石巻災害支援ボランティア

6月8,9,10日の三日間、石巻で支援ボランティアに参加した。たった三日間、しかも特定の地区で行ったこと感じたことを書いてみる。あれだけ広域の大規模な災害の中ではごくごく一部のレポートです。

 

わが社には6つのミッションがあり6番目は、「私たちは企業としての社会性を向上させ、社会の良き一員であり続けるよう努力します。」となっている。この6番目のミッションの実践のために行っているのがProject6.いろいろなCSR活動をしているがその一環でCSR委員会が企画してくれた石巻市災害ボランティア。なにしろ会社がバスを用意して現地まで連れて行ってくれるし、必要な装備、食事は準備してくれるし、夜はおしゃれなリゾートホテルに宿泊できるし、なんともめぐまれたボランティア活動。

 

3.11以来、どれだけ被災者の気持ちを理解し支援できるか考えてボランティア活動を希望していた。それでも今の自分はサラリーマン。簡単に休むことはできない。若いバックパッカーでもないので寝袋、テント持参で出かけることもできない。そんな中で、会社からこうして企画を提案されたので即刻応募。参加することになった。

 

会社に8日の早朝に集合し東北道をバスで北に。1時過ぎ、石巻市にあるピースボートの活動拠点に到着。石巻港から1kmくらいのところにある被災して無人となった3階建てのオフィスビルの1階を拠点にしている。ここに支援機材を集めボランティアが寝泊りし近隣の支援現場に出向いている。水道は開通しているが電気はまだ点かない。トイレはもちろん仮設。ポータブルのガスコンロがいくつかあるがお湯を沸かすだけ。調理はできない。ここに宿泊するボランティアは数十人。皆、調理なしで食べられる食料持参で来る。皆、若い。この時期は我々のようなサラリーマンがボランティア休暇で来ている。長期で滞在する若いボランティアも多い。しっかりと統制がとれた拠点だった。

 

拠点の周辺は一階が水に浸かった半壊地域。殆どの家は一階の家具類は流されてしまったり、その後に運び出されて何もない。二階はそのまま残っている家も多い。中には内部の修繕を始めた家もある。道路には流された車とか大きなガレキはほとんど撤去されて残っていない。この辺は行政が重機を使って整備したようだ。残った各家の敷地には小さなガレキが残っている。

 

一日目は

昼過ぎに現地に到着したので2時間だけ活動。500坪くらいの畑に残ったガレキの撤去。行政はこうした私有地の中はまだ対応できていないが20人以上で作業すると二時間で終わった。全員がそれなりの達成感を感じて一日目の作業を終えることができた。

初めてのことで少し緊張して身支度を整える。長靴の中には釘の踏み抜きを防止するためのインソールを入れる。ガラス破片を扱く時には皮手袋、防塵マスク、ゴーグル、帽子、ボオランティアであることを示すビブシャツ、各班のリーダーはオレンジ色。食料を入れるザック。こんな感じの装備で出かけた。

始める前の畑。

これだけにきれいになった。

拠点に帰ってから道具の掃除。

バスで名勝松島にあるリゾートホテルに向かった。約1時間かかる。松島を見下ろす高台にある瀟洒なホテル。避難所に暮らす被災者のことを考えると申し訳無い気になる。

 

二日目。

現場に行く前に被害のひどかった地域をバスで通り抜けた。ここも道路に横たわる車とか大きなガレキはすべて撤去されていた。そして何も残っていなかった。メディアを通して見たそのままの姿が目の前に広がっていた。何と言う光景なのか。言葉がない。

気を取り直してこの日の現場に向かう。この日は近くにある小さな公園。ここは一時的に大きなガレキが堆積されていた。重機で大きなガレキは撤去したが小さなガラス片、そしてヘドロが混ざってしまった公園。ここに将来子供たちが戻って再び遊べるようにこうしたガラス片、ヘドロを撤去するのが目的。土地は乾いて硬くなっていた。ツルハシで柔らかくしないとシャベルで土を掘れなかった。堀った土を土嚢袋に詰めて道路に積み上げる。そんな単純な仕事。ここも重機は入らない場所。人手で進めるしかない。太陽が高くなって暑くなった。だんだんと皆の口数が少なくなってきた。すぐ近くで同じ拠点からきているIBMラグビー部の10人ほどがテンション高く大きな声を掛け合いながら作業している。かれらは側溝にたまっているヘドロをくみ上げていた。マチョ集団の力強い活動に我々もすごく勇気づけられた。

この日のピースボート側のリーダーはかわいらしい若い女性。独身男性の心が和んだ。そしてオジサンたちも。

 

この日だけではここでの作業は終わらなかったがとりあえずきれいになった。

 

三日目。

4時に起きた。ホテルの近くにある松島をランニングで見物した。6Km。海岸まで下っていくと街並みは想像以上にきれいだった。TVのニュースで遊覧船が復旧したと聞いていたが確かに何艘もの遊覧船、そして多くのヨットが係留されていた。しかしながら、近くに見える小島への橋は通行止めになっていたり、海岸沿いの遊歩道はところどころが寸断されていた。松尾芭蕉が歌に詠んだあの松島。個人的にはそれほどの感激はなかった。曇り空で薄暗かったせいかその美しさはあまり感じなかった。6時にはホテルを出発するので時間を気にしながら走った。有名な瑞巌寺にも行ったが境内はまだ閉じていた。外にある洞窟群だけはみることができた。

 

毎朝、ラジオ体操と拠点責任者からの指示で一日の活動が始まる。

 

この日は家を流された個人宅が現場。大きなガレキは撤去されているが流れ込んだ砂、ヘドロを撤去した。途中参加の人たちも含めて30人近くが参加した。

 

ここは全壊地域と呼ばれている海岸により近い地域。まさに全壊だ。

前日と同じように砂、ヘドロを土嚢袋に入れる作業。重機が入れば簡単な作業かもしれない。でも手作業で進めるしかない。この家の主人も来てくれてジュースの差し入れを頂いた。そんなことしなくてもいいのに。早く再建したいのだがこの地域は危険地域にしていされており今後の建築計画ができないとか。行政の一刻もはやい都市計画が必要だ。

 

この地域も新しい家が並んでいた筈。平穏な生活が続いていたのに一瞬の津波でそれがすべて消えてしまったわけだ。何とも無念なことだろう。

今回活動した地域は半壊、全壊地域でそこに住むひとは少ない。殆どが避難所生活をしているはず。残念ならら地元の方々とのふれあいは少なかった。それでも残っている地元の方々は我々が通ると深く頭を下げて「ご苦労様です」と言う。何軒かは残った家を修繕をして元の生活に戻ろうと努力している。頑張れ。

 

たった三日間の支援。被災地からみると小さな小さな「点」での支援だった。こんな小さな支援の積み重ねが大事だ。行政は大きなガレキを撤去したせいか道路は広くなった。一見すると何もなかったような街並みもある。それでもこれからは重機が入らない個人宅の整備、きめ細かい手作業による支援が重要になってくるような気がした。こんな時、ボランティアの手が必要だ。今回お世話になったピースボートもボランティアを受け入れている。食糧は自分で用意する必要があるが宿泊所は用意されるらしい。学生が休みになっていない現在は特にボランティアの数が不足しているとか。多くの人に参加してほしい。http://www.pb-kyuen.net/

 

 

息の長い支援が必要だ。支援の輪が必要だ。

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