岡ちゃんの講演

今日と明日は会社のManager’s Kick Offと言う年度初めのイベント。100人くらい集まった。例によって年度方針とか全社的なプロジェクトの話とかの話の後で講演者が登場。

知らされてなかったが今回はサッカーの岡田監督。

すばらしい話を聞きました。

全力投球して選手と付き合いチームを作ってきた過程を熱く語ってくれた。リーダとしての在り方を説くこうした講演は企業向けにぴったりだ。苦しみぬいて見出したリーダーとしての振る舞いかた、それが思うとおりに行って試合に勝ったときそれを「ゾーンに入った」と表現していた。心理学、生理学、禅、、、いろいろな本を読んであるべき姿を探し求めていた。

リーダーは選手に与えるのではなく、選手の持ち味を引き出すこと、これが重要とのこと。選手の能力、勝ちたいと思う思い、いろいろなものを引き出すのがリーダーの役割。そうすることで試合中に誰もがお互いのことを理解し阿吽の呼吸で意思疎通ができるようになる。

意思決定。試合の前に11人を選ぶ必要がある。誰を選ぶかが難しい。苦しむ。こんなときには無心になって、腹をくくって決断する。たとえ非難を浴びても自分が全責任をとって選択をする。

こうしたことの積み重ねで前回のワールドカップの時にはすばらしいチームができあがった。この辺は試合後のインタビューの様子からも垣間見られた。

いろいろな話をしてくれた。感動して涙がでてきた。苦しみぬいてそこを通り抜けた人の話は強い。改めてに岡ちゃんを見直した。

こんな雨の日は徒然に。

朝から雨模様。今週末はこんな感じでしょう。

こんな日はゆっくりと家の中で過ごすのがいい。それでも朝には多摩湖周回の10Kmコースをラン。楽しく走れました。セントロニンがたくさん放出されたかな。

後は、無線LANルーターを新調した。iPadで使っているがSpeedTestを使ってみるとなんと3MBpsと言う遅さ。有線でつながっているPCは25MBps位まで行くのに対してこの3MBpsはあまりにも遅い。もう何年もまえの無線ルータを使っているせいでこの遅さなのかなと思って最新に変えてみた。新しい規格がどんどん提供されているので早いはず。

ちょうど新聞のチラシに特売の案内があったのでこれにした。

http://www.pro.logitec.co.jp/pro/g/gLAN-W300NR/

簡単につながって速度を測ってみると12Mbpsになった。さすが。本当はもっと早くなると思うがあまりよく分からない。これで満足です。

そう、最近FaceBookを始めた。つまり登録して書き込みを始めてみた。Mixiと同じSNSだけどきめ細かいね。USのサービスとしては意外。日本のサービスの方がきめ細かい機能をサポートしているような気がするがFacebookとくらべるとMixiは雑。見劣りがする。そういえば最近Mixiってどうなんでしょう。会員数は伸びているのでしょうか。個人的にはマイミクさんのアクセスが減ったような感じがする。

そのFacebook。何しろ本名での登録が原則。その昔の知り合いがふっと舞い戻ってくるかもしれない。
そして、日記と言うよりもTwitterのつぶやきの寄せ集めと言う感じ。そこに写真とかコメントが豊富に追加される。誰が誰にどんなコメントをしたか、なんてことが詳細にわかる。

iPhone, iPadを使っていると隙間時間にアクセスすることが多い。仕事中のほっと一息入れる時、たぶん喫煙者だったら一服、と言うタイミングにFacebookにアクセスしてみる。すると、それなりの息抜きになる。

http://www.facebook.com/  本名で登録しています。

まあ、そんな感じで使ってます。

そうそう、Twitterで発信するとそれがMixiとFacebookに届くようになりました。楽ちん、です。

Twitterについての私の印象。

それば、すでに起こった未来を知ることができる。なんてね。

半世紀の年輪

昨日は小学校の同窓会。実に半世紀ぶりの再会でした。昭和37年卒業。まさに「三丁目の夕陽」の時代だった。日本が高度成長に踏み出した時。

小さな小学校で我々の学年は30人のクラスが二つ。その中の23名が参加。6人の教師も参加してくれた。教師はほとんどが80代。でもかくしゃくとしてお元気そう。なによりです。そして50年前の生徒のことを思い出してくれた。大したものだ。私のことも覚えていてくれた。兄弟で成績が優秀だったので秀才一家と見てくれていたようだ。照れます。しかし、「末は博士か大臣か、二十歳過ぎればただの人」、が当たったようだ。

久しぶりに、「みのちゃん」と呼ばれた。いいですね。「やっちゃん」、「さっちゃん」、、、、、でも、当時の顔がどうしても思い浮かばない。教師の顔は思い出せたがそれぞれの生徒の顔が出てこない。名前は覚えている。出かける前に古いアルバムから当時の記念写真をみたが思い出せなかった。かろうじて自分の姿と教師は認識できた。昨年あった中学校の同窓会ではそれぞれの人の当時の顔が鮮やかによみがえった。でも今回はよみがえらない。半世紀。

当時にいろいろのエピソードが語られた。それぞれが一瞬の出来事を昨日のことのように覚えていて語り合った。あっという間の5時間でした。

地元に残っているのでまたいつか一緒にあえるでしょう。幹事の方々に感謝した次第。ああ、楽しかった。

250,000歩の支援 トレールウォーカー後記

100Kmの距離。そこを40cmの歩幅で歩くと250,000歩。通常の一か月分を二日で歩いたわけだ。筋肉痛もほとんど消えてきたが思い出はますます強く残っている。あの25万歩は何を意味しているのか原点に立ち返る必要がありそうだ。

城山競技場のSTARTゲートを出発してからただひたすら歩いた。ただ、ひたすら山中湖を目指して歩いた。何故?非日常的な体験をしたいという好奇心、完走(歩)した時の達成感を味わいたい、自分の体力・気力を確かめたい、楽しい二日間を過ごしたい。これらは皆正しいような気がする。

好奇心? 真夜中の山中を黙々と歩く。時折風が吹くと杉の大木がうなりを挙げる。急に冷える。寒い。そして夜明け直前のしらじらとした山の端。大きな月。これらは日常的には決して味わえない経験だ。明るさになれている都会人は常にライトを必要としない生活をしている。闇夜が静かさをさらに静かにさせてくれるのを体験した。

達成感? つらいことにあえて飛び込むとき、完遂した時の達成感を感じたいという理由が大きい。マラソンにしても長距離自転車ツアーにしても最後のゴールがあるから頑張れる。ゴールのないマラソン、長距離ツアーは考えれらない。その過程がいかに楽しいものでももしゴールが無かったら飛び込めるのか。この意味で先の展望が開けてない人生はつらいものだ。25万歩を歩いて山中湖に到達したときは十分に達成感を感じた。週末の日帰り自転車ツアーでも自宅に近づくにつれて感じる達成感。ランニングで最終目的地までの数キロメートルを走るときの達成感。こうした達成感は今回も当然強く感じた。

体力・気力? 時々現れる急登。急いで登ると息が切れる。楽に呼吸ができる速度にするとあまりにも歩みが遅くなる。バランスのとれたスピードで登り、歩いてきた。25万歩。この歩数に耐えられる体力はまだ残っているようだ。特に今回は同行の女性陣の速度が速くなかったので体力的には楽だった。それよりも大事なのが気力。はるかかなたのゴールを考えた時の第一歩はあまりにも小さい。千里の道も一歩から、と言われるが千里先を考えた時の一歩はあまりにも小さい。千里先を目指して進む、と言う意志、気力、そして気合が大事だ。そしてチームワーク。一人で歩く時と複数人で歩く時とで有利な点、不利な点がある。疲れてきたときにどれだけ我慢できるかが重要。今回の4人はみな大人だった。冷静にゴールを目指すと言う一つの目標は一致していた。そうした目標を達成するために4人がお互いに気を遣い気力を保ってきた。

楽しい二日間? 今回は絶好の気象条件、ルート条件、そしてチームメイトは娘のように若い御嬢さんたち。楽しく過ごすことができた。山中湖のゴールに飛び込む直前の明神山からの下りは整地された道を滑るように走り下った。そのスピード感が実に爽快、愉快だった。

こうして振り返ってみるとすべて良し、と言う感じだが本当かな。

このトレイルウォーカーはそもそも、途上国の紛争・災害時の緊急支援、教育・農業支援などの国際協力活動などを支援し、人々が貧困から立ち上がるための活動資金を集めることにある。当然、今回の東関東大震災の被災者にもその募金は使われるはず。

これを忘れてはいけない。この一瞬も飢餓で幼い子供が命を落としている。こうした現実を忘れてはならない。

トレイルウォーカーはこうした人たちを支援するのが目的。参加しているすべてのチームは最低12万円の募金を集めている。トレイルウォーカーに参加する人たちの一歩一歩が飢餓の子供達を救う一歩になっているわけだ。

Oxfamトレイルウォーカー

これ以上ないような天気、ベストなコースコンディション、素晴らしい大会運営、そして大人なチームメイト。三拍子も四拍子もそろったトレールウォーカーだった。こんな環境で二日間を過ごせたことがすごく幸せ。自分の健康、サーポートしてくれた方々、大会を主催運営してくれた方々に感謝するのみです。

5月13日朝9:00に小田原を出発して山道を延々と100Km歩いて(走る人もいる)最後は山中湖まで48時間以内に到着するチャリティーイベント。会社のチームで参加した。今年の参加チームは160余。参加者は650人以上。それにボランティアが各地に数百人。募金総額は数千万円。

コースと標高プロフィール図

小田原の城山競技場がスタート地点。行ってみると外人の多さが目立つ。そして金融系の外資からの参加が目につく。外人は2割くらいのイメージだが実際の値はわからない。

我々のチームはGirlsチームに私が混ぜてもらった混合チーム。

前夜までの雨がすっかりと上がって快晴、薫風の五月晴れになった。出発の時間になると前の方に陣取ったチームは一斉に走り始める。 トレイルウォーカーと言ってるがトレイルランニングをするチームもいくつかあり順位を争っている。ウォークとランの境界が決められないしそれを監視することもできないのでこうしてランするチームも当然でてくるだろうがあまり感心できない。順位を争うイベントではないと思っていた。いずれにしても、全チームはスタートしてトラックを二周してからトレールに入る。我々はゆっくりと歩いて進んだ。

CP1から2までは前回の試走(試歩)の記事にある。ここは全コースの中で一番気に入ったコースである。トレイルランにもってこいのコースでありいつか走ってみたい。この頃はまだチームの速度があまりかわらず多くのチームが前後に見えている。

前夜まで降り続いた雨によるコースコンディションが心配だったがこれは杞憂で、適度に湿った山道は柔らかく、滑らず、最高の状態だった。山道を歩き始めてほっと一安心した。新緑が目にまぶしい。

CP(CheckPoint)1は阿弥陀寺。各CPでチームの通過をチェックし食糧、飲料を提供する。各CPには、カップスープが3種類、ベーグルが二種類、バナナ、チョコレート、おにぎり、水、ポカリスエット、、、が置いてあり任意の補給食以外はここで調達できる。ただし、これ以外の品物、食料は別途サポート部隊を各チームが確保しておき各CPで補給を受けることはできる。これはチームによって大きく変わり我々は特別に食料の補給を受けるサポート隊は用意せず別の形でサポートしてもらった。中には主要なCPでキャンプして食事を用意するチームある。

CP2は箱根に下りて箱根ふぃらわーセンター。各CPではそれなりに大休止を取った。CP2からCP3の箱根恩賜公園までは舗装路を歩くことも多い。

CP3からCP4の芦ノ湖キャンプ村までは芦ノ湖の湖畔の小道をひたすら歩く。途中で暗くなったので各自ライトをつけた。ここで足を引きづって独りで歩いている参加者がいた。聞くと他のメンバーは先に進んでいるとか。これはルール違反。でも彼は一人で歩いていた。とりあえず痛み止めのアスピリンを提供した。後で調べてみるとこのチームは3人だけがゴールしたらしい。やっぱり彼は途中リタイヤしたのでしょう。

真っ暗になったCP4に到着。ここは主要なCPの一つで仮眠の場所もある。ストレッチサービスもある。夜になると冷え込んだ。我々はここに仮眠せずに近くのロッジに向かった。ここでサポートしてくれる職場の方が風呂を沸かし、食事を用意して待っていてくれた。ちょっと贅沢だがお金で体力を買った次第。一応これはルール内らしい。ただしCPを起点にすること。

サポーターの見送りを受けて二日目14日の早朝出発。

今日も快晴だ。CP4からCP5の途中に大雄山最乗寺までは明神ケ岳の登りがあるが特段に厳しくはない。途中で初めての富士山と遭遇。

そしてこんな不思議な岩もあった。

最乗寺は大きな山寺だ。杉の大木に囲まれた立派な寺。杉の林を通りぬけてくる皐月の風がなんともここちよい。ここにもCPが設けられて仮眠所等の面倒を見てくれる。どこのCPにもボランティアの老若男女が多く働いている。その一人一人が実に気持ち良く参加者を迎えてくれる。CPに入ってくると拍手で出迎えてくれ、出発するときも白書で送り出してくれる。励みになる。食料の提供をする人、参加者の通過時間を確認する人、コースの案内をする人、交通整理をする人、会場整備をする人、何十人ものボランティアが各CPでこの大会を支えてくれているわけだ。彼らは自治会の担当者だったり、地元婦人会だったり、学生だったり、いろいろだ。ただただ感謝する。

CP5からCP6の矢倉沢公民館まではなだらかないいハイキングコースだ。ここもランには楽しそう。この日の午後になって右ひざの後ろの筋肉が張ってきて痛むようになった。伸ばすと痛い。坂道を登り下りするときはサボ度痛みは感じないが平地を歩いているときは脚を伸ばす必要があるので痛む。消炎スプレーをかけたり、痛み止めのアスピリンを飲んだりしたがあまり効果なし。そのまま歩き続けた。矢倉沢公民館は会社のランニングサークルで足柄峠ランをした時に通りかかったところだ。この日も峠を駆け下りてくるランナーが何人かいた。この辺は北山茶で有名なところ。茶畑がきれいだ。このCPでも地元のご婦人が食料を提供していた。地元にとっては一台イベントらしく通しすがありの多くの人が声をかけてくる。

CP6からCP7のふじみセンターまでは600mほどの登りがあるがきれいな山道だ。新緑が美しい。このCPがある駿河小山町に下りてくると里に戻った気分になりこの後に続く険しいコースを考えると気持ちを盛り上げるのが大変なところだ。センターに着くころは薄暗くなり昼間の暖かさも消え冷え込んでくる。自宅での暖かい夕餉が恋しくなる。次への意欲をさらにかき消してしまう条件だ。このCPも主要なCPで次に控える大きな登りコースへ準備基地のような感じになっている。専門学校の生徒がスポーツストレッチをしてくれている。あまり期待してなかったがとりあえず受けてみた。都合4回受けてみた。初々しい学生が一所懸命に痛む足をストレッチしてくれた。 ここにはファーストエイドもあり看護師が傷の応急処置をしてくれる。

そう、ここは分岐点。ここまで80kmを歩いてきて各人が相当の疲労を感じている。里に下りてきたという感覚もあり次の難コースに行くか行かざるか、まさにハムレットの心境になるCPだ。ここで多くの参加者がリタイアする。リタイアしたチームはここでしばしビールを飲んで談笑していた。

制限時間一杯を使って歩く予定のチームはここを夜の11時までには出発しないと到着が難しくなる。そこで、ここで仮眠をとり、英気を養ってから夜間に出発するチームが多い。我々もその一つだ。

ストレッチをしてもらい、食事をしてから広い仮眠所で一時間ほど仮眠できた。夜10:30いよいよ出発。天気予報によると夜間の気温は4度。真冬並みだ。ライトを点けて出発。

CP7からCP8までは最後の難所。まず一気に700m位の登りで不老山に登る。実に急な登りだ。階段状になっていてロープも張ってある。このコースをいくつものチームがライトを点けて登っていく。風もなく実に静かな夜だ。月も満月に近く明るい。おかげて星が少ない。同じようなペースのチームだ。抜きつ抜けれつで進んでいった。

不老山を下った後で改めて湯船山の登りも険しい。暗くてよく見えないが道が細く切り立っている。注意が必要なルートだ。静かな山にも時折強風が吹きそのつど大きな杉の木がうなりを挙げる。恐ろしくなる。それでも夜間のこうして山中を歩くという経験は久しぶりだ。神経が研ぎ澄まされる。

風が吹くと冷える。雨具を上に羽織った。

深夜、多くの人が寝静まった時間にこうして山の中を黙々と歩いている集団がある。興味深い。いろいろな体験ができた。

急坂を登りつめて視界が急に開けたとき、そこに大きな月が重そうに地平線近くに垂れていた。前をあるく人がシルエットになってその月と重なる。空は月明りでうっすらと見える。実に幻想的だ。何と表現してもこうした状況は説明できない。体験したものだけが感じるものだ。

4時くらいになると東の空がうっすら明るくなり山の端がくっきりと見えてくる。遠く里が見渡せるようになったある一瞬だけで見られる光景も素晴らしかった。

明るさが増した4時半ころにCP8に到着。ここは小さなCP.天幕の中にストーブが炊かれていた。その周りの椅子に座った参加者は毛布にくるまり爆睡中。一人が椅子から転げ落ちた。寒い。

残すは7Km.もうすぐゴールだ。制限時間内に到着するためには6時ころには出た方が安心する。我々は5:30にCP8を出発しゴールを目指した。

まず三国山に300mの登り。広い林の中は今回のトレールウォークで600人が歩いて作ったと思われるルートがいくつかあった。その位お広い登りだ。一旦下ってからまた200mの登りで明神山に登る。ここがラストのクライマックスになった。明神山に昇る途中から富士山が顔を見せ始めた。そして頂上につくとドカーンと白い富士山が現れた。何と言うことか圧倒される迫力。山中湖も白い富士山もそして遠く南アルプスまでもが眼前に広がった。これだ、これが今回のつらい苦しい二日間のご褒美た。登っているだれもが興奮している。

それまでの二日間を振り返ってしまう。疲れた、脚も痛かった、いろいろなことに耐えなければならなかった。それでも、歩きとおす、と言う一念で歩き続けた。記念写真を撮った。

おまけのプレゼントも頂いた。それは明神山からの下り。火山性の小石の坂道を転げ落ちるように走って下れた。この二日間、歩き続けた。でも時折走りたい衝動に駆られた。走るのに絶好のルートも多かったからだ。それでも4人のチームで歩く限りは勝手に走るわけにはいかない。その反動で明神山からは一気に駆け下りて後続を待った。楽しかった。実に楽しかった。昨日痛めた右ひざの後ろ側はストレッチのおかげで痛みはなかった。衝撃の少ない坂だったせいか走ることができた。

山中湖に下って途中でサポートしてくれた人と合流し会社のTシャツで揃えてゴ~~~ル。会場には先に到着したチーム、そのサポーターでにぎわっていた。

迎えてくれた方の車で温泉に向かった。富士山が眼前にドーンと広がる温泉に浸かってから帰宅。

来年?また参加したい。ボランティアでもサポーターでもいい。

準備完了ーOxfamトレイルウォーカー

明日からいよいよ始まる。

小田原から箱根、、、、を経由して山道を山中湖までの100Km.これを48Hrで歩くというイベント。この時間と距離はウルトラマラソンとか秋に延期された「ULTRA-TRAIL Mt.FUJI(ウルトラトレイル・マウントフジ)」(UTMF)と比べると「ゆるい」。でも私にとっては初めての距離。チャレンジです。

他のウルトラマラソンやUTMFと違うのは4人がチームで全員が完走することが条件。これが大事。それと参加チームは12万円以上の募金を集める必要がある。つまりチャリティーである。

このイベントに職場から2チームが参加する。他のチームは外人が3人と日本人のBoysチーム。私は何と女性3名のGirlsチームに混ぜてもらうことになっている。両手と片足に花、状態。あは。

数日間降り続いた雨で心配していたが天気予報では晴れ。ほっとしている。でもこれまでの雨で山道はグシャグシャでしょう。

早いチームは土曜日のうちにゴールするらしいが我々のチームは48Hrをたっぷりと楽しむ。日曜日の朝、山中湖に到着する予定。山歩きを楽しんできます。

http://trailwalker.jp/index.htm

追加の募金に協力していただける方はここからお願いします。http://www.justgiving.com/FantasticFourJapanII

箱根裏街道と長尾峠+α

来週にせまってきたOxfamトレイルウォーカー。その時に仮眠を予定している場所を一応事前に確認したかった。場所は箱根。

連休なので車の混雑が心配。で、「自転車人」に載っていた箱根裏街道を使ってみた。小田原までは輪行。ここでほぼ同じコースを走る予定のB氏と落ち合ったが彼は立川からしっかりと自走。さすがですね。しばし歓談後、私は亀さん走りなので一人で一足先に出発。

裏街道はさすがに静かだった。時折車が通り過ぎるだけできれいな道を静かに登れた。ただし、「急登」。これは想定外だった。15%を超えるところが多くそれが10Kmほど続いた。走り始めていきなりの急登でまさに亀さん登り。下りも含めて裏街道は約15Km続いて138号と合流する。合流したとたんに車は増え、騒々しくなった。バイクの集団がやかましい。

ここで本来の目的である仮眠所の場所を確認。近くには同じようにルートの確認、試走に来ていると思われる人たちが多く見られた。当日の好天を祈るのみ。

次の目的地は長尾峠。相変わらずやかましい道を登っていくと乙女峠との分岐。どの車もこの乙女峠の方向に向かったので長尾峠方面はまた静かになった。緩やかな登りを進むとあっけなく長尾峠に到着。実にあっけなかった。峠を登っているときは峠の直前の劇的なアプローチをいつも期待しているがこの長尾峠にはそれがまったくなかった。先日の大垂水峠と同じだ。ここで休憩した。後から追っている筈のB氏達を待っていた。すると、反対方向からK氏が登場。彼の話によるとB氏達はすでに下って行ったとか。あれまあ、私が長尾峠で待っている間に通過してしまったようだ。気が付かなかった。そう言えば、待っている間に二人連れのハイカーと話をしていたがその間に通り過ぎてしまったらしい。B氏達にとってもこの長尾峠は峠と呼ぶほどのこともなく一休みの価値もなかったのかもしれない。峠と思わずに通り過ぎてしまったのかもしれない。まあ、彼らとは方向が同じだけでもともと別行動の予定だったのでいいでしょう。

長尾峠を下って御殿場に。ここで大休止して昼食。その後は御殿場線に沿って松田まで飛ばした。想定通りに下り基調で快適。246を走ったり76を走ったり。246は心配したほどは騒々しくなく一安心。それでもあまり好きになれない。松田から秦野までは246しかない。

名古木から自転車の乗りに有名なヤビツ峠の方向に登り始めた。この中間のところに兄が眠っている。しばらく墓参してなかったので出かけた。ケースに入れて持参した線香を手向けた。大日堂の近くの、山の斜面にある墓地からは遠く太平洋が見渡せる。いい場所だ。

せっかくここまで来たのでもう少し登ってヤビツ峠から裏ヤビツ、宮が瀬湖経由で帰宅することも考えたが気乗りしなかった。で、秦野駅を目指して一気に下り始めた。

ところが、2Kmほど下ったところでサングラスを墓地に忘れたことに気が付いた。あれまあ。またあの急登を登り返すのか、と思ったが大事なサングラスなので引き返した。2kmが長かった。そう言えばあのサングラスはこれまで3回ほど忘れたことがある。一回目は奥多摩周遊道路にある都民の森。そこから2,3Km程登った風張峠まできてから気が付いて戻った。二回目は山中湖近くの平野のセブンイレブンで休憩した際に忘れた。この時はこのセブンイレブンに電話して宅配便で後日送ってもらった。三回目は草津ヒルクライムの後で駐車場にヘルメットと一緒に忘れてきた。この時も主催者のところに届けられているのが分かって宅配してもらった。運が悪いというか運が強いというのか分からないが何度も生き返ってきたサングラスだ。思い入れがあるサングラスだ。今回で4回目になった。

秦野からは小田急で輪行。まだ太陽が高いので途中の登戸で下車。自転車を改めて組み立てて多摩川に沿って走って自宅まで。のんびりと約30Kmの追加走行。

目的が果たせて満足しました。セントロニンもだいぶ放出されたような気がする。

PS

どうやら私が仮眠所を探してうろうろしている間にB氏達に追い越されたようです。

自転車の旅番組

自転車ブームと呼ばれている。確かにTVでも自転車関連の番組が多くなってきた。

かつてあの忌野清志郎さんが自転車での東京ー鹿児島のツアーをしたり東北のツアーをした時のTV番組を見たことがある。当時は「いいなあ」と言うだけで実現させようとは思ってなかった。その後自分でも何回か数日間の自転車ツーリングを経験してみてその楽しさにぞっこんになった。旅をしたい。自転車で田舎道を走って、旧道の沿線にある古い宿場町を通り過ぎたい。山間の集落の間を駆け抜けたい。

そんなことを思い浮かべているときにいくつかのTV番組のことを知った。ひとつはBSプレミアムで放送している「にっぽん縦断 こころ旅」。火野正平が読者からの便りをもとにその現場に自転車で尋ねる。京都を出発して北海道を目指すらしい。長い旅だ。火野正平はどうやら私と同年代らしい。若いころはいろいろなスキャンダルを起こした。その彼が素敵なイタリア車にまたがって旅をする。あの火野正平が年輪を重ねていい味をだしている。はたして同年代の自分はどう変わったか振り返ってみたりした。

こころ旅のサイト https://www.nhk.or.jp/kokorotabi/index2.html

もうひとつ。熱中スタジアムでも自転車を特集している。第二部は昨日放送されたが5月11日(水)午後6:00~午後6:45に再放送されるらしい。

http://www.nhk.or.jp/n-stadium/20thm/thm_conte02.html

「脳を鍛えるには運動しかない」(ジョン・J・レイティ)は正しいでしょうか。

数か月前に読んだ「脳を鍛えるには運動しかない」(ジョン・J・レイティ)の冒頭にこう書いてある。

運動すること気分がすっきりすることは誰でも知っている。けれども、なぜそうなるかわかっている人はほとんどいない。ストレスが解消されるから、筋肉の緊張がやわらぐから、あるいは、脳内物質のエンドルフィンが増えるからーーーたいていの人はそう考えている。でも本当は、運動で爽快な気分になれるのは、心臓から血液がさかんに送り出され、脳がベストの状態になるからだ。(中略)運動をするのは、脳を育てて良い状態に保つためだと話している。

そして、運動すると、セロトニンやノルアドレナリン、ドーパミンと言った思考や感情に関わる重要な神経伝達物質が増えるとも書いてある。本書は膨大な事例を挙げて運動の効用が書いてある。

3.11以降は不安と言う妖怪が日本全体を覆っている。それは自分でも感じる。漠然とした不安感が頭から離れない。そして個人的にも先が見えないことに直面している。しかも、脚の状態(非常に現実的です)も思わしくなく4週間ぶりで10Kmほど走ってみたらやっぱり痛む。この先走れるのだろうか。こんなかんだでもやもやが積もっていた。毎年GWに出かけていた4,5日間の自転車ツアーも今年は気持ちが盛り上がらず計画していない。

冒頭の本が主張することにはかなり共感できる。と言うよりもあの本はデータでいろいろの精神疾患などの改善をデータで証明しているのでそれなりに信憑性がある。で、体をもっと動かして見ようと思った次第。

ランは思うようにいかないので自転車で長距離を走ることにした。しばらく走ってない個人的にGreaterLoopと呼んでいるコースを走ることにした。このコースは、自宅を起点にして青梅街道をまっしぐらに西に向かって進む。それからさらに西に進んで柳沢峠(1472m)。一旦塩山に出てから笹子峠(1096m)。ここを越えてから甲州街道を少し走って大月まで。ここから道をそれて雛鶴峠(720m)。相模湖に戻って甲州街道で大垂水峠(627m)を越えて高尾、八王子を経由して自宅に戻る。

今回の目的は、とにかく走ること、安全第一に走ること、若いローディーに刺激されても熱くならないこと、とした。

早朝5:00に起きて食事をしてから出発。ただひたすら青梅街道を走った。ますは奥多摩湖。

途中のコンビニで若いお兄さんローディーと会った。彼はうさぎさん。私は亀さんの走りだった。結局柳沢峠には彼が先に到着していたが彼は途中で何回も休んでいたようで私を何回か追い越した。柳和峠から富士山は春霞の向こうに見えていた。冬のような寒さ。

ここからは20Kmの距離を高低差1000mを下る。豪快なダウンヒル。何回走っても楽しい。自動車の速度制限も簡単に超えてしま。下ってから勝沼のぶどう園の中を走って笹子峠の登りに入った。もくもくと大きな杉林の中を登った。ここは一昨年の秋に来た。ここはやはり秋が似合うところだ。

笹子峠を下って甲州街道に戻った。連休のせいか交通量が極端に少ない。特に登り車線はガラガラ。おかげさまで広い車線を豪快にダウンヒル。あっという間に大月。ここから甲州街道をはなれて雛鶴峠の方向に進む。ここから峠までは向かい風が強く閉口した。リニア鉄道の実験線が見えるとすぐに雛鶴峠。

雛鶴峠からのダウンヒルはいつも楽しい。柳沢峠からのダウンヒルは長い直線が多い。すこし単調になる。一方、雛鶴峠からのダウンヒルはカーブが多く周囲に民家も多くあるので変化がある。もちろん交通量は非常にすくなくガンガン飛ばせる。カーブを曲がってまた曲がってとにかく楽しい。もう、アドレナリンでもなんでも出まくり。楽しくてしょうがない。何回かの登り返しがあるがそんなの関係ない。どんどん走る。ゆっくりと走る軽自動車に追いついてしまう。

再び甲州街道にもどってラーメン屋に入った。かつては「日本一まずいラーメン」と看板に大きくかいてあったが今はない。何かが変わったのでしょう。

再び甲州街道を走ったがここも交通量は非常に少なかった。大垂水峠はそっけない。いつも薄暗くてあまり好きになれないので写真を撮らずにパスした。

まだ太陽が高い時間に帰宅できた。12時間の旅でした。さて、セロトニンやノルアドレナリン、ドーパミンは出たでしょうか。少なくともこの12時間はいい時間だった。

東日本大震災 報道写真展

午後は用事があったので休んだ。目的地に行く前に途中下車して有楽町の朝日ホールで開かれている「東日本大震災報道写真展」を見てきた。震災後の朝日新聞には数多くの写真が掲載されてきた。そのすべてがすごい力をもって訴えるものを感じていた。TVで見る動画は確かに状態がよくわかる。ただ、訴えるものがない。それに対して静止画(写真)がなんとも強い力を持っているのを感じていた。その写真をパネルで見たかった。

展示は震災直後の凄惨な状況を映した写真とその後の復興の光が見えだした写真とに分かれて展示されていた。新聞の写真のあるような短い解説とともに。

やっぱりすごい、感じた。圧倒された。こうした情景を映したカメラマンの心がひしひしと伝わってきた。写真は「心」だ、なんてわかったような気になった。こころの中は見えないけど、、、、とACのCMは言っているけど写真を通してわかるような気がする。

その後はついでに御徒町にでかけて、トレイルグッヅを購入。http://www.blackdiamondequipment.com/ja-jp/shop/mountain/lighting/storm-headlamp このストームのヘッドランプはいい。軽くて明るい。