ニャウンシェから再びヤンゴン

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ニャウンシェ郊外にあるHeho空港からヤンゴンに帰った。飛行機はプロペラ機。搭乗手続きは手作業で手書きでリストを作っていた。座席は自由席。待合室の電光掲示板の時刻も微妙に違っていた。無事に1時間ほどで到着。
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ヤンゴン市内

ここヤンゴンはやはり暑い。30度を超えている。ヤンゴンに戻ってホテルにチェックインしてから暑い中を歩いてアウンサン博物館を訪問。近辺は大使館が多くある。どこの都市にもこうした立派な建物がある一角があるものです。
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そして、イギリス統治時代の建築物が残る日本で言えば日本橋みたいな所を歩いて見て回って汗びっしょり。すごいですねその当時の建物には木が生えている。それでもまだ現役で使われているようだ。

ミャンマーは日本が昭和以来100年近くかかって起こした変化を一気に起こしている感じだ。と言うかその100年の変化がそのま今も全部同居している感じ。100年前の建築物をそのまま使っているし日本では昭和初期に使っていた自動車などの技術が健在。そして今の技術も同時に存在している。100年の間に起こった技術の変化がそのまま現時点で同居していますね。ただし新しい技術の導入はまばら。電気水道道路交通などの社会インフラは日本の戦後レベルかな(限られた見聞ですが)。一方電話は固定電話の時代を飛ばして一気に携帯の時代になっている。
それでも今日見た所では戦後の混乱期みたいな混沌の中でたくましくビジネスをしている姿は将来が楽しみ。昨日見た教育施設などを見ると将来の三菱、三井などが生まれそうな予感がする。

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ミャンマー最後の夜はヤンゴンで有名な屋台街にでかけて串焼き。外国人で賑わっている。相席になったスイスからの二人は自転車ツアーのガイドでいろいろな自転車話に盛り上がった。

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食べている最中でも子供が物乞いに近づいてくる。ホテルの案内には政府の指導としてこうした物乞いにはお金を与えないようにとあった。学校に行かなくなるからだそうだ。アジア最貧国の現状です。

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