それでも僕は歩かなかったー勝田全国マラソン

初めてのフルマラソン。結論から言うと完走。時間は4時間9分。完走が目標だったのでしっかりとしか目標タイムはなかったがキロ6分を維持してどこまで走れるかをしりたかった。ということで結果的には6分よりも少しだけ良いタイムだった。でも走り終わった今は足の筋肉痛でボロボロ。帰宅途中の今はやっと歩いている状態。

早朝まだ真っ暗な6時に家をでて上野駅から常磐線で勝田まで。その昔、某H製作所で働いていた頃はこの勝田にある工場にも知り合いがいたものだ。この辺はH製作所の企業城下町だ。そう言えばこの大会もH製作所が大きなスポンサーだ。Inspire the Nextですね、スタート2時間前の9時に会場に到着。駅から10分くらい。快晴だが寒い。既に会場のスピーカーからはいろいろなアナウンスが流れテントも準備万端。華やかなウキウキした雰囲気に包まれている。今年の参加者は19800人になったと誇らしげに伝えていた。

預ける荷物を入れる大きなビニール袋を100円で購入。ゼッケン番号を書いてここに荷物を入れて預けるわけだ。なるほど。スタート1時間前におにぎりとエネルギージェルをで補給。これは監督からのアドバイス。朝食が早かったので丁度よい。

そしてスタート地点に移動。控えめに後ろのほうに並んだ。商店街の中にいるせいか風もなく冬の陽光が暖かくけだるくなる。11時にスタート。しかしスタートラインまで5分かかった。

6分のペース、と自分に言い聞かせながら走り始めた。でもなんとなく5分40秒前後になってしまう。これで特別の負荷がかかる訳でもないのでこのペースで走った。こんな感じでハーフの地点で2時間6分くらい。それなりのアップダウンがあるルートなのでまずまずの調子。

25キロをすぎた頃からいつも以上の疲労を感じ始めた。特に左足の大腿筋に痛みを感じ始めた。頻繁にある補給所では少しづつ口に入れるようにした。ただ、呼吸が苦しくなることはなかった。いつも通りに黙々と坦々と走り続けた。周囲の景色、沿道で応援してくれる人達、前を走る素敵な後ろ姿のお嬢さん、を見たり。後は思い出したように自分のランニングフォームを見直したり。

そして33K地点を越えた。ここからは自身の未体験領域。誰もがこの辺が壁だと言う。今回はこれを体験したかったのだ。確かに壁だった。大腿筋の痛みは両方の足にでてきた。6分を少し超えるスピードに落ちてきた。腕を振って前傾姿勢、を思い出して試みるがあまり効果なし。スピードがでない。6分前後を維持。ただ、相変わらず呼吸は安定しているが足が動かない。かなりのランナーがこの辺になると歩いている。歩きたい衝動にかられる。歩く理由はトラック一杯分もある。でも僕はあるかなかった。(この辺は村上春樹のパクリ)

あと2キロ位の地点を走っている頃に交通規制が解除された。ランナーは歩道に上がったがここは大きな通りで自転車専用のスペースがあるのでここを走ると気にならなかった。あと2キロ。足が中々前に進まない。この辺になると応援する人達もお疲れなのか数も少ない。そしていよいよ会場までの通りにはいった。ああ、もう少しでこの状態から開放されると言う安堵感と走り通せたと言う満足感がいっぱい。そしてゴ~~~~ル。長かった。

疲れた。筋肉痛のために荷物を引き取ってから帰り支度に随分と時間がかかった。明日の駅の階段が心配。

初めてのフルマラソン。もっと練習しないと楽しく走れないことがよく分かった。次のかすみがうらマラソンまではもう少し練習してもっと楽しく走れるようになりたいものだ。

(帰宅途中にiPhoneで作成)

勝田全国マラソンは今週の日曜日

いよいよ今週の日曜日は初めてのフルマラソン。勝田全国マラソンに参加予定。

体調は万全、と言いたいところだがハムストリングの付け根のところに相変わらず違和感がある。今日、ネットで調べたら「ハムストリング・シンドローム」と言うらしい。ハムストリングが骨盤(坐骨結節)に付くところに痛みがある。日常の活動には痛みは感じないがハムストリングを伸ばすときに軽い痛みを感じる。この痛みはもう何か月も続いている。走り始めた直後にちょっと違和感を感じるがすぐに痛みは感じなくなる。たぶん走っているときにはこの部分をあまり使ってないせいかもしれない。これがいいことか悪いことがよく分からない。少なくとも同じ状況がもう何か月もつづき、その間にも随分と走ってきた。峠ラン、33Kmラン、高水山ラン、、、、、いろいろと走っていて良くも悪くもならない。こうして走りながらいつか痛みが消えることを期待している。これまでにも右上腕の方の筋肉にも同じような痛みを感じたことがある。それでも筋トレは続けてきたらその痛みも数か月で消えた。同じことを今回も期待している。

いずれにしても初めてのフルマラソンを楽しみにしている。キロ6分で走るつもり。これがどこまで続くか、それを知りたい。

「非常識マラソンメソッド」

「非常識マラソンメソッド ヘビースモーカーの元キャバクラ嬢がたった9か月で3時間13分」 岩本能史

マイミクさんの紹介で読み始めた。これまでに金哲彦さん、小松冬美さん、小出義男さん、、、などなどのランニング本を読んできたがこの本が一番説得力がある。

こうしたランニング本は大抵、サブ4で走るためには、サブ3で走るためには、、、、と書いてあるが私はこうした時間的な記録にはあまり執着していない。今週末のフルマラソンも完走が目的。完走と言うのは「走り続けて制限時間内に」完走すること。制限時間があるのである程度は時間に執着しないといけないが。とにかく走った結果の時間が目標時間。充実した走りをしてその結果が目標時間になる。ベストを尽くして完走することが重要だと思っている。そして「走り続けること」が目標。

村上春樹
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もし僕の墓碑銘なんてものがあるとして、その文句を自分で選ぶことができるのなら、このように刻んでもらいたいと思う。
村上春樹
作家(そしてランナー)
1949-20xx
少なくとも最後まで歩かなかった
今のところ、それが僕が望んでいることだ。
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宮沢湖トレイルラン

6人が集まって宮沢湖トレイルラン練習会。ゆっくりと3周。

これまでは必ず歩いて登っていた最後の激坂を初めて走って登れた。短い歩幅でゆっくりと走って登れた。

昨年の6月に初めて参加してからこれで3回目。すこしつづ知り合いも増えて少しづつ楽に走れるようになった。61歳。成長過程。

今日も、快適な天気の下、走れた健康と一緒に走っていただいた方々に感謝の一日。

追記
高麗の郷で風呂に入ったあとに食事をした「麺や 一香。」は秀逸。中華担担麺・つけ麺を食べたがつゆにコクがあっていい味をしていた。中盛りを注文したが大盛りにすべきだった。辛さも1~3で指定できる。私はあまり辛くない1にしたがもう少し辛くてもよい。宮沢湖から2,3Km。

もう一つの命が消えた。。。

平成7年に生後3か月の時に我が家にきてからずっと一緒だったオスの柴犬が今朝、息を引き取った。

16年前に我が家に来た時には小さな箱の中にちょこんといた。ぬぐるみのようなコロコロとした赤ちゃんだった。息子が「ロン」と命名。初めてのペットと言うことで勝手がわからず家族全員で見よう見まねでしつけしたり散歩したりの毎日だった。

柴犬は元来猟犬だったとか。気が強いのに臆病。庭に長いひもでつないておいた。やんちゃだった。家に来る郵便配達人、宅配便の人、新聞配達の人、皆が我が家に来るたびに遊んでくれた。

そんなロンも年を重ねるごとに茶色の毛は薄い茶色になった。白髪。人間と同じだ。晩年は後ろ足が弱くなり昨年の夏ころから歩くのが不自由になった。昨夏の暑さにも耐えてくれた。そして秋。いよいよ足が立たなくなり腰をサポーターで引っ張り上げて散歩した。

暮れになりあまり動かなくなり昼間は日なたで寝ていることが多くなった。家の中にいることが多くなった。そして年末には3日間動物病院に入院。奇跡的に回復して家に帰ってきた。でも昼間からあまり動くことがなく寝ていた。寝たきり老犬になってしまった。要介護犬。さみしいものだ。子供たちが一所懸命に介護。

そして今日9:20に静かに息を引き取った。寝たままだった。つい先日私の母親が息を引き取ったばかり。また一つの命が消えた。息子が一番思いを入れていた。何年が前につらかった時期に随分と癒されたはず。

花を供えてやった。歳をとってもきれいな顔をした美しい犬だった。と、偏見か。

光真王号

平成7年7月29日生まれ

1月24日火葬予定

いちむじん

今日は長男の誕生祝いで福生にあるピッザで有名な「ニコラ」で食事。しばらく行ってなかったがいつもいい味のピザを食べさせてくれる。場所が米軍横田基地のすぐ隣なので外人も時々きている。

大きなサラダを二皿注文。我が家はこのサラダには思い入れたありいつも大量に注文する。メインはミックスピザとシーフードピザの9インチ版を一皿ずつ。それにグラタン、ドリア、ラザニア。いずれのいい味でした。ただ、チーズが大量に使われている料理なので栄養担当の娘はちょっと不満顔。

この日はクラシックギターデュオの「いちむじん」の小さなコンサートが開かれた。NHKの竜馬伝のエンディングで彼らのギター演奏が使われたとか。その曲も演奏してくれたが思い出した。満席。こうした落ち着いたレストランにはその音量からしてギターが最適なような気がする。歌もいいけど聞いている間は会話ができなくなるのであまり好みではない。

いい食事でした。

自転車もすなるといふ奥多摩路

自転車もすなるといふ奥多摩路、ランにてもしてみむとすなり、なんて土佐日記のパクリですが奥多摩まで走ってみた。

いつか30Kランをしてみたいと思っていた。どこを走るかと考えたときすぐに思い浮かんだところが奥多摩。自転車では、自宅ー青梅ー御岳ー奥多摩ー奥多摩湖。さらに奥多摩周遊道路を走って風張峠から五日市を回って自宅にもどるコースは何回となく走っている。そして自宅から奥多摩湖まではほぼフルマラソンの距離になるのは知っていた。「いつか奥多摩湖まで走ってみるか」と言う思いは前からあったが奥多摩から奥多摩湖まではそれなりの急登なので今の私にはちょっとハードルが高い。でも奥多摩駅手前に「もえぎの湯」があってそこまでは約30Kと言うことも知っていた。で、Why not? と言うことで「もえぎの湯」まで走ってみることに決定。

朝、8時過ぎにゆっくりと走り始めた。基本的に青梅街道の舗道をもくもくと走った。途中、青梅市街にはいると2月20日に予定されている「青梅マラソン」のバナーがすでに飾ってあった。「青梅マラソン」にはエントリー済なのだがあいにく母の七七日の法要で参加できなくなっている。沿道の声援が素晴らしいとのことで知人と一緒に走ることを楽しみにしていたので非常に残念。このこともあって奥多摩路をしっかりとかみしめて走った次第。

青梅市街を抜けると舗道がないところが増える。土曜日で大型ダンプが時々通るので注意して走った。あった、「青梅マラソン」の折り返し点。ここまでもそれなりのアップダウンがある。青梅街道の反対側を私とほぼ同じペースで走っていた初老のランナーはここで折り返した。ちょとだけ挨拶して別れた。

キロ6分後半のペースでずっと走った。最近になって股関節周りに痛みを感じている。何日か走らないでいたので日常の動作時には何の痛みもないがこうして走るとまだ痛みを感じる。そんなことがあって痛みを感じないように「そっと」走っていた

御岳駅までで20Km。この辺からは道が狭くなる。舗道がないところが続く。ちょっと緊張。26Kmを越えた。これまでの最長距離を越えたわけだ。そして黙々と、坦々と走っていよいよ大きな新氷川トンネルに到着。この裏側にめざす「もえぎの湯」がある。

ようやくにして到着。33Km。自己最長距離を更新。お疲れ様。

温泉は濃いぬるぬる感がある。客は数人だけ。まだ12時まえだしね。

生ビールが美味でした。ここで食事をしてから青梅線で帰宅。

30Kの壁、本当はこれを体感したかった。でも鈍感な私は感じなかった。坦々と走りすぎたのかな?

それよりも、こうしてランニングでいろいろな田舎道を走ってみるのも楽しいものだ。自転車で通り過ぎるのとはまた違った楽しみがあることが分かった。また、どこかを走ってみたい。

それよりも、こうしてランニングでいろいろな田舎道を走ってみるのも楽しいものだ。自転車で通り過ぎるのとはまた違った楽しみがあることが分かった。また、どこかを走ってみたい。

リハビリ・ラン

ドライアイスに抱かれているせいか氷のように冷たくなっていた。穏やかにうっすらとほほ笑むように口をあけ、その唇にはほのかな桃色の色が付けられていた。

つい一か月前まではひ孫たちと一緒に話をし、午後はゆっくりと散歩し、毎日小さな字で日記を書いていた母は6日に永眠した。体調を崩して入院。会話はできなかったが問いかけには時々うなずいていたのだが。。。

通夜、告別式、納骨。と一通りの儀式が終わって昨夜兄の家から帰宅すると一気に寂寥感、虚脱感、そして喪失感が襲ってきた。不思議と悲しみは無かった。89歳と言う年齢に満足してそれ以上の望みを抱かずにこの一か月の間に「死」を受け入れる準備ができていたせいかもしれない。しかし、その「死」が意味することはそれが現実に起こってみないとわからないものだ。

これまでに与えてもらった大きな愛情に何回となく感謝の言葉を頭の中で繰り返した。「ありがとう」「ありがとう」を頭の中で繰り返しながら数日間を過ごしてきた。いろいろな場面、その時の言葉。次から次えと浮かんできた。

先日の峠ランの後はこれまで痛みを感じてなかったふくらはぎの筋肉痛が残っていた。その後は一度だけ近所の残堀川コースをゆっくりと走った。そして今日は昭和記念公園の周囲を走った。強い北風の寒気のなか15Km。筋肉と気持ちのリハビリ

足柄峠往復ラン

「大変ですよね、どうしてこんな所に来ちゃったんでしょうね」と自嘲気味に声をかけながら前を走っていたW嬢を追い抜いた。標高差650m、13kmのここ足柄峠を走って往復してきた。昨日のこと。

これもランニングサークル監督の練習メニューのひとつ。神奈川県山北町と御殿場の間にある峠。ローディーの間でも坂○○と呼ばれる人たちには人気があるらしい。その峠を走って登るという人たちが6人集まってひたすら走って来た。

御殿場線山北駅はSuicaが使えない。昔ながらの切符を買って改札を通る。そんな田舎の駅に降り立った。駅前と言っても閑散としている。「田舎に泊まろう」でもかつては登場した場所だ。

本来は駅前の公共温泉に荷物を置いて出かける予定だったがあいにくここは正月休み。昨日の「しろくまパン」と同じだ。で、くだんの監督が交渉してくれて駅前の食堂の隣にある空き部屋を借用することになった。そこで着替えた。

駅前でストレッチをしてゆっくりと出発。さすがに山間地の町は寒い。気温は5度くらいか。一般道を進むが車は少ないので舗道を走ったり車道の端を走ったり。最初はお喋りしながら走れた。3,4Km進むと徐々に道に傾斜が付いてきた。いよいよ登りが始まるか、とちょっと緊張。ゆっくりなので息は切れずに落ち着いて走った。5km位から徐々に参加者の間で速度に差がでてきた6人の集団がばらけてきた。私は息が乱れない程度で坦々とマイペースで走った。これはいつも通り。これまでのハーフでも常に速度は一定だった。最初のハーフはきっかりとキロ6分。二回目のハーフは5分半。GPSのデータを後で見るとこの速度はずっと一定だった。Stableと言うことですな。今回は坂道なので速度は一定とはいかない。その代り負荷は一定にして走った。

10kmを過ぎたころから坂は急峻になる、といろいろな方のブログに書いてあった。その通り、見上げると15%位の坂が九十九折れになって真上に立ちはだかっているのが見えた。後ろから来た軽自動車がうなりを上げて追い越して行った。それまではキロ6分とか6分半で走っていたのが7分になり8分になりその15%のところでは何と10分。歩く速度と同じじゃ!と思いながらも走り続けた。歩きたい、歩きたい、と思いながらも監督からは「決して歩かないこと」と言われていたので例によってYes,Sirの世界。この頃になると参加者の距離は離れて前後の人たちは遠く見えないので歩いても誰にも見られない、けどやっぱり歩かないことにした。昨日から再読を始めた村上春樹の本にも「少なくとも最後まで歩かなかった」と言うフレーズがあってこれが頭から離れなかった。それほどストイックに走っている訳ではないし、修行僧になっているわけでもないがこのフレーズが歩みを止めなかった。

「見晴台バス停からが長いよ」と一足先に登って降りてきた方が言っていた。そのバス停にようやく到着。気持ちを入れ替えて、それまで通りに一定の呼吸をしながら走っていくと先に登っていた監督が降りてきて「もう少しです」とのこと。やれやれ。少し力が復活。少しだけスピードを上げて約500mでピークに到着。お疲れ様。1時間半でした。

すでに足の筋肉が痛む。体全体が硬い。その硬さを峠の寒さが追い打ちをかけた。富士山を見渡せる絶景ポイントに行ったが写真を撮ってからそそくさと退散。手袋をした手がかじかむ。留まっていると急激に体温が下がってくるのでジャケットを身に着けて下り始めた。

「下りは足裏全体を地面につけてパタパタと音がするように、前傾姿勢をとるように」、とのアドバイス。でもうまく行かない。スピード超過で転倒するという恐怖心でどうしてもスピードを殺しながらしか下れない。前回高水山に行った時もM氏はとにかく早かった。たぶんあの方はスピードを殺さないでスピードに乗って下っているのでしょう。それができない。スピードを殺すようにこらえるので余計に足の筋肉を使っているような気がする。

そんな感じで、足の痛みはあるし恐怖感からくる緊張で下りのほうが疲れた。出発した山北駅に戻って体を拭いて着替え。

ちなみに今日はローディーは2,3人でした。さすがに冬は峠に来ないですね。

全員がそろったところでお世話になった食堂で打ち上げ。レバニラ炒めなどなどを美味しくいただきました。あっ、日本酒も頂きました。山北ー松田ー登戸ー立川経由で帰宅。

今日も、いい練習ができました。本当はもっとゼイゼイハーハーして登らないと練習にならないのかもしれない。でも、自転車と同じ。その手前で止めてしまっている。もう少し追い込むことが必要なんでしょうね。

自転車、初乗り

昨日は近所の残堀川沿いのコースを10Kmほど初ランニングした。そして今日は自転車に初乗り。

知人と入間川大橋で待ち合わせて越生の「しろくまパン」に行くつもりで出かけた。ところが待てども彼は現れずそこでは行き会えず。連絡を取り合ってみると荒川の左岸を走って来たようだ。それでも無時に合流して一路しろくまパンへ。

今日は物見山はエスケープして巻道を走って越生へ。冬の田んぼには何もなく殺風景。山も薄茶色でちょっとわびしい。

そして、「しろくまパン」へ。予想通りにお休み。何しろ正月の三日ですから。彼はここが初めてなのでお店の前で記念写真。それでは、と言うことで近くにあるローディー御用達のうどん屋「甚五郎」に向かう。ここもお休み。やっぱり。で、30号に出るとそこに営業中の古いうどん屋があった。

昔からのうどん屋と言う店構え。中には客が数人いたので入った。メニューは典型的な昔ながらの食堂のメニュー。麺類と丼物のみ。親子丼をいただきました。味はそれなり。それよりもこの店は創業明治5年とか。店内には明治33年に出した新聞広告のコピーが貼ってあった。店構えはごく普通の古くからある食堂と言う感じ。重厚な老舗の雰囲気はなかった。越生町・黒田屋

ここからは30号をまっしぐらに走って瑞穂まで。ここでコーヒーを飲んで同行の彼とは別れて帰宅。110Kmのさくっとした初乗りでした。