自治会はこのまま消えていくのでしょうか
東北の被災者たちは地域毎のグループとして避難を強く希望しているとか。地域社会の絆がそうしているのでしょう。これにより困難な状況の中でもお互いに助け合って生活を継続できるということだ。
昨日の午前中は地元の自治会の今年の新役員の顔合わせがあった。自治会にはかつて7役と呼ばれる役員が7名いた。数年前に役員を引き受けてもらえる方を見つけるのが難しくなり6役として6名の役員にした。役員になると毎年ことなる役割を担当しながらもいろいろな行事は共同して進めていく。つまり役員になると6年間は何らかの役割を担当することになり、最終年には会長になり翌年は退任となる。
私はことしで7年目。会長だ。ところが今年は退任した会員の補充ができていない。現時点では5人。これまでいろいろな方に声をかけて役員就任を依頼したが快い返事がもらえてない。
自治会は5~6世帯が一つの隣組を形成し現在16組。約100軒が自治会に加入している。加入率は30~40%でしょう。加入者の多くは古くからの住人で新たに移転してきた方々は入会していないと思われる。加入世帯も年々減少傾向。これは全国的な傾向らしい。かつては向こう三軒両隣、と呼ばれた隣組制度が定着していた。だれもの隣組に加入していていた。このネットワークを通して自治体からの指示、情報が伝えられてきた。情報伝達の手段だった。それと同時に娯楽もこの単位で行われてきた。神社を中心とした春と秋のお祭り。夏祭り。防災、防犯、子供会、それぞれがこの隣組の制度に組み込まれていた。これに小学校の子供会が加わって地域の草の根の組織が作られていた。まさに「三丁目の夕陽」のころの世界である。
私が小学生のころは5月5日は子供たちが公会堂に集まって茶話会を開いたものだ。今では、茶話会と言うことは死語になってしまった。「柱の傷はおととしの五月五日の背比べ~~~~」と皆で歌った。若者は青年団でいろいろな活動をしていた。祭りの神輿も担いでいた。お酒の匂いをぷんぷんさせながら太い掛け声をかけて神輿を担ぐ大人をたくましく感じて見ていたものだ。
こんな地域社会がだんたんと消えている。この自治会でもこれまで通りに夏祭り、正月、三月の神社のお祭り、その他の行事を行っているが参加者は毎年減少。自治会役員、PTA役員、その関係者がほとんどで一般の参加者は非常に少ない。まさに関係者だけの行事が多くなっている。
お金さえだせばいろいろな娯楽が容易に楽しめるようになった。親しいグループで好きな時にいろいろな楽しみができるようになった。情報はいろいろなメディアを通して入るようになった。遠くの人たちともコミュニケーションできる通信手段が利用できるようになった。
いろいろな理由で自治会、隣組に頼らなくとも生活できるような現状になっているのでしょう。
これから自治会はどうなるのでしょう。存続するのでしょうか。存続する意味があるのでしょうか。自治会がなくなったらどうなるでしょうか。いろいろなことを考えている状態。東北地方の被災者の行動がヒントにならないか思案中。
午前の役員顔合わせに続いて午後になって寿会と呼ばれる老人会の総会に招かれた。かつては自治会の役員をしていた方々。意外と活発に活動している様子が見えた。老人は元気なのか。年齢から言うと私にも参加資格があるがまだ遠慮したい。
トレールウォーカー試歩
今年も職場から2チームが参加予定でその中に入れてもらう予定。その試走をしてみた。同行者は同じチームで参加を予定している女性3名。彼女たちは昨年も参加して80Kmまで到達したが悪天候で断念。ことしはリベンジ。
小田原駅からそのまま歩き始めて出発点の城山運動公園。天気は快晴。暑くもなく寒くもなく快適な天気だ。途中は春の花が満開。いい時期だ。 ここからすぐに素敵な里山の道を歩き始めるが穏やかで静かないい里だ。こうした日本の里山はすばらしい。海外ではあまり見られない箱庭のような密度の濃い風景は素晴らしい。
お嬢様たちはとちゅうのキンカンを失礼。
塔の峰までの登りの途中になぜ?と思えるような廃車が残っていた。周囲は杉の林で山道しかない。どうやてここまで運んだのか不思議である。
出発点から二時間あまりで最初のチェックポイントである阿弥陀寺に到着。
下ってお玉の池とか精進池のわきを通って箱根公園に到着。ここまでのルートもきれいに整備されたハイキングコース。さすがに箱根は古くからの国立公園らしく風景にも品格がある感じがする。芦ノ湖を見下ろす別荘も格段の差がある。
箱根には車でも自転車でも来たことがある。そこを歩いたのは初めて。たしかにこうして歩いてみると車、自転車で走り過ぎると見逃す、見ることができない物、景色がたくさんある。車、自転車、脚、それぞれの移動のツールには有利な点、不利な点があるものだ。こうして歩いてみて歩いての移動にもいいことがたくさんあることを再認識した。
本日の歩行距離25Km。本番はこの4倍になるわけだ。時間がかかるのは実感できた。
自転車月間第2弾ー桜、桜でセンチュリーライド
結局3月は自転車に乗らずにランニングだけだった。そのせいか右ハムストリングの痛みが良くならない気がする。先週の水曜日の皇居ランの後はちょっと痛みが強くなった。心配なので今月はランは控える予定。毎月300Kmも走ると言うマイミクさんも数週間走らないで治療したらしい。見習おう。
で、先週末は馴染みに皆さんとお花見ツアーに参加。どこもかしこも桜が満開で桜で満腹の1日になった。
集合場所の東京駅前までの間、まず小金井近辺の玉川上水に沿った桜並木。三鷹近辺の住宅街の桜。四谷からの外堀通りの桜。皇居にでると多くのランナーが走っている。ここの桜も満開。おお、すでに桜で満腹。
東京駅前に19名が集合。先週のトレールランの時にレースだと言うのに大きなザックを背負って登場した方がいた。いつもこうらしい。同じような方が自転車の世界にもいる。日帰りのポタでもこうしてキャンプできる荷物を持って参加してきた。集合してからは浅草雷門の前を通って墨田公園から名所スカイツリー。
途中の中川の土手ではパンク休憩。19名もいれば誰かはパンクするでしょう。 中川に沿ったところにも桜。
そして昼食の水元公園。 その後は柴又帝釈天。初めての訪問でした。ここの参道でそぞろそぞろで買い食い。いいですね。
そして小松川千本桜は若い桜がいっぱい。人もいっぱい。自粛していた人たちがふっきれたように桜のもとに集まったような感じ。
いつもの解散場所である日比谷公園トイレ前に帰ったころは陽が傾いていた。解散後は帰宅方面別にいくつかのグループで帰った。私は4人で西に向かった。解散場所から延々と45Km。ひたすら走りました。途中からは一人旅。真っ暗になった7時過ぎに帰宅。
ひさびさのセンチュリーライドになりました。自転車も楽しいですな。ランニングとは違った緊張感がいいです。
お疲れ様、高水山トレイルレース
エントリーはしてなかったが知り合いが数人参加しているので応援に出かけた。冬のような寒さの一日。今日は自転車で会場の青梅まで走った。これで青梅行は4週連続だ。走って行ったり、バスで行ったり、自転車で行ったり。あ、昨日の夜は食事をするために車で青梅まで行った。
震災の影響で他の多くの大会が中止、延期になったなかでこの大会は予定通りに実施。英断である。主催者の心意気が伝わってくるような手作りのいい大会だ。コースは一般のハイキングルート。一般のハイカーもいたが数は少なかった。事前アナウンスで敬遠したのでしょう。今日は出発点から5km位しか見てないがうまく運営されていたような気がする。
会場に到着するとすでに恒例のエアロビクスが行われていた。1000人以上が同じように体を動かする姿は例の将軍様の国のマスゲームみたいだ。でも、こちらは健康的。
出走前に何人かの知人に会えた。やっぱり一緒に走りたいと思ったが今回は無理。スタート前の選手。
スタート地点から100m位のところで一緒に応援にきた人たちと待っていると10時過ぎになって先頭集団が走ってきた。さすがに早いね。トップ集団はほとんんど空身。水だけを持っている人も多い。いわゆるトレイルランの身支度の選手に交じってロードレースと同じスタイルの選手も数人いる。たまたま山の中を走っているだけ、と言う感じ。
30Kmコースの選手が通り過ぎたところで応援の場所を移動。走って出発点から2Kmほどのところまで行って後続の15Kmの選手を待った。こちらは30Kmの選手とはちょっと雰囲気が違う。 走って少し移動。そこでまた応援。そうこうしているうちに15kmの選手がもう折り返して戻ってきた。坂を下るのも早い。さすがです。 応援していると寒い。体が冷え切ってくる。選手は息を弾ませて坂道を駆け上がる。皆さん、いい顔をしてる。
体が冷えてくると、走って移動して別の場所で応援。これを繰り返した。戻る途中にも時々立ち止まって後から走ってくる選手を迎えた。30Kmの先頭の選手が戻ってきた。早い。そして、ゴール手前1Km位のところで改めて応援していた。この辺は平らな広いハイキングコースになっている。この辺になると疲労が蓄積して歩いている人も多く、脚を故障してやっとの思いで走っている方もいる。頑張れ、頑張れ、とずっと応援していた。気持ちが十分わかる。
応援している間、知人をずっと探していたが中々見つからなかったがここでようやく見つけることができた。残念ながら写真が撮れなかった。体が冷え切ったのでまた走って移動。皆さんは野外で打ち上げをしているはずだが私は一足先に自転車で帰宅。
こうしたランニング大会の応援は初めてだったがこれもそれなりに楽しいものだ。一緒に走りたかったが相変わらず右のハムストリングが局所的に痛むので今日は走れなかったでしょう。
The News Paperのチャリティーライブ
時事問題を扱っているThe News Paperが我が田舎町に来てくれてチャリティーライブを開いてくれた。私と一緒に自治会活動をしている方が毎年公演に招致しているのでよく知っているらしい。この方の計らいでチャリティーのために駆けつけてくれた。
午後4時開演。会場は近所のレストランの2階。60~70人くらいが集まった。チャリティーなのでもちろん無償で公演をしてくれた。どうやら震災の後はこうした方々の出番はめっきりと減っているらしい。今日の登場人物は、枝野さん、石場さん、谷垣さん、麻生さん、田中さん、蓮舫さん、などなど。震災と言うデリケートな話題で難しかったと思うがそれぞれが楽しい話術を提供してくれた。笑いの絶えない一時間あまりだった。
これまでは自粛、自粛の一言だったがここにきて、やっぱり普段通りに生活しようよ、と言う雰囲気が強くなったような気がする。今日のライブも、いつまでも落ち込んでいないで笑いのある生活取り戻そうよ、と言う調子の公演だった。そう、被災しなかった我々はいつもの通りに経済活動をすることで間接的に被災者を助けることになるからね。
そう、チャリティーです。見えない「思い」をしっかりと見える形にして帰りました。
谷垣さんと石場さん 蓮舫さんと枝野さん
午前中は自治会の総会。例年通りに30分のシャンシャン総会。ただ、今年は総会後の飲食は中止。この経費を義捐金として市に提供することにした。しかしながら、数人の役員だけは蕎麦屋で軽くお疲れさまの打ち上げ。三人の役員が引退。いよいよ会長です。行事計画をみると出番が多い。こんなにも週末を使うとなると自転車は、ランニングは、どうなるか心配になる。
午後は録画してあった「三年B組:金八先生」の最終回を一気に見た。エネルギー、情熱、優しさ。この番組は仮想現実のような番組だ。子供たちが中学生のころからずっと見ていたので終わってしまうのが残念だがいつかは卒業しないといけない訳だ。
The News Paperの後、夜は妻の誕生日のお祝いで家族で寿司屋で飲んだ。