Category: 日常生活

外ランチもたまにはいいものだ

3.11の後、しばらくオフィスに入っているローソンの品物がなくなった。そして職場の周辺のレストランも閉めている店が多かった。と言うことで妻に弁当を作ってもらった。弁当と言っても質素。おにぎり二つ。そして前夜の夕食とその日の朝食のおこぼれをタッパーに詰めるていど。

その緊急避難的だったお弁当が恒常化した。物流が回復しローソンにも品物が届きレストランも開店した後も弁当は継続してもらった。それが今でも続いている。

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映画『チェイシング・レジェンド』

渋谷のUplinkで公開されていたこの映画が今日で最終日になるので休みを取って出かけてみた。たかが映画のために休むのかと言えばそうだが夏休みで多くの人が休んでいるのでおつきあい。

見たのは2009年のツールドフランスに参加したチーム コロンビア・HTCのドキュメンタリ。ツールの様子はTVとかネットでしばしば見てきた。この映画はツールに参加している選手はもちろんコーチ、メカニック、マッサー、、、、、30人余のチームメンバーの内面を正直に映し出していた。レースでは結果的に個人が脚光を浴びることになるなるがその個人を支える人たちチーム全員の戦いであることがよく分かった。アシストと呼ばれる選手が最後まで一人の選手の前を走って助ける。その選手はゴール直前に前にでてゴールする。30人が一人の選手を支えているわけだ。この辺は海外での大きな登山と同じだ。これも最終的に頂上をアタックできるのは少数だ。こうした最後の一人あるいは少数はどのように選ばれるのか興味がある。誰がどのような基準で選ぶのでしょう。それが残りの人たちに納得してもらわないといけない訳だ。何年も前のことだがヒマラヤ登山隊が最終的なアタック隊を選んだ時にそれに漏れた隊員が大きな不満を持ち涙で訴えていた様子をドキュメンタリTVで見たことがある。

それにしてもツールに参加するような選手は尋常ではない体力、技術と気力を持っているようだ。150Km以上の距離を毎日走る。それも50Km以上のスピードで。峠を下るときには90Km以上のスピードで狭い道を下る。命がけだ。度胸試しみたいなものだ。私のような一般ライダーは一瞬だけ平地で40Km,下りで50Km位で走るのがせいぜいだ。彼らはこれを20日間継続するわけだ。

あまりにも自分の能力とかけ離れていたのでまさに別世界。この映画をみても自転車を頑張ろう、とは思えなかった。

http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD19057/

自社製品を使ってみました

我が社は医療器機を親会社から輸入して販売している。愛社精神があると言ってもその製品の性格上できることならば使わずに生活したいとおもっている。そして、幸いにもこれまでは使わずに済んでいる。

そんな我が社の製品の一つを試せる機会が今日あった。社内で定期的に行われている自社製品の説明会で取り上げられたのは糖尿病治療の機器。通常はスライドだけのプレゼンテーションだが今回は製品を実際に試した次第。

糖尿病の患者は通常毎日3,4回もインシュリンを自ら注射する必要がある。I型糖尿病と呼ばれる患者は子供も多い。こうした子供も同様に自ら注射する。

こうした毎日の注射から開放される機器が我が社のインシュリンポンプだ。携帯電話とほぼ同じ大きさの機械をベルトに付け、その中にインシュリンを入れておき微量を腹部にさした針を通して持続的に供給する。一旦針を刺すと3,4日はそのままにでき入浴もできる。

その機器をセットし実際に針を腹部に刺してみた。針は腹部に約6mm入る。刺す時に思い切りが必要になるが簡易な装置があり簡単に安全に刺せるようになっている。

実際に差してみるとあっという間にできた。痛みはほとんど感じられない。注射をする時ほどの痛みもなかった。

この機器を装着したまま普通に運動もできるらしい。これで毎日繰り返す注射から開放されるのは患者にとって大変な進歩になることと思う。同様の製品は他に無いとのこと。より多くの患者にこの朗報を知って欲しいものだ。

セヴァンの地球のなおし方

1992年の第一回地球サミットで当時12歳の少女が行った大人への挑戦状といった感じの訴え。その鋭い問いかけに誰もが反論できなかったと思う。私も遅ればせながら今になってこれを聞いて衝撃をうけた。

http://youtu.be/XjlUyVnDGIA

If you do not know how to fix it, please stop breaking it(なおし方を知らないならば壊さないで)

我々は便利さを求めてつぎから次へと色々な物を作り出してきた。その代償として自然を破壊し、新たな化学物質を垂れ流してきた。その究極が原子力。制御出来ない原子力発電所の事故で地域を、家族を、自然を破壊してしまった。

こうした現状を12歳の少女が19年も前に警鐘を鳴らし変化を促した訳だ。

この少女をテーマにした映画「セヴァンの地球のなおし方」。 Trail Walkerな方から紹介されて見てきた。場所は渋谷のUplink。この小さな映画館では自転車物を見たことがある。

映画は彼女の故郷であるカナダの漁村で環境汚染のため漁獲量がどんどん減少して行く様を紹介。フランスの農民は農薬が原因でガンになり入院したらその治療薬のメーカーと農薬のメーカーとが同じだった言う笑えない矛盾を紹介していた。その後は日本、フランスなどで行われている環境保護の為のいろいろな対策を写していた。福岡県で合鴨農法を実践して無農薬で多くの収穫を得ている農家も紹介されていた。

それぞれのエピソードに登場する当事者の一言一言がずしりと重い。

その彼女も現在は30歳を過ぎて一児の母親になった。20年前に訴えかけた大人の仲間に入り、今となっては自分がその訴えに応える責任を持つ立場になっている。彼女がこれまでに何をしてきたのか。映画の中では紹介がなかったのがすこし不満だった。あとから調べてみると彼女は立派な環境活動家として父とともに各地で活動しているようだ。日本にも来ている。すこしほっとした。

彼女のスピーチは環境汚染がなかった古代文明の生活の戻れと言っているわけではないと思う。こうした環境汚染の防止と文明の進化とは共存できないものか。人類の成長と言う意味で文明の進化は善であると思う。しかし、その代償として環境汚染を受け入れることはできないでしょう。

環境汚染を防ぎながら文明を進化させ、より豊かな生活をできる方法を見つけていく必要がある。そういう知恵を人類は持っていると信じたい。身の回りの無駄の排除。ここがスタートポイントでしょう。

夏祭り準備とお盆送りのことなど気慰めに。。。

暑い日が続く。

朝から公会堂に集まって夏祭りの案内送付の準備。100軒以上の家に8月7日の夏祭りの案内状を送る必要がある。なにしろこれで「花」をもらえるわけなので大事な仕事。集まった自治会役員で手分けして案内状を折りたたんで封筒にいれてあて名書き。クーラーのない旧式の公会堂では扇風機の風だけが頼り。ところで紙を扱っているとこの風が敵になる。飛ばされてしまう。

苦労して作業を終えたらこんどはこれを分担して配布する必要がある。郵送しないで手作業で配るわけだ。狭い市内に住んでいるので歩いてポスティング。でも今日はしなかった。昼近くなってあまりにも暑すぎる。明日の朝、手分けして配る。

午後は実家に行ってお盆送り。今日でお盆の期間が終わるので家に来ていた先祖の魂を墓に送り届けるわけだ。魂を背に背負った気になって墓地に。

クーラーを使わない生活が続いている。扇風機の風で何とかしのいでいる。そういえば先日妻の実家で物置を整理していたら妻の小学生のころの夏休みの日記がでてきたとか。それを見ると気温が30度を超えた日は数日だけだったと言っていた。50年以上も前の夏休み。三丁目の夕陽が見えてきた。

静かな一日に思うこと

前夜の天気予報だと今日は雨。したがって体育会系の予定は立てないで文化系活動を、と思っていた。ところが朝、目が覚めると鳥の鳴き声がうるさい。雨は降っていないのかな、と外を見るとなんと晴れ。ありゃまあ、と言う感じで不思議に落胆してしまった。予定が狂ったことでの落胆でした。

でもって、気持ちを取り直して多摩湖コース15kmのラン。散髪。そして家人が出払った午後は静かにReadingしたりネットで秋のランニングの大会を物色。9月に2つの大会にエントリーしました。トレイルとハーフです。有名どころはすでに締め切ってますね。10月以降の状況はまだ視界不良なのでエントリーできてない。

最近読んだ本。「言葉の誕生を科学する」(小川洋子+岡ノ谷一夫)。なんとも不思議な本です。言葉を話す動物は人間だけでなく鳥も、クジラも話すらしい。少なくともいろいろな周波数、トーンの鳴き声、声紋、をいろいろと組み合わせてコミュニケーションを取っているらしい。こうした動物の鳴き声だとかさえずりをいろいろと研究している神経生態学者と作家との対談集。

対談の内容はあまり理解できない部分が多かった。門外漢には具体的なイメージが浮かんでこない。それでもところどころになるほど、と思うような言葉もあった。そのうちのひとつがこれ。私なりの解釈です。誤っているかもしれません。

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現代病と言える生活習慣病。かつてはいつ食糧が不足するかわからなかったので体内に脂肪と言うかたちでエネルギーをたくわえてきた。ところが、現代では多くの場合この食料不足は考えられない。なのにこれまで通りにエネルギーを蓄えようとしてきた。この過剰エネルギー摂取によってもたらされる弊害。これが生活習慣病。

現代では同様に、情報習慣病も考えられる。

この解説をする前に。コミュニケーションには、意図のコミュニケーションと内容のコミュニケーションと二種類ある。前者は「~してほしい」「~と思う」と言うことを伝えようとするコミュニケーション。そして後者は、ことがらを伝えるコミュニケーション。つまり「事実、様子」を伝えること。確かに自分が書くメールの内容もこの二種類に分けることができそうだ。

現在のような情報社会で「内容のコミュニケーション」がほとんどである。これは、メール、ブログ、SNS、、、などで伝わっているのはこうした「ことがら」つまり誰が何をした、今度何をする、これが発表になった、、、、などなど。こうした「内容のコミュニケーション」の特徴は「つながっていること自体」を確認するためのコミュニケーションである場合が多い。

過去には、敵が攻めてくるから態勢を整えよ、と言った「意図のコミュニケーション」が多くそれは死活問題だった。ところおが最近の「内容のコミュニケーション」では生きるためのコミュニケーションと言うよりも「つながりを確認する」コミュニケーションになってきている。こうしたコミュニケーションはもちろん必要であり否定はできない。

しかし、生死に無関係な内容のコミュニケーションの過多による弊害があるのではと本の中のお二人は言っている。それを情報習慣病と呼んでいる。

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なるほど、なんとなく納得できる部分がある。誰が何をした、今どこにいる、と言ったコミュニケーションがどれだけ意味を持っているか。意味はある。こうした日常の小さな内容のコミュニケーションを積み重ねてより深いコミュニケーションがとれるようになると言う意味はある。この辺は「tsudaる」、で有名な津田大介さんが主張していることだ。ただし、こうしたコミュニケーションが過多になることの弊害をあのお二人が警鐘しているわけだ。どんだけが「過多」になるのかはたぶん個人によってことなることでしょう。自分への警鐘として受け止めた次第です。

石巻災害支援ボランティア

6月8,9,10日の三日間、石巻で支援ボランティアに参加した。たった三日間、しかも特定の地区で行ったこと感じたことを書いてみる。あれだけ広域の大規模な災害の中ではごくごく一部のレポートです。

 

わが社には6つのミッションがあり6番目は、「私たちは企業としての社会性を向上させ、社会の良き一員であり続けるよう努力します。」となっている。この6番目のミッションの実践のために行っているのがProject6.いろいろなCSR活動をしているがその一環でCSR委員会が企画してくれた石巻市災害ボランティア。なにしろ会社がバスを用意して現地まで連れて行ってくれるし、必要な装備、食事は準備してくれるし、夜はおしゃれなリゾートホテルに宿泊できるし、なんともめぐまれたボランティア活動。

 

3.11以来、どれだけ被災者の気持ちを理解し支援できるか考えてボランティア活動を希望していた。それでも今の自分はサラリーマン。簡単に休むことはできない。若いバックパッカーでもないので寝袋、テント持参で出かけることもできない。そんな中で、会社からこうして企画を提案されたので即刻応募。参加することになった。

 

会社に8日の早朝に集合し東北道をバスで北に。1時過ぎ、石巻市にあるピースボートの活動拠点に到着。石巻港から1kmくらいのところにある被災して無人となった3階建てのオフィスビルの1階を拠点にしている。ここに支援機材を集めボランティアが寝泊りし近隣の支援現場に出向いている。水道は開通しているが電気はまだ点かない。トイレはもちろん仮設。ポータブルのガスコンロがいくつかあるがお湯を沸かすだけ。調理はできない。ここに宿泊するボランティアは数十人。皆、調理なしで食べられる食料持参で来る。皆、若い。この時期は我々のようなサラリーマンがボランティア休暇で来ている。長期で滞在する若いボランティアも多い。しっかりと統制がとれた拠点だった。

 

拠点の周辺は一階が水に浸かった半壊地域。殆どの家は一階の家具類は流されてしまったり、その後に運び出されて何もない。二階はそのまま残っている家も多い。中には内部の修繕を始めた家もある。道路には流された車とか大きなガレキはほとんど撤去されて残っていない。この辺は行政が重機を使って整備したようだ。残った各家の敷地には小さなガレキが残っている。

 

一日目は

昼過ぎに現地に到着したので2時間だけ活動。500坪くらいの畑に残ったガレキの撤去。行政はこうした私有地の中はまだ対応できていないが20人以上で作業すると二時間で終わった。全員がそれなりの達成感を感じて一日目の作業を終えることができた。

初めてのことで少し緊張して身支度を整える。長靴の中には釘の踏み抜きを防止するためのインソールを入れる。ガラス破片を扱く時には皮手袋、防塵マスク、ゴーグル、帽子、ボオランティアであることを示すビブシャツ、各班のリーダーはオレンジ色。食料を入れるザック。こんな感じの装備で出かけた。

始める前の畑。

これだけにきれいになった。

拠点に帰ってから道具の掃除。

バスで名勝松島にあるリゾートホテルに向かった。約1時間かかる。松島を見下ろす高台にある瀟洒なホテル。避難所に暮らす被災者のことを考えると申し訳無い気になる。

 

二日目。

現場に行く前に被害のひどかった地域をバスで通り抜けた。ここも道路に横たわる車とか大きなガレキはすべて撤去されていた。そして何も残っていなかった。メディアを通して見たそのままの姿が目の前に広がっていた。何と言う光景なのか。言葉がない。

気を取り直してこの日の現場に向かう。この日は近くにある小さな公園。ここは一時的に大きなガレキが堆積されていた。重機で大きなガレキは撤去したが小さなガラス片、そしてヘドロが混ざってしまった公園。ここに将来子供たちが戻って再び遊べるようにこうしたガラス片、ヘドロを撤去するのが目的。土地は乾いて硬くなっていた。ツルハシで柔らかくしないとシャベルで土を掘れなかった。堀った土を土嚢袋に詰めて道路に積み上げる。そんな単純な仕事。ここも重機は入らない場所。人手で進めるしかない。太陽が高くなって暑くなった。だんだんと皆の口数が少なくなってきた。すぐ近くで同じ拠点からきているIBMラグビー部の10人ほどがテンション高く大きな声を掛け合いながら作業している。かれらは側溝にたまっているヘドロをくみ上げていた。マチョ集団の力強い活動に我々もすごく勇気づけられた。

この日のピースボート側のリーダーはかわいらしい若い女性。独身男性の心が和んだ。そしてオジサンたちも。

 

この日だけではここでの作業は終わらなかったがとりあえずきれいになった。

 

三日目。

4時に起きた。ホテルの近くにある松島をランニングで見物した。6Km。海岸まで下っていくと街並みは想像以上にきれいだった。TVのニュースで遊覧船が復旧したと聞いていたが確かに何艘もの遊覧船、そして多くのヨットが係留されていた。しかしながら、近くに見える小島への橋は通行止めになっていたり、海岸沿いの遊歩道はところどころが寸断されていた。松尾芭蕉が歌に詠んだあの松島。個人的にはそれほどの感激はなかった。曇り空で薄暗かったせいかその美しさはあまり感じなかった。6時にはホテルを出発するので時間を気にしながら走った。有名な瑞巌寺にも行ったが境内はまだ閉じていた。外にある洞窟群だけはみることができた。

 

毎朝、ラジオ体操と拠点責任者からの指示で一日の活動が始まる。

 

この日は家を流された個人宅が現場。大きなガレキは撤去されているが流れ込んだ砂、ヘドロを撤去した。途中参加の人たちも含めて30人近くが参加した。

 

ここは全壊地域と呼ばれている海岸により近い地域。まさに全壊だ。

前日と同じように砂、ヘドロを土嚢袋に入れる作業。重機が入れば簡単な作業かもしれない。でも手作業で進めるしかない。この家の主人も来てくれてジュースの差し入れを頂いた。そんなことしなくてもいいのに。早く再建したいのだがこの地域は危険地域にしていされており今後の建築計画ができないとか。行政の一刻もはやい都市計画が必要だ。

 

この地域も新しい家が並んでいた筈。平穏な生活が続いていたのに一瞬の津波でそれがすべて消えてしまったわけだ。何とも無念なことだろう。

今回活動した地域は半壊、全壊地域でそこに住むひとは少ない。殆どが避難所生活をしているはず。残念ならら地元の方々とのふれあいは少なかった。それでも残っている地元の方々は我々が通ると深く頭を下げて「ご苦労様です」と言う。何軒かは残った家を修繕をして元の生活に戻ろうと努力している。頑張れ。

 

たった三日間の支援。被災地からみると小さな小さな「点」での支援だった。こんな小さな支援の積み重ねが大事だ。行政は大きなガレキを撤去したせいか道路は広くなった。一見すると何もなかったような街並みもある。それでもこれからは重機が入らない個人宅の整備、きめ細かい手作業による支援が重要になってくるような気がした。こんな時、ボランティアの手が必要だ。今回お世話になったピースボートもボランティアを受け入れている。食糧は自分で用意する必要があるが宿泊所は用意されるらしい。学生が休みになっていない現在は特にボランティアの数が不足しているとか。多くの人に参加してほしい。http://www.pb-kyuen.net/

 

 

息の長い支援が必要だ。支援の輪が必要だ。

岡ちゃんの講演

今日と明日は会社のManager’s Kick Offと言う年度初めのイベント。100人くらい集まった。例によって年度方針とか全社的なプロジェクトの話とかの話の後で講演者が登場。

知らされてなかったが今回はサッカーの岡田監督。

すばらしい話を聞きました。

全力投球して選手と付き合いチームを作ってきた過程を熱く語ってくれた。リーダとしての在り方を説くこうした講演は企業向けにぴったりだ。苦しみぬいて見出したリーダーとしての振る舞いかた、それが思うとおりに行って試合に勝ったときそれを「ゾーンに入った」と表現していた。心理学、生理学、禅、、、いろいろな本を読んであるべき姿を探し求めていた。

リーダーは選手に与えるのではなく、選手の持ち味を引き出すこと、これが重要とのこと。選手の能力、勝ちたいと思う思い、いろいろなものを引き出すのがリーダーの役割。そうすることで試合中に誰もがお互いのことを理解し阿吽の呼吸で意思疎通ができるようになる。

意思決定。試合の前に11人を選ぶ必要がある。誰を選ぶかが難しい。苦しむ。こんなときには無心になって、腹をくくって決断する。たとえ非難を浴びても自分が全責任をとって選択をする。

こうしたことの積み重ねで前回のワールドカップの時にはすばらしいチームができあがった。この辺は試合後のインタビューの様子からも垣間見られた。

いろいろな話をしてくれた。感動して涙がでてきた。苦しみぬいてそこを通り抜けた人の話は強い。改めてに岡ちゃんを見直した。

こんな雨の日は徒然に。

朝から雨模様。今週末はこんな感じでしょう。

こんな日はゆっくりと家の中で過ごすのがいい。それでも朝には多摩湖周回の10Kmコースをラン。楽しく走れました。セントロニンがたくさん放出されたかな。

後は、無線LANルーターを新調した。iPadで使っているがSpeedTestを使ってみるとなんと3MBpsと言う遅さ。有線でつながっているPCは25MBps位まで行くのに対してこの3MBpsはあまりにも遅い。もう何年もまえの無線ルータを使っているせいでこの遅さなのかなと思って最新に変えてみた。新しい規格がどんどん提供されているので早いはず。

ちょうど新聞のチラシに特売の案内があったのでこれにした。

http://www.pro.logitec.co.jp/pro/g/gLAN-W300NR/

簡単につながって速度を測ってみると12Mbpsになった。さすが。本当はもっと早くなると思うがあまりよく分からない。これで満足です。

そう、最近FaceBookを始めた。つまり登録して書き込みを始めてみた。Mixiと同じSNSだけどきめ細かいね。USのサービスとしては意外。日本のサービスの方がきめ細かい機能をサポートしているような気がするがFacebookとくらべるとMixiは雑。見劣りがする。そういえば最近Mixiってどうなんでしょう。会員数は伸びているのでしょうか。個人的にはマイミクさんのアクセスが減ったような感じがする。

そのFacebook。何しろ本名での登録が原則。その昔の知り合いがふっと舞い戻ってくるかもしれない。
そして、日記と言うよりもTwitterのつぶやきの寄せ集めと言う感じ。そこに写真とかコメントが豊富に追加される。誰が誰にどんなコメントをしたか、なんてことが詳細にわかる。

iPhone, iPadを使っていると隙間時間にアクセスすることが多い。仕事中のほっと一息入れる時、たぶん喫煙者だったら一服、と言うタイミングにFacebookにアクセスしてみる。すると、それなりの息抜きになる。

http://www.facebook.com/  本名で登録しています。

まあ、そんな感じで使ってます。

そうそう、Twitterで発信するとそれがMixiとFacebookに届くようになりました。楽ちん、です。

Twitterについての私の印象。

それば、すでに起こった未来を知ることができる。なんてね。

半世紀の年輪

昨日は小学校の同窓会。実に半世紀ぶりの再会でした。昭和37年卒業。まさに「三丁目の夕陽」の時代だった。日本が高度成長に踏み出した時。

小さな小学校で我々の学年は30人のクラスが二つ。その中の23名が参加。6人の教師も参加してくれた。教師はほとんどが80代。でもかくしゃくとしてお元気そう。なによりです。そして50年前の生徒のことを思い出してくれた。大したものだ。私のことも覚えていてくれた。兄弟で成績が優秀だったので秀才一家と見てくれていたようだ。照れます。しかし、「末は博士か大臣か、二十歳過ぎればただの人」、が当たったようだ。

久しぶりに、「みのちゃん」と呼ばれた。いいですね。「やっちゃん」、「さっちゃん」、、、、、でも、当時の顔がどうしても思い浮かばない。教師の顔は思い出せたがそれぞれの生徒の顔が出てこない。名前は覚えている。出かける前に古いアルバムから当時の記念写真をみたが思い出せなかった。かろうじて自分の姿と教師は認識できた。昨年あった中学校の同窓会ではそれぞれの人の当時の顔が鮮やかによみがえった。でも今回はよみがえらない。半世紀。

当時にいろいろのエピソードが語られた。それぞれが一瞬の出来事を昨日のことのように覚えていて語り合った。あっという間の5時間でした。

地元に残っているのでまたいつか一緒にあえるでしょう。幹事の方々に感謝した次第。ああ、楽しかった。