Category: 自転車

平成22年の終わりにあたって

紅白を横目で見ながら振り返ってみる。

今年のハイライトは何と言ってもランニングを始めたということに尽きる。3月に自転車グループで都内の花見見物ツアーをした際に「6月に行われる北マラソンにでないか」と誘われた。それまでに何人かの知人がランニングをしているのを聞いて興味を持っていたところに火が付いた。その場で参加を承諾。それから練習が始まった。4月の走行距離、65Km。慣れない靴で近所を走ってみた。ショッピングモール界隈。そして多摩湖自転車道。ある日、狭山湖と多摩湖の周辺をゆっくりと走った時に合計18Kmになった。意外と走れるものだ、とこの時に長距離を走れる感じがつかめた。5月に83Km。もともとトレイルを走ることに興味があったので青梅丘陵を走ってみた。楽しかった。かつてMTBで走ったようなところを今はランニングしている。6月は103Km。初めてハーフマラソン大会に参加した。それから距離は順調に伸びて12月には187Km走った。4月からの総距離は990Km

自転車にも乗っていた。5月には知人と自宅ー日光ー郡山ー水戸ー千葉までの4日間のツアーをした。10月には奥会津ー只見のツアーもした。やはり田舎道を長距離走るのは楽しい。しかし、ランニングの距離が延びるのに反比例して自転車の走行距離は短くなった。年間の総走行距離は6362km。昨年は7950Kmだった。

診断士関連では実務補修の副指導員として5日間だけ若い診断士と過ごした。充実したいい時間だった。

PMP関連では「プログラム標準」の翻訳に参加。10名以上が参加したプロジェクトの一端を担ったが中途半端に終わってしまった。単に翻訳しただけで終わった気がする。そして、もう一つ。Configuration Management Standard。翻訳委員会に入会した2008年の秋に着手してから足かけ3年かかった。最初の翻訳をほとんど一人で済ませたがその後の監修を担当する人が見つからなかったり監修後の手直しに何人かがたずさわってきて時間がかかった。それでも10月頃に出版にたどりついた。後半はあまり時間が取れなかったが最初から手をつけた翻訳だったので完成は嬉しかった。

自治会では副会長になった。大きなトピックとしては自治会の活動に使っている熊野神社の社務所の建て替えの計画が具体化してきたこと。準備委員会が発足になり会合を何回かすすめ地域の長老からも過去のいきさつ、意見を聞いて少しづつ話が進んできた。まだまだ先は長い。

今年はひさびさに山岳会OBたちと北海道の山に登れたのもハイライト。

もう一つ。11月からこのブログを始めてみた。ウエッブサイトを構築するツールであるWordPressに興味があったのでこれを使ってみたかった次第。

こんな感じの一年だった。何と言っても健康に過ごせたことを感謝している。ツイッターでは何回も「ああ、わしゃ幸せじゃ」とつぶやいたものだ。

半原越え、そして大山・阿夫利神社?

昨日12月4日の話。久しぶりに自転車の日。同行者は4人。昨年購入したTrek Madoneに4か月ぶりに乗ってみた。8月にマイミクさんとビーナスラインに行った時以来の赤いMadone.  やはりMadoneは走りやすい。

半原越え。なんとなくいい語感がする。その昔の人たちが荷物を背負って生活のために歩いて越えたと思えるいろいろな物語が頭に浮かんでくる。確かに昭和初期までは、近くにある宮が瀬湖畔にある煤ヶ谷部落から繭(まゆ)を反対側にある糸の町として栄えていた半原に背負って運んだ時に使ったらしい。10月には只見で六十里越えと言うかつての難所を走ったことがある。ここも本来は六里くらいの峠越えだたその困難さから十倍の六十里ほどもあるように感じたところから六十里越えと言われていたらしい。

その半原越えは思った以上に急坂だった。八王子から町田を経由して登り口になる半原地区までは25Kmくらい。この辺は宮が瀬湖に出かけるときに何回も走ったところ。ときどき大型車が通って緊張する。

半原越えの入り口は見つけるのが難しい。だいぶ通り過ぎてから引き返して登り始めた。するとすぐに炭焼き窯があった。数人が中で作業中。我々が止まって中を覗いていると、「お~~い、中に入れよう。お茶でも飲まないか」との声。まだ先が長いので丁重にお断りした。

その際に聞きたくない話をきいてしまった。「この辺はクマがでるから気をつけな。今日はハンターが入っているので大丈夫かもしれないけどな」とのこと。ハンターがいても我々と同行してくれるわけでもないし、不安になった。確かにこの道は落ち葉が敷き詰められて自動車はほどんど通らない雰囲気。こんなところでクマと遭遇したらどうしよう。一目散に自転車で下るか。騒いで追い返すか。頭の中でシミュレーションしてみた。それでも一応何もないような顔をして登り始めた。そのハンター達は近くの道端で弁当を食べていた。軽トラックの荷台にいる猟犬が吠えていた。この声を聴いてクマが遠ざかってくれるかな、と密かな期待。

途中、峠の手前700mの所に小さな公園のような場所があったのでそこで後続者を待っていた。この時に確かに、動物の低音のうなり声を聞いた。一緒にいた同行者も聞いた。クマ?ちょっと緊張。そのうちに甲高いサルの鳴き声のような音もした。サルだったら大丈夫。でもあの低いうなり声は、と思うとあと700mが遠く感じた。それでも後続者と合流してから改めて出発。ほどなく峠に到着。何事もなかった。

そんなこんなで落ち葉を踏みしめながら4Km弱の登りを楽しんだ。

その後は清川村に向かってどんどん下った。終わりに近づいた紅葉を眺めながら落ち葉の下が見えないので滑らないように慎重に走った。

清川村は宮が瀬湖から何回か下ったことがある。長い下りがあるので何人かのローディーが走り去っていった。我々は途中の蕎麦屋で遅い昼食。

次の目的地は大山、阿夫利神社。そもそも今回はこうしたお寺・神社めぐりが目的だったのでここは主たる目的地。そこに向かったのが2時過ぎ。秋の陽はだいぶ傾いていた。その神社は公式HPによると、「大山阿夫利神社の神社創立は、今から2200余年以前の人皇第10代崇神天皇の御代であると伝えられています」とある。由緒ある神社である。

その神社の登りにかかるとこれがまた急坂。約10Km、高低差330mの登り。最後は10-15%の斜度になった。これは想定外だったが何とか登り切った。どの神社も高いところにある。そしてそこに至る街道の両脇にはそれなりに由緒あるような家々が並んでいた。急坂の道を登って最後は階段。やっとの思いでケーブルカーの駅に着いたのが4時5分過ぎ。次のケーブルの発車は4時20分。切符を買おうとすると駅員からは「登っても下りの発車まで数分しかありませんよ」と言われた。歩いて下る方法もあるが暗闇の道を歩いて下るのは危険なので神社まで登るには諦めた。

ここが目的だったのでなんとも残念だが神社には行かずに薄暗くなった道をひたすら下って伊勢原駅まで走った。大山に行けなかったのは残念だが駅の隣にある小さな祠に参拝できたので良しとしましょう。

天気がよく走りやすかった。先週もマラソン日和、今日も自転車日和。半原越えはよかった。大山は大きな宿題だけど次回は車で行ってもいいかもね。

東京・山の手激坂探訪

J氏の企画による激坂を求める自転車ツアー。坂を求めて小さな道をくねくねと。こんなルートを考えるのはまさにパズルを解くような感覚だったはず。ありがとうございました。楽しめました。

早朝、自宅をでて多摩サイをひたすら東に。正面に見える太陽はまだ低く朝日がまぶしい。丸子橋から中原街道に入って品川に。品川駅近くの小さな広場に10程が集まった。


まずは手始めに品川神社の坂を登って近くにある「富士山」と呼ばれる小山に到着。ここはさすがに歩いて登った。第一京浜を見下ろす不思議な岩山。

御殿山と呼ばれるこの一帯は坂の連続。坂があるということは高台があるということ。つまり、山の手ということ。静かな住宅街に瀟洒な家が並んでいる。八ツ山坂の次が三段になっている幻坂。これが今回の超激坂で29%とか。私は最後の登りで足をついたが何人かは登り切ったとか。すばらしい。--実は調整がうまくいってなくてリアの一番大きなギアが使えなかったのです。使えれば登れたと思っている次第ですが。

その後もいくつもの坂を登って皇后陛下の生家の跡地にできた「ねむの木公園」を見学。意外と狭い土地でした。いまはいろいろな花、木が植えられているだけ。生家を残してほしかった。

近くの池田山公園は紅葉が盛りだった。落ち着いた池に木々が溶け込んで大人の雰囲気をかもしだしているいい公園だ。

品川から目黒に入った。富士見坂を登ってから恵比寿のガーデンプレイスでランチ。この辺もおしゃれですなあ。田舎に住んでいると感じられない「品格」があります。ガーデンプレイスも久しぶり。巨大なシャンデリアも飾られていました。この時期は夜になるとイルミネーションがロマンチックなんでしょうね。

ランチのあともひたすら坂を求めて目黒近辺をうろうろ。馬喰坂、なべころ坂、別所坂、上村坂、相の坂、、、。企画者に脱帽です。よくもこんなに激坂を見つけてくれました。西郷山公園で一休み。

途中で立ち寄った小さな美術館・現代彫刻美術館はなんとなく不思議な感じでした。高台にある住宅街の中に突然近代彫刻が屋外に並べてある。宗教法人が運営しているとか。数々の不思議な彫刻、そして女性の裸像もたくさん。

最後は代々木公園で散会。公園ではフリーマーケットの真っ最中。木々も紅葉して、銀杏の木も輝いていた。

井の頭通り、五日市街道を快適に飛ばして帰宅。久しぶりの自転車を堪能した次第。激坂も楽しかった。

自然環境 vs ハイカー vs トレールランナー vs MTB

ネットで遊んでいたら偶然2チャンネルに辿りついた。トレールランニングにつてのスレッドだった。2チャンネルを見るのは久しぶりだったが例によって罵詈雑言、短絡的な単語だけの発言が目につく。まあこの辺はさておいて。

そのスレッドの内容としては、トレールランナーがハイカーに対して礼儀がないとか山道を壊す、と言った点で非難してる発言が主だった。大会は禁止しろ、とか山にはいるな、とかの書き込みがある。確かにこの辺は以前からの問題であることは確か。以前と言うのは、トレールランニングが今ほど盛んでないころからのこと。

直近までは、MTBが山道を削りハイカーに恐怖感を与えたり、と言う論調が多かった。

確かに、MTBのあの太くごつごつしたブロックタイヤは山道を削る。削ったあとに雨が降れば削られて柔らかくなった土はどんどん流されてしまう。こうした道のくぼみがどんどん深くなってくる。どんどん自然が破壊されていることが実感される。ーーこれが個人的にはMTBに乗らなくなった理由の一つです。

これに対して、MTBの世界では、指導者と言われているようなツアー企画者たちの中で山道の修復活動をする人たちが出てきた。私が参加したMTBのツアーでもハイカーに対するマナーについての指導が毎回あった。そして、参加者をハイカーに見立てて山道に立ち、そこをMTBがすぐ脇を走り抜けるのを体験したりもした。

回りまわって今度はトレールランナーが非難の対象になっているらしい。トレールランナーは走りだすと急には止まれない。登りでない限り。ハイカーのすぐ脇をそうしたランナーが走ってくるとそれなりの恐怖感を感じるかもしれない。急には止まれないランナーと衝突することも考えられる。ある休日に一度だけ皇居の周りを走ったことがある。確かに観光客が多い。そして高速で走るランナーも多い。衝突のトラブルがあると聞いていたが納得した。あり得ることだ。

そして、山道では前を行く人たちを追い越すために道のわきを走りそこを崩す。

この辺のことを2チャンネルでは話題にしていた。その表現の仕方には問題あるけどトレールランナーが意識しないといけない点であることは確か。

MTBとかトレールランナーがやり玉に挙がっているが、もっとさかのぼるとハイカーあるいは登山者が自然保護に対しての非難の的になっていたことがある。尾瀬の環境保護が代表例。あそこにはトレールランナーとかMTBが押し掛けることはないがハイカーが押しかけることで問題になっている。

それぞれが好きで楽しんでいるわけだし、誰が悪いかと言うことを議論しても始まらない。共存することを誰もが意識しないといけないわけだ。自然との共存。そして、人間同士の共存が必要ですな。


秋の自転車旅2010 四日目、只見ー小出

昨晩の男性も同じく小出方面に行くとのこと。お互いに一人で走っている訳だし特別に一緒に走りましょうということもなく阿吽の呼吸でほぼ同時期にすこし時差をもって出発。

事前にいろいろな方のブログを調べると田子倉駅と只見駅の間にあるトンネルは漆黒で自転車で入るには「相当の覚悟」がいる、とあった。確かに地図をみるとこれから先にはいくつかのトンネルがある。その昔、実際は6里ある峠がその急峻さ、困難さから60里に思えるということでここ福島側から新潟側に抜ける峠は六十里越と呼ばれている。この道路を整備したのが田中角栄。途中に記念碑があった。宿の主人に聞いても福島側のトンネルには照明はない、新潟側になると照明がある、とのこと。この漆黒のトンネルをスキップするために只見からとなりの田子倉までを輪行することも検討したが思い切って走りきることにした。

ゆっくりと登り始めるとすぐに田子倉湖のダム上に到着。あの漆黒のトンネルはこの先か、と少し緊張しながらいつになったらそのトンネルに遭遇するか走った。が、結局それらしいトンネルはなかった。スノーシェッドッドと呼ばれる雪よけと小さなトンネルはいくつかあったが漆黒のトンネルはなかった。あっけなく田子倉駅に到着。あれっ、という感じだった。田子倉駅は冬季は閉鎖。工事関係者が使うだけの駅のようだ。何しろ周辺には民家はおろかなんの施設もない。その田子倉駅を見渡す場所で20分ほど列車が来るのを待った。平日4往復の列車なので次は4時間後になるのでのんびりと待ってみた。

  

首尾よく写真を撮ってからいよいよ六十里越えが始まった。しかしながら意外と傾斜はゆるい。途中、田中角栄の記念碑がある場所、いろいろな場所で田子倉湖、その周辺の山々を眺めた。あの山々で紅葉が始まったどんな世界がみられるのだろう。

途中、比較的長いトンネルがあった。照明なし。ここがその漆黒のトンネルか、と意気込んで飛び込んでみた。田子倉駅近辺からは先ほどの彼氏と一緒に走ってきたのでこのトンネルも私が先頭になって二人で走り始めた。確かに照明はなく暗い。ただ、遠くに出口の明かりがかすかに見える。一安心。ブログにはこの出口も見えないと書いてあった。反対方向から見たのかもしれない。薄明りの中、自転車のライトがさす明るい場所だけを見ながら進んだ。目がなれたせいか意外と明るく漆黒というほどではない。400mほどのトンネルはほどなく通り過ぎた。出口でほっとした。

さらに登り続けると六十里越隧道と思えるトンネルに到着。ここは2Kmの長さ、さすがに照明があった。安心して通過。ここからは小出まで252の下りが延々と40km近く続く。

途中の無人駅、道の駅で休憩しながら快適に飛ばした。なにしろ下り基調なので楽に30Kmオーバー。同行の彼は小出の手前で山古志村方面に向かった。アッという間に小出に到着。11:30。終わった。

パッキングしてから着替えて駅前の食堂でランチ。おかみさんのお喋りとおでんを肴にビールを一本。洋風の食事を欲していたのでスパゲッティも賞味。それなりに田舎の味でした。

秋の自転車旅2010 三日目、銀山平ー小出ー只見

夜中に雨音で目が覚めた。近くには沢はないので沢の音ではないはず、ところが波が押し寄せるように時々ザーという音がした。雨だ。今日も雨か。と落胆。ベッドの中でじっと夜が明けるのを待った。明るくなって外をみると案の定、しっかりとした雨が降っている。いろいろと対策を考えた。今週は休みなのでもう一日ここに逗留する、この施設の車で小出まで送ってもらう、サポートカーに乗る、などなど。同宿の方々とも同じようなことを話していた。

ところが、朝食の後でガイド氏が参加者に聞くとほぼ全員がこのまま走って帰る、と意志表示。昨日の雨ですっかりと雨と仲良しになってしまったらしい。数人はサポートカーに乗ることになったが他は予定通り。

そうこうして出発の準備を始めるとなんと雨が上がってきた。

一旦は着けた雨具を再びしまって出発。今日でツアーは終わる。ツアーは小出から浦佐に出て越後湯沢で解散の予定。私は小出で皆さんと別れて別行動の予定。ツアー最終日の朝はそれぞれ記念の写真を取り合った。

出発するとすぐに枝折峠への登りが始まる。登るにつれて昨晩宿泊した銀山平が一望できるようになった。(写真左) 山の緑にかこまれた小さな盆地状のここはログハウスと合間ってチロルみたいだ。ちなみにここは雪のために年の半分しか営業できないそうだ。枝折峠までは260mの登り。ゆっくりと景色を見物しながら名残惜しみながら登った。
    
ほどなくして枝折峠。小出から上ってきたローディーが二人いた。小出からだと25Km,900mの登りになる。直下は15%位のところもあった。

枝折峠で休憩後は352をひたすら下る。慎重に下る。このころは青空になった。雄大な山々を見ながら25kmほど快適な下りを楽しんで小出の道の駅「ゆのたに」で昼食。

ここでツアーから離脱。皆さんとは別れを惜しんで一人で小出駅に向かった。

小出駅からはこれも楽しみにしていた只見線。別に鉄道マニアではないが乗ってみたかった。13:17発の会津若松行。2輌編成のジーゼル車。小出駅で輪行バックをかかえた男性と遭遇。彼は山形からきて同じ会津地域を走って帰る途中とか。同じ席に座ってしばし歓談しながら車窓を眺めていた。

只見線沿線はまだ紅葉は始まってない。ここは2年前の同じころに山岳会OBと一緒に車で走ったことがある。あの時は浅草岳を目指したが雨で断念した。会津での経験は雨が多い。

今夜の宿は只見駅前にある民宿を予約してある。その只見を通り越して会津大塩で下車した。周囲は畑。その畑の中にホームと掘立小屋のような駅舎があるだけ。もちろん無人。こんなところで自転車のメカトラブルがあったら大事になる。そんな思いで少し不安になりながら自転車を組み立てて走り始めた。今度は電車とは逆方向で只見駅に国道252を戻った。

    

252は只見線に沿って会津と小出を結んでいる。走り始めてすぐに感じた。これはいい。もちろん交通量は非常に少ない。時々集落が現れる。常に只見川が並行している。この只見川は広くゆったりと流れている。人工物は少しの民家のみ。目障りな看板は皆無。実にのどかだ。川の流れはゆったりとして周辺の景色が水面にきれいに映っている。(写真中央) 通り過ぎるのを惜しむかのようにゆっくりと走った。途中、会津のマッターホルンと呼ばれる蒲生岳も眼前に見えた。前回、浅草岳登山に来たときはこの蒲生岳には登れた。(写真右)

まだ明るい4時過ぎに宿に到着。

夕食時には会津田島からまっすぐに289を走ってきたという男性と同席した。自転車ツアーのことでいろいろと盛り上がった夕食になった。会津の地酒も賞味。

秋の自転車旅2010 二日目、桧枝岐ー銀山平

夜が明けて窓を開けると雨は上がっていた。山間部は雲の動きが早い。観天望気で天候は回復する、とはガイドの予報。皆が準備している間に、昨日見られなかった桧枝岐歌舞伎の舞台を見に行ってみた。重要文化財に指定されている舞台は意外と小さい。それを見下ろすように半円形の見物席が山の斜面を利用して階段状に4段ほど作られている。背後には大きな杉の木立。凛とした雰囲気が感じられる.

今日の目的地は75Km先の銀山平。宿からはすぐに登りが始まり11Km、600mを上がると御池になる。ここは1525m。この高さになると紅葉が始まっていた。この一帯は北上山地とくらべられる「ぶな」の林になっている。しずかな国道をゆっくりとお喋りしながら紅葉の中を登った。何回となく立ち止まっては写真撮影。まだ緑が残っているがそれも色のひとつ。こうした数々の色をした紅葉は日本でしか見られないかもしれない。北米でも紅葉はするが色の数はもっと少ないような気がする。「ぶな平」を過ぎると御池。ここは尾瀬への登り口のひとつ。多くは南側の大清水から入るがここも立派な登山者用の施設がある。

御池からその奥の沼山峠までは一般車は侵入禁止。登山者はバスで峠まで入る。自転車は通行可能なので我々は沼山峠まで片道9Kmを往復した。1700m。さすがに紅葉が進んでいる。思わず歓声をあげながら何回も立ち止まって見物、写真撮影。

    

沼山峠から再び御池に入り進み始めたころから再び雨。しまってあった雨具を再びつけて352をどんどんと下った。雨で路面が滑りやすいので慎重に走った。下りの途中にある「山の中」というレストランで昼食。まさに山の中に突如あらわれた感じのレストラン。40cmくらいある大きな天然マイタケが5000円で売られていた。そこでまいたけ汁定食を賞味。(写真右)

昼食後も相変わらず雨は降る。でも弱くそれほど苦にならない。雨の中を走る機会は少ないがアウトドアの活動をする限りは当然あり得る。素直に受け入れていける。雨具がしっかりとしているので外からはあまり濡れない。それよりも内部からの汗で濡れてしまうことのほうが多いので着衣の調整でなんとかなる。

昼食のレストランから今夜の宿泊地、銀山平までは約40km。しばらく下ると奥只見湖が見えてきた。ここまで下ると木々はまだ緑。その代り雄大な湖と山容が楽しめる。

この辺から再びアップダウンが激しくなった。湖の入り江に沿って道がうねっている。沢筋に入ると下り、そして登り返す。私は4、5人の先頭集団に入ってかなりハイになって走った。香港からきている若者が必至の思いでトップを追う。私は先頭集団の中では最後尾。これが精一杯。このころは雨脚が強くなった。波のように時々強い雨が降り注ぐ。沢筋から流れる水が道路を横切る。そこは川のようになっている。高速で水しぶきをあげながら走り去る。強い雨の波が来るごとに皆嬌声をあげる。なんともテンションが高い。100m位の登り返しが3つ。そのピーク毎に後続者を待つ。そのピークには名前があるらしい。その一つが「恋の岐乗越」。どんな由来があるのやら。

 

    

ようやくの思いで銀山平のログハウス群に到着。周辺には何も施設がないがここにも温泉がある。着いた頃は雨が上がって夕食のころには星も見られた。
  
本日の走行75Km.でもそれ以上に濃い一日だった。

秋の自転車旅2010 一日目、会津ー桧枝岐

毎年、春と秋にはロングライドをするのが恒例になってきた感じがする。昨年の春はCoast-To-Coastの本州横断、秋は能登半島、今年の春は北関東・南東北。で、今年の秋は題して「ザ・ディーペスト本州」。ツーリングガイドの丹羽隆さんが企画した会津、桧枝岐、銀山平のツアーに便乗。タイトルは丹羽さんの命名。通年で住んでいる人がいない地帯で日本では二番目に広い地域がこの辺、というのが彼の主張です。一番は北海道縦断ツアーで走ったことがある「朱鞠内湖」近辺とか。全国を走った彼が言うことなので本当なのかも知れない。
丹羽さんのツアーには9年ほど前から何回か参加してきた。参加者も皆リピータで今回の18人の参加者の中にも懐かしい顔も何人かいた。いつもすぐに和気あいあいとなるのがこうしたツアー。

長い日記になり恐縮です。自分の記録として残したかったし、いいコースなので興味がある方への情報提供ということでご容赦を。

10月9日

初日は自宅を早朝に出発して北千住から東武線の快速会津田島行きに乗車。6輌の列車はほぼ満員。すぐには座れなかったが乗り換えなしで目的地まで行けるので助かる。急行の類は指定席が売り切れで乗れなかった。10:40に集合場所である会津田島駅に着いた時にはすでにぽつぽつと雨模様。到着早々、北海道を一緒に走ったN氏と再会。嬉しかった。彼とは秩父、名栗をよく走ったものだ。

全員がそろった12時過ぎにしっかりと雨支度をして出発。

次の集合場所を目指して思い思いのスピードで289を走る。参加者の荷物を積んだサポートカーが最後尾を走る。雨は弱くそれほど気にならない。ただ、滑りやすい路面に注意して慎重に走った。快適な道で思わず先頭に飛び出して走ってしまった。16Km先の駒止トンネルが最初のピーク。ここまで400mの登り。

駒止トンネルの手前にある道の駅で集合。相変わらず雨は続く。でも、皆笑顔。これから続く長いトンネルを避けたい初心者はサポートカーでここをスキップ。2Kmのトンネルは明るく意外と安心して走れた。交通量が少ないので楽だ。

トンネルを出ると10Km位の下りが始まる。下って401に合流する手前にある道の駅で改めて集合。雨はだいぶ弱くなった。ガイド手製の焼リンゴとかコーヒーで体を温めた。何かとサービス精神が旺盛な方ですね。

山の中の351から352に入った。時々現れる集落は雪国であることを思わせる寒村の雰囲気。静かな山間の集落。時々集合して進むとようやく桧枝岐に入った。

桧枝岐は20代のころから訪れたいと思っていながら機会がなかった場所。越後からも会津からも遠く離れた場所にあり独特の文化が根付いている。村人が年に数回演じられる桧枝岐歌舞伎は260年におよぶ長い歴史があるらしい。そんな秘境というイメージで来たがさすがに今となっては秘境のイメージはなく現代の山間の村という感じになっていた少し残念。もうすこしひなびた茅葺の古い家並みを期待していたがみな新しい家になって立派な民宿も街道に沿って並んでいる。写真集を見ると1990年代頃までには古い建物は消えてしまったようだ。ちなみにこの地区に住む人たちの姓はほとんどが平野、橘、星だとか。

その一つである星さんの民宿「星の屋」に宿泊。今回のガイドがこの宿を気に入って自転車雑誌で紹介してからサイクリストが増えたとか。近くの温泉に浸かって半日の疲れを癒した。

この宿、食事が素晴らしかった。品数12品。それにご飯とみそ汁。地元の山菜、川魚を中心にした素朴な田舎料理そのもの。ぜんまいの天ぷらと一緒に山椒魚の天ぷらもあった。最後につなぎを一切使わない「裁ちそば」も出てきた。高級旅館で出てくるような高級食材は使ってないが実にいい味に出来上がっている。朝も同様に10品。いずれも完食しました。食後は宴会部屋でしばし歓談。

夜になっても雨は降り続いていた。

春の自転車旅2010 その4 水戸ー八街

自転車で走る最終日。いつものように朝食のバイキングでたらふく食べた。そういえばツーリング中はずいぶんとたくさん食べた。ハンガーノックにはなりたくないのでしっかりと三食を採り、行動中も常に口に入れていた。

今日も快晴。

水戸市内から50号を一気に南下した。この道は交通量を心配していたが実にのどかな道だった。市街地でも交通量は少なく次第に農村の中の農道の雰囲気になってきた。50号をまっすぐに進んで霞ヶ浦へ。霞ヶ関ふれあいランドなどと言う観光スポットからは霞ヶ浦に沿った道を南下。釣り人が多い。単調で眠くなるほど。ただひたすらペダルを漕いだ。最終日となると早く終わりにしたい気持ちと終わってしまう寂しさが混在する。ペダルを漕ぐ力も微妙に強かったり弱かったらりする。

霞ヶ浦を離れてから佐原の町に。残念ながらこの町も市内は活気がない。大きな店も閉じたまま。有名な運河とその両側だけは観光客であふれていた。確かにここだけは昔の面影が多く残っている。

後は多古町経由でひたすら八街を目指して走った。強い向かい風。今回は天候には非常に恵まれた。初日に日光に入る前に雨に降られたがそれ以外はほぼ快晴。ところが風向きだけは逆風だった。北の郡山に向かう二日間は北風で向かい風。その後、南に向かう時は南風で向かい風。何ということだ。特にこの日は向かい風が強かった。あせらず着実にひたすら漕いだ。そして午後2時に無事に八街に到着。サイコンは560Kmを示していた。

この日は空き家になっている両親の家で家族と合流。家の掃除、庭の草退治をしてから隣町にある温泉センターに出かけた。お疲れ様。長いツーリングが終わった。

なんとも楽しい四日間だった。コースも良かった。天候も良かった。同行者ももちろん良かった。とにかく無事に帰れたことが一番。自転車に乗り続けることは危険が一杯。危険を予知してリスクを最小限にする努力はけしておろそかにできない。そしてこんなロングライドができる健康に感謝で一杯。

春の自転車旅2010 その3 郡山ー水戸

今日は水戸まで水郡線沿線を走る。基本的に水郡線を絡みながら走る118号を行く予定だった。

事前の予想としては、このルートは海に向かっているので下り傾向、ひなびた道路で交通量は少ない、したがってコンビにも少ないので行動食は事前に多めに調達しておくこと、であった。ところがこれが外れた。次から次にある登り。房総半島のルートと同じだ。あれよりもスケールが大きいかもしれない。そして118号は立派な幹線道路だった。交通量もそれなりに多く大型車も走る。それでもそれ以上に美しい景色を堪能したコースだった。久慈川沿線はすばらしかった。わたらせ渓谷と同じように紅葉のシーズンはさらにすばらしい筈。

この日もGPSで118号と平行して走る小さな道を探してはそこを走ってみた。するとそこは老夫婦が昼休みに田のあぜ道でのんびりと二人仲良く並んでお茶を飲んでいる光景に出会える。里道、こんな道が好きだ。心が洗われる。この辺も田の代かきが終わり田植えの準備が万端だ。同時に散り残った桜の花びらが地味な田んぼの中でピンクを主張している。山あいのこの辺は昨日走った大田原、那須近辺と比べて大きな水田は造れない。小さな田んぼが何枚も重なっていた。

財政危機とそれへの数々の対策で有名になった矢祭町の近辺からは久慈川をはさんで対向する山々が実にすばらしかった。あの景色をもっと観光資源として利用すれば町の財政も豊かになりそうだけど。。。。

水郡線の写真は幸運にもベストプレースで撮れた。鉄橋を渡るときに偶然出くわしたので急いでカメラを取り出した。ラッキー。

水郡線沿線には古木が多い。そのうちの一つ、大子町にある近津神社の鉾スギに立ち寄った。近津神社は静まり返った杉の巨木の中にある。樹齢1300年。天然記念物のこの鉾スギは意外と若々しかった。古木に直接触れて「気」を感じたかったが残念ながら塀に囲まれていて触れなかった。残念。http://www.geocities.jp/ir5o_kjmt2/kigi/sugihok0.htm

その後は袋田の滝を見物。流石に人が多かった。それだけのことはある。実の豪快。水量も豊富。凍った姿を見たいものだ。

118の交通量に辟易としてきた頃にエスケープとして165を走ってみた。ところがまたここが激しいアップダウンのルートだった。118とほぼ平行しているが118から久慈川まだ一気に下ってからさらに登り返す。道は静かでいいコースだが長距離を走ってきた後でのこのアップダウンにはちょっとまいった。で、結局また118に戻ってきた。

いくつものアップダウンを経てからいよいよ水戸市内へ。最後は那珂川に沿ったサイクリングロードを数Km走って市内に入って水戸駅には薄暗くなった6時過ぎに到着。145Km.

ここで同行の二人は輪行で帰京。二日間、ありがとうございました。

私は駅前のホテルに投宿。昨日と同じように自転車を枕に寝た。