Good Luck グッドラック:運がいいことと幸福なこと

最近は一度読んだ本をもう一度読むことが多い。読んだことがあっても内容を思い出せない。新刊書をどんどん読み続けるのもいいけどどれだけ残っているか。本棚にある本を眺めて時々読み直している。そして、最近読んだ本。テレビで見ない日は無いほどのプレゼンスがある池上彰さんの「伝える力」。そして、「グッドラック」。いずれもしばらく前に読んだが改めて読んでみた。

いずれも「わかりやすい文章」と言う点ですばらしい本だと感じた。ちなみに、翻訳本としてはこれも最近読んだ「ハーバード流交渉術」岩瀬大輔(訳)の翻訳がいいと思った。

池上彰さんの「伝える力」。随分前に購入して読んだ。この「伝える力」はそれなりに理解したつもりだが「伝えること」に興味があったので改めて読み直した。内容は十分に納得し理解できる。伝えるために何をしなければいけないか、と言う観点で示されている事例は十分に納得できる。筆者がかつて子どもを対象にしたニュース番組で培った「わかりやすく説明する」ことの奥義がよくわかる。つまり、自分で十分に理解していないことは相手に伝わらない。これだ。強く同感できる。逆に、相手に分かるように説明できて初めて自分でも十分に理解できている、と言うことだ。

そして、「グッドラック」。アレックス・ロビラとフェルナンド・トリアス・デ・ベスの共著。2004年に発行されて当時は評判になった本。これも発売当時に購入して一度読んだ本だ。これは大人の寓話。64歳になって再会した幼馴染の二人の男。一人はこつこつと働いて自分の会社を立派な会社に成長させ。一方は、親から会社を相続したががうまく行かずに閉鎖して苦労している。その中で語られた物語が主体だ。

その物語はこうだ。一週間後に森の中に幸福のクローバーが生えるのでそれを見つけてほしい、との国王からの依頼に応じて二人が旅立ったことから始まる。一人は旅に出ていろいろな人に聞いて回った。幸運のクローバーはどこにある、どこにある。とにかく探し続けた。もう一人は杜の神からの情報で荒れて硬くなった森の中に柔らかい土を持ち込んだ。そしてそこに水が通るようにした。さらに太陽の光がさすように周囲の木の枝をおろした。最後の土の中の石を拾いだした。そうしている内に森には緑の雨が降り始めた。この雨を見て最初の人はクローバーをあきらめてお城に帰ってしまった。一方、土を運び込んだもう一人は手入れをした土の近くで静かに待っていた。そこに緑の雨。その緑の雨はクローバーの種だった。その種は手入れされた土の上にも落ちてしっかりとした幸福のクローバーを生んだ。この雨は毎年降っているがその種が根付いて幸福のクローバに成長するような手入れされた土がこれまでになかったのだ。手入れされた土を用意していた彼の元には幸福のクローバが生えてきた。

いろいろなことを示唆する寓話だった。運は時にはやってくる。そして何かを得る。しかしこうして得たものは一時的なものだ。しかも、得られないことの方が多い。この物語の中の一人は幸福のクローバーに出会うという幸運をもとめていろいろな人に聞いて回った。一方の人は、努力しておぜん立てをして待っていた。そして必ず訪れる幸運を確実に感じることができた。これが幸福と言うものだ。幸福になるにはいつもそれを感じるための下ごしらえをしておくこと。その幸運を得るには運も偶然の必要ない。幸運はいつもそこにあるのだ。それを感じないだけだ。

つまり、運がいいということは偶然でありそれによって得たものは一過性のものである。それに対して、しっかりと下ごしらえをして努力していると幸運をいつでも感じて受け入れることができる。こうして得た運が幸福と言うもので長続きする。

今の自分の仕事を振り返ってみた。海外に何かを依頼するメールをだしたとしてそれを受けて相手が必要な対応をしてくれるとしたらそれは運が良かったというだけだ。ひたすら依頼のメールを出すのは幸運を待っていること。それに対して、依頼内容にたいして自分ですべきことは自分で準備し相手に対して会議招集をして実際に会話をすることで依頼をする。こうした努力、下準備をすることでそこに幸運が降ってくる。と言うことに通じるかもしれないと思った次第。さてどうでしょうか。

 

物語が進むにつれて、各章の終わりにある言葉の数々。

運は、呼び込むことも引き止めることもできない。幸運は、自らの手で作り出せば、永遠に尽きることはない。

誰もが幸運を手にしたがるが、自ら追い求めるのはほんのひとにぎり。

幸運が訪れないからには、訪れないだけの理由がある。幸運をつかむためには、自ら下ごしらえをする必要がある。

欲するばかりでは幸運はおとずれない。幸運を呼び込む一つのカギは、人に手をさしのべられる広い心。

下ごしらえを先延ばしにしてしまえば、幸運は絶対に訪れてはくれない。どんなに大変でも、今日できることは今日してしまうこと。

自分の知っていることがすべてとは限らない。幸運をつかむには、あらゆる可能性に目を向けなくてはならない。

偶然しか信じなぬ者は、下ごしらえをする者を笑う。下ごしらえをする者は、なにも気にしなくていい。

幸運をエサにするような人は信じないこと。幸運は売り物でも、道具でもないのだから。

できることをすべてやったら、焦らず、あきらめないこと。自分には必ず幸運が訪れると信じ、甘い言葉には耳を貸さないこと。

幸運を作るということは、チャンスに備えて下ごしらえをしておくこと。だがチャンスを得るには、運も偶然も必要ない。それはいつでもそこのあるものなのだから。

幸運をつくるというのは、つまり、条件を自ら作ることである。

幸運の下ごしらえは、自分にしかできない。幸運の下ごしらえは、今すぐに始めることができる。

幸運のストーリーは、絶対に偶然には訪れない。

 

 

 

 

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