椎葉村

画像の説明椎葉村

高千穂ではもう一度だけ棚田の中を走ってみたかったので午前中はここで過ごした。相変わらず広大な斜面に段々畑がキレイに見える。もうすぐ水を入れて代かきが始まることでしょう。この棚田は明治初期に現在の姿になったが水を確保するために大変な努力をして用水を作ったようだ。水を張った風景、田植えが終わった風景、コメが実った風景をぜひとも見たいものだ。
画像の説明 画像の説明馬見原橋

そして西に向かって進んだ。五ヵ瀬町、山都町。
山都町の幣立(へいたて)神宮。行くと平日にもかかわらず大勢の参拝客がいた。若い女性が多い。どうやら霊気あふれるところで知られているらしい。由緒書を読んでもよくわからないがこの地にとある神様が降臨したらしい。そしてここには天照大神の御霊が住んでいるとか。確かに杉の大木が生い茂っている環境は特別な感じはする。
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山都町のここ馬見原は熊本と宮崎を結ぶ東西の通商路と南北の通商路が交わるところで昭和までは非常に賑わって反映したところらしい。現在は小さな商店がいくつか並んでいるだけで面影はない。ここでコンビニランチ。
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ここから南下。途中で車を置いて十根川集落まで自転車で登った。重要伝統的建造物群に指定されている家屋が9軒ある。狭い道かと思って自転車にしたが十分広い道路が続いていた。

汗を流しながら1.5Km登った。登ると上の方に平屋で横長の家がキレイに並んでいる。この辺の家は椎葉型と呼ばれて部屋が横に一列に4つ並んでいる構造。斜面に作るとこうなるでしょう。城のような石垣が高く積んである。江戸後期に作られて現在の家は100年とか。ただどの家も改修されて家の構造、姿は維持されながらもきれいになっている。

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どの家にも住人がいる様子がみられるが物音一つしない。一人だけ畑仕事をしている方がいて上に書いたようなことを教えてくれた。

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そして椎葉村の中心部に入った。日本三大秘境のひとつ。途中は少し狭い道だったがしっかりした二車線道路が続いている。宮本常一の本でみた数十年前のこの村の風景が頭に残っていたが村の生活は都会と同じだった。都会と同じような食料品が売られて都会と同じような家に住んでいる。都会と同じように車を使っている。物が移動し情報が伝わるようになって同化してきたようだ。

昔からの道路は狭いが新しい道路は立派な二車線だった。

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数十年前までは都会の生活と田舎の生活は異なっていた。そんな中で40年以上前に渡米して都会と田舎で同じ生活をしている姿を見て驚いたものだ。それが日本でも現実になっているわけだ。

平家の落人の村でもある。落人討伐に追ってきた源氏の那須大八郎がここで平家の鶴富姫と結ばれた。大八郎が鎌倉に戻ったあとで生まれた娘がここで結婚して椎葉の村を治めた。その鶴富の子孫の屋敷が残っていたので見学。椎葉型の部屋が横一列の大きな屋敷だ。

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この日の停泊地女神公園でゆっくりとしていたら若者が自転車に荷物を積んでやってきた。京都大学の自転車部の方で長話をした。そのうちに他のメンバーが3人やってきた。この日はここで野宿らしい。たくましい若者だ。そういえば昨年の冬に道東の自転車ツアーに参加していたときも真冬に自転車ツーリングしていたのも京都大学だった。京都には猛者がいるらしい。

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