知覧から指宿

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鹿児島市内のホテルから早朝散歩にでかけた。早起きは三文の得ということかキレイな日の出を見ることができたい。まだ薄暗い都会を歩いて港に向かうと桜島を眼の前にする公園に椅子とカメラの三脚を揃えた方がいた。「桜島から朝日がでるんですか」と聞くとあと一時間ほどとの回答。もう少し港を歩いていくと桜島の左側が少しだけ明るんでいるのがわかる。しばらく待っていると朝日がでてきた。タイミングを合わせるように連絡船が出ていった。

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朝食後知覧に向けて出発。昨日のホテルは安価な割にはキレイで設備も十分。そして朝食の品揃えも充実していた。スタッフも十分に配置されてストレスなく食事ができた。いいホテルだった。

まずは武家屋敷。入るとすぐに案内所がありそこで入場料530円を払う。そこにいた方に聞くとここに住んでいる住人は確かに氏族の末裔らしい。現在は7,8代目くらい。その方々がこの場で近所の方々と交流していた。これまで抱いていた疑問が確認できた。

歩くとなんとも生け垣がしっかりと手入れされていて美しい。1mほどの石垣の上に高さが5m位ある部分もある。先程の入場料はこうした生け垣の維持にも使われているそうだ。道路も広くこの生け垣が延々と続いていた。
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左右に続く屋敷に入ると江戸期に作られた石庭がどの家にもある。庭木の手入れも重要だ。建物は随時改修されていると思うが江戸期の雰囲気を残している。いくつかの住宅は公開されていたり飲食を提供していたりする。公開されている家の殆どは空き家だがそれ以外は住人が生活している様子がわかる。公開されている家の住人に聞いてみるとここに住んでいる方々はほとんどが高齢者で家屋の維持に時間を使っているそうだ。確かに他の地域と同じで若い世代は外に出ていて残ったのは高齢者だけと言う姿がここでも見られる。暮らしやすいように家屋のリフォームすることも制約があるだろうし車を置く車庫をつくることも難しそうだ。そうなると若い世代は住まなくなるのは納得する。

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これまで武家屋敷は多数見てきたがこの武家屋敷が一番規模が大きいし一番キレイに維持されている。実に充実していた。

そして知覧平和記念館。戦争末期にここから幾多の若者が飛び立った。その青年の遺書、写真が無数展示されていた。それぞれの青年のエピソードも添えられていた。出撃までの2,3日をここで過ごした。宿舎は三角兵舎と呼ばれる粗末な小屋。出撃の前夜はここで布団を被って声をこらして泣いていたそうだ。遺書に書かれた勇敢で強い姿とは格差がある。
先日訪問した人吉の海軍航空基地で育成された若者がここや鹿屋に移動して出撃したわけだ。九州が戦争の前線になっていたことがわかる。

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知覧を散歩していたときに入った知覧茶のお店で茶畑の話を聞いたので行ってみた。しばらくするとキレイに整頓された緑の筋が見えてきた。機械で刈り取るようになってこうして美しい姿が見られるようになった。その中央の高台が「茶ばっけん丘」と呼ばれる展望台になっていた。ここで有り合わせのカップヌードル、野菜スープでランチ。茶畑を流れながらののどかなひとときだった。

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その後は長崎鼻とよばれる岬に行ってみたが特別なことはなかった。そして今夜の宿は指宿ロイヤルホテル。名前からしてハイレベル。海を見下ろす眺めのいい部屋。快適だ。

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食事の前に有名な砂風呂に行ってみた。バスで5分ほど。専用の浴衣を来て砂浜に行って寝転ぶと砂を乗せてくれる。心地よい重さと温かさを感じる。10分ほどで出たが長居する場でもない気がする。一度経験すればいい。
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砂を払って普通の温泉に入った。多くの観光客で賑わっていたが温泉でオーストラリア人と話をした。話が長くなって妻を待たせたら妻が大層心配していたようだ。申し訳ない。

夜の食事は黒豚のしゃぶしゃぶ、その他多数。スタッフに海外の方が多い。担当してくれた方はネパールから。流暢な日本語を話したが聞き取りにくかった。

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