kmくらいの田舎道のダウンヒルがあるので好きなルートだ。車も非常に少ないしマイペースで飛ばした。爽快ですな。

相模湖駅までいっきに下った。ここで解散。長いブランクがあったO氏はここから電車で帰宅。私のペースに合わせて一日中走ってくれた健脚のB氏はあっという間に見えなくなった。私は一人になって相変わらずマイペースで大垂水峠を越えて甲州街道を八王子経由で帰宅。

最後はエネルギー不足になって家にたどり着いた。ハンガーノック状態。そう言えば今日は固形物をあまり採ってなかった。水分は何リットルも摂取したが固形物はいつもよりも少なかった。やはりしっかりと食べる必要がある。反省している。

同行してくれたお二人に感謝する次第。さて、来週は富士登山競争の山道のコースをランニングで五合目までの予定だ。これも楽しみだ。