今年も咲いたモクレン
義父が生前に植えた白いモクレンの花が今年も咲いた。
今日は休暇。地震後のガソリン事情で行けなかった彼岸参りに千葉まで行った。高速道路を走る車は心持ち皆「おとなしい」運転をしていた気がする。
義父が生前に植えた白いモクレンの花が今年も咲いた。
今日は休暇。地震後のガソリン事情で行けなかった彼岸参りに千葉まで行った。高速道路を走る車は心持ち皆「おとなしい」運転をしていた気がする。
職場が今の汐留に移転した数年前から道路工事が行われていた。まだ続いている。何の工事なのか、先日の新聞記事でようやく判明。虎の門から新橋の間をつなぐ通称「マッカーサー道路」。戦後、計画されながら実現しなかった道路を形を変えて作ろうとしているらしい。
工事中の道幅は数十メートルもある。春の陽気にさそわれて昼休みに工事中の道に沿って歩いてみた。工事現場はいつも活気がある。新しい生命が生まれようとしている感じだ。
そして、ちかくの「大阪虎の門砂場」にそばを食べに行ってみた。創業明治5年。建物は大正時代のもの。実は、食べ物よりも建物に興味をそそられた。そのレトロさがやはりいい。
肝心の蕎麦はしっかりとして満足でした。
来週の日曜日は高水山トレイルレース。と言っても私はエントリーしていないので参加しない。同じ日に予定していたハセツネ32Kにエントリーしたのだがこれが中止。他の多くのレースが中止される中でこの高水山トレイルは貴重なレースだ。ここの職場の数人がエントリーしてあり試走をするということでお付き合いした。
普通に15Kmのコースをそれなりに。一部の方は30Kにエントリーしてあったので彼らは榎峠往復。
天気は良いがまだまだ風が冷たい一日でした。帰途は河辺駅前の「梅の湯」で食事。先週と同じだぁ。
暑さ寒さも彼岸まで、のはずだがまだ冬のように寒い。白い息を吐きながら朝ランを10Kほどしてから自治会の集会。今は役員が入れ替わる時期だ。4月から自治会長になる。順番でこうなるわけだ。これからの一年はこれまでのように行事をサボるわけにはいかない。
ところで、大震災のあとでもっぱら「自粛」ムードが日本全土に蔓延している。TVではバラエティ番組はとんと放映されない。ACばっかり。日本人全員が「いい人」になっている感じ。これは悪いことではないのだが。。。
いろいろなイベントが軒並み中止になっている。私がエントリーしてあったランニング系の大会が3つも中止された。こうした自粛の影響でイベント会社が倒産したとか。
イベントを実施するうえで計画停電とか列車運行の影響で参加に問題があるとか、警備要員が集まらないとか、機材が集まらない、と言う理由で中止されるのは十分に理解できる。こうした理由の場合は実施すべきではないでしょう。
「自粛」をすることは経済活動が委縮していること。これから災害復興に10兆円、20兆円の費用がかかるといわれているなかでこれ以上経済活動が委縮したらその費用が生まれてこないのでは?でも今は被災者のことを考えると飲んで騒げ、なんてことは言えない。
一刻も早く、これまで通りの経済活動ができるような状態になることを祈るのみ。今回の災害に対する復興の戦いは長いでしょう。被災者に対する「思いやり」をづっと持ちづつけないとね。日本人は「熱しやすく、冷めやすい」と言われているのでちょっと心配。
東北太平洋沖大地震。情報が次々と入るたびにこれは大事だと自覚するようになった。65年前に始まった戦後の復興に匹敵するような努力と奇跡を起こさないと日本は沈没するかもしれない。中国の新聞の見出しには「日本沈没」とあったそうだ。外交的にはちかごろ中国、ロシア、韓国が弱体化した日本に攻勢をかけている。これに追い打ちをかけるよう行為が無いとは言えない。このまま弱体化した日本にするわけにはいかない。戦後日本の奇跡の復興を再現する必要がある。
こんなに高度の技術力を持っている国、こんなに高い品質の製品を提供する国、こんなにも自制心のある国、こんなにも互いの思いやりをもった国、こんな国ってあまりないよね。たぶん。人口が減少している中でこれからは「量」を基準にして成長戦略を作るのではなく「質」を基準に国づくりをしていくといいと思う。製品の「質」、サービスの「質」。こうした「質」を高めて日本の立ち位置を確立するといいと思う。なんて言う抽象的なことを考えながら走ってきた。
そう、今日は立川・昭島マラソンの日でした。ハーフにエントリーしてあり職場の方々4人と一緒に走る予定をしていた。ところが大地震の影響でこれが中止。そもそもこの大会の会場には防災センターもあり広域避難所になっている場所。余震の可能性のある現在はこんなところでマラソン大会なんぞは不適切でしょう。と言うことで納得した。予定が空いたので、いつもの狭山丘陵の旅をした。狭山湖、多摩湖周回で「かたくりの湯」がゴールのコース。
会社が入っている建物は5年前くらいに建築されたので耐震性は高いはず。なのでそれなりに安心していた。その6階から周囲の建物を見ているとあの頑丈な建物が揺れている。室内は大きくゆっくりと揺れている。電車がポイントを通貨するときのような感じ。天井からぶら下がっているちょっと気取ったライトが大きく揺れて同じように隣にぶら下がっているライトと接触。ガラスのフードが割れた。被害はその程度。非常階段を下りてみると亀裂が入っていた。
それでもこんな揺れは始めての経験だ。ニュース映像や映画で見たあの崩壊する建物の姿が頭に浮かんできて恐怖心が芽生えた。
何回も押し寄せる余震。最悪に事態を想像してしまう。
妻に電話したが通じない。メールも送ったが返信がない。今日は親戚の方々と山梨に出かけている。息子は仕事。電話が通じない。娘は今日帰国で成田に夕方到着のはず。
7時ころになってようやく電話が通じた。妻はまだ上野原近辺の高速道路。息子は無事に帰宅したとか。家の中も無事だったようだ。娘は関西空港に着陸したとか。やれやれ安否が確認できた。
で、こちらは会社。かと言って仕事をする気力もなし。本を読んだり、Mixiを見たり、YouTubeを見たり、動画ニュースで地震の被害を見たり。
そうこうしているる海外のオフィスからインスタントメッセージがどんどん来る。安否を心配してのことだが毎回同じ質問と回答。ありがたいがちょっとうんざり。
職場は6階。非常階段で1階のコンビニに食料を確保しにいくと棚がほとんど空。食べられるものをとにかく買い込んだ。梅酒も一本。歯ブラシなんぞのお泊りセットも。
職場には50人ほどが宿泊。通勤時間でフィルターがかかったわけだ。悲しい遠距離通勤者が取り残された。
これから会議室で寝る。GoodNight
2月はあまり走らなかった。右足の違和感が残っていたので念のため、少し休んでいた。
それでも特段の回復は無し。走るには大きな支障はないので3月からまた走り始めた。今週は火曜日と水曜日に皇居ラン。
頑張りました。当然のようにランの後は食事会と言うか宴会と言うか、そんな感じ。ランの後だと食事が始まるのが遅くなる。当然、終わるのも遅くなる。遠距離通勤の私は帰宅も遅くなる。睡眠不足。
今日は早く帰った。早く寝る。
ところで、今読んでいる「驚異のプレゼン」は実に役に立つ。良書だ。
高校の同級生の中にクラス会好きがいる。いつも独りででクラスの皆さんに電話をかけまくってクラス会を企画してくれる。その電話攻勢にへきえきとしている方もいるようだが結果的にクラス会が開かれて楽しい時間をすごすとそんなことをは忘れてしまう。今回も当時の担任も含めて23名が参加。ほぼ毎年のことだ。場所はいつも五日市駅近くの居酒屋。同級生の息子さんが開いているお店を使っている。今回はその前に「瀬音の湯」に有志が集まることになった。
そんな企画があった。せっかく五日市方面に行くのでその前にトレイルを走ってから「瀬音の湯」に行くことにした。
鳩ノ巣駅から走り始めた。快晴。真っ青の空。気持ちいい日だった。ここから越沢バットレスを経由して御岳山を目指した。ここは一度下ったことがあるコース。すぐに雪がでてきた。三週間前に降った雪が日陰にはしっかりと残っていた。1.5時間ほどかけて御岳山の到着。神社にお参りした。こんな山の上によくもこんな街を作ったものだ。
ここから大岳山に向かった。
Read more »
ひな祭り。20年以上も前に買ってもらったお雛様。今年も忘れていてひな祭り直前にあわてて飾った。
主である娘は今年の春に大学卒業。彼女は不登校で小、中学には殆ど行ってない。もちろん高校も行ってない。それでも高卒認定試験を受けて大学に行った。受験勉強3か月で合格してしまった。まあその程度の大学だけど嬉しかった。
その娘が18歳の時に突然ニュージーランドに行きたいと言って二週間の語学留学。一人で行ってきた。びっくりこいた。そして今月は大学卒業。
今年度大学卒業生のうちの1/3が就職が決まっていないとか。娘はその中の一人。と言うよりも就活をまったくしていない。ただ娘を信頼して将来を案じているだけ。
その娘はしっかりと卒業旅行に出かけてしまった。ドバイ経由でウイーン、プラハの旅。しっかりと楽しんで欲しい。
昨夜はTV会議に参加した。アメリカ、ヨーロッパとの三極。通常は電話会議なので遅い時間の場合は自宅から参加するが今回はTV会議を使って長時間の打ち合わせになった。日本時間午後8時から深夜までの4時間。
職場のTV会議施設を初めて使って驚いた。音声は、ちょっとしたささやきも拾って伝える。画像はほとんど遅延がなく映し出す。すばらしい。相手とは実際に目の前にいるような感覚になる。まさに目と目を合わせて会話している感じになる。
TV会議は15年以上前に当時の会社で導入を検討したことがある。当時はISDN64KBの回線を二本使った。画像はかなり遅延するし乱れる。当時とは隔世の感がある。
改めて技術の進歩を感じた次第。
相手側の参加者が写真を撮って送ってくれた。なるほどこんな感じで見られているわけだ。