今週はシドニーで仕事。土曜日の夕方に成田を発ってシドニーに今日の早朝到着。6:30分定刻でした。当然ながら眠れませんでした。
でも、昼間から寝ていると根がはってしまいそうなので市内観光の自転車ツアーに参加した。かわいらしい大学生がガイドになって、参加した3人を案内してくれた。しっかりしている女学生でした。参加者は私と二人の米国人女性。たぶんあの方々はXXなんでしょう、なんてどうでもいい詮索をしてしまった。典型的なお二人。。。。
市内をたっぷりと5時間引き回されました。でも天気が良くていろいろな所を案内してもらった。こちらは南半球。冬だというのでウインドブレーカ、手袋、としっかりと寒さ対策をしてきたがなんとTシャツでも走れるような天気になった。
有名なハーバーブリッジを走って対岸に行きしばし散策。しずかな海を見下ろす上品な公園で一休み。Fish Marketにも行きました。築地市場に行ったことがないので比較できないけどここもいろいろな魚を目当てに観光客でごったがえしていた。東洋人が多い。やはり魚を食べるのは東洋人なのか?
オペラハウスを通ってサークルキューへ。この辺はお台場と同じですね。海辺のレストラン、商店、バー。。。。おしゃれな店が並んでいます。
睡眠不足でちょっと疲れた。夕方には、米国から今回の仕事に参加する二人と合流して食事。明日からの一週間は大事な週だ。しっかりと仕事をやり遂げるつもり。
「決意や迷いを文字にすることで、人は、自分を励ましている。と、今朝の新聞広告にあった。確かに。つぶやくのもいいかも知れない。」とツイートしたのが数日前。
その後、職場のランニングサークルの監督に会った時に「ウルトラに参加することを考えている」と、初めて話をした。この瞬間に参加を決めた。そう、声に出してみることで決意が固まりました。ランニングの先輩たちにとってはたかがウルトラへの参加、と言うことになるかもしれないが私にとっては大きな決断だった。
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坂東と西国三十三観音と並んで有名な秩父三十四観音の札所をめぐる遍路。平成16年12月、平成17年3月そして4月にそれぞれ一日づつ回って結願した。あのときは、一日目は経験がある友人が一緒に自転車で案内してくれた。二日目は一人で自転車で回った。そして三日目は家族で自動車で回った。狭い秩父盆地に点在する34か所の札所はほとんどが盆地にお中心に集中しているので回りやすい。ところが三十番以降はそれなりに郊外に点在するので時間がかかる。
この時以来、秩父には自転車で何回も足を運んだ。あの狭い盆地にあれだけの寺があることからもこの地に住む人たちの敬虔な宗教心がうかがえる。田舎の風景が残り農民文化、伝統が残っている土地だ。秋に行われる龍勢まつりは庶民の打ち上げるロケットが勇壮だ。こうした伝統が守られているのが嬉しい。もちろん真冬の夜祭もいい。
自転車で走るのにいいコースがたくさんとれる。
そんな秩父札所めぐりをもう一度してみたい気になってきた。一番から三十四番までをめぐると約100Km。いい距離だ。走ってみたいな。何日かかるかな。そんなせわしいことをしなくても、と思うがどうでしょう。
前回は朱印帳に記帳してもらうとそそくさと引き揚げてしまったが今回はもう少しゆっくりと回ってみたい。
渋谷のUplinkで公開されていたこの映画が今日で最終日になるので休みを取って出かけてみた。たかが映画のために休むのかと言えばそうだが夏休みで多くの人が休んでいるのでおつきあい。
見たのは2009年のツールドフランスに参加したチーム コロンビア・HTCのドキュメンタリ。ツールの様子はTVとかネットでしばしば見てきた。この映画はツールに参加している選手はもちろんコーチ、メカニック、マッサー、、、、、30人余のチームメンバーの内面を正直に映し出していた。レースでは結果的に個人が脚光を浴びることになるなるがその個人を支える人たちチーム全員の戦いであることがよく分かった。アシストと呼ばれる選手が最後まで一人の選手の前を走って助ける。その選手はゴール直前に前にでてゴールする。30人が一人の選手を支えているわけだ。この辺は海外での大きな登山と同じだ。これも最終的に頂上をアタックできるのは少数だ。こうした最後の一人あるいは少数はどのように選ばれるのか興味がある。誰がどのような基準で選ぶのでしょう。それが残りの人たちに納得してもらわないといけない訳だ。何年も前のことだがヒマラヤ登山隊が最終的なアタック隊を選んだ時にそれに漏れた隊員が大きな不満を持ち涙で訴えていた様子をドキュメンタリTVで見たことがある。
それにしてもツールに参加するような選手は尋常ではない体力、技術と気力を持っているようだ。150Km以上の距離を毎日走る。それも50Km以上のスピードで。峠を下るときには90Km以上のスピードで狭い道を下る。命がけだ。度胸試しみたいなものだ。私のような一般ライダーは一瞬だけ平地で40Km,下りで50Km位で走るのがせいぜいだ。彼らはこれを20日間継続するわけだ。
あまりにも自分の能力とかけ離れていたのでまさに別世界。この映画をみても自転車を頑張ろう、とは思えなかった。
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD19057/
20代は登山に明け暮れていた。と言ってもサラリーマンだったので週末を使っていろいろな山に登っていた。春夏秋冬。社会人山岳会に入っていた。その山岳会は今年で創立50年。私は10期生。つまり入会以来40年が経過したわけだ。と言っても実際に会ととともに登山活動をしたのは10年たらず。今では一年位一度くらいOB・OG達と温泉泊で日帰り登山をする程度になっている。
それにしても50年も続いている山岳会はそれほど多くはない筈。かつてはいくたの山岳会があったが今ではかなり少なくなっていると思う。そのOBの一人が昔の写真をデジタル化してネット上にアップしてくれた。まだその数はすくないがその中に自分の写真を見つけた。懐かしい。
それぞれ別の場所、時期にとられたもののようだが思い出せない。左は5月連休の春山のようだ。右は後ろに剣岳が見える。前穂高か後立山から撮ったような感じ。八峰かも知れないが記憶は定かではない。
いずれにしても50周年の集いは来月計画されている。ひさびさに古い山男、山女に会えるので楽しみにしている。
最後といっても自治会役員としては最後と言うこと。7回目の暑い夏祭りが終わった。地元の熊野神社の夏祭り。
前日の午後から暑い日差しの中、いろいろと準備をした。テント設営、花場設営、万燈設営、机、椅子、、いろいろとある。神社の役員は神輿の準備。
で、当日の今日は朝7時に集合。最後の準備は神輿の調整。子供用なので小さいがそれなりに重い。
そうこうしているうちに子供たちも集まってきた。小学生ばかり。中学生はもうこういう行事には興味がないらしい。
そしてしめやかに神主の祈祷。玉ぐし奉奠。 そして神輿巡行が始まる。
二時間半をかけて狭い町内をぐるぐると回りそれぞれの家庭からお賽銭を頂く。神輿を担ぐ子供たちは皆小学生で身長がばらついている。そのせいか一部の背の高い子供に負荷がかかってしまい途中から方に担ぐかわりに手で持って運ぶようになった。中にいは手を抜く子供もいる。すると真面目に持っている子供が不満をもらす。同じ高さに持つ必要があるので難しい。相手を思いやりチームワークが必要。でも子供たちにはそこまでわからない。ひたすら頑張る、と言う感じだ。
途中、3回ほど休憩する。その都度、水分と食料を補給。これが役員の重要な仕事で忙しい。水をポリタンクに入れて氷で冷やし、ジュース類、食べ物を軽トラックに積んで先回りするが大忙しだ。
出発点の熊野神社には花場に多くの花がかけられていた。不思議なことに自治会長はこの祭りのために大変な勤労奉仕をするのに加えて一万円也を寄付するのが習わしだ。ちなみに三役と呼ばれる会計は5000円、副会長は7000円。
巡行が終わったら子供たちは子供会役員の元でそれなりのイベントがあり大人はビール。一息ついたところで社務所で食事。
でも役員は飲んだあとも仕事が残っている。テントを解体したり机、椅子等々をかたずけないと帰れない。暑い中、汗をかきながら一仕事をしてから帰宅。疲れました。