ランニングについて腑に落ちたこと。

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「こういう時のために体と精神を鍛えて来たんですよ、きっと。頑張ってね。」

Facebookで繋がっている某女性アスリートがその日常で大変な状況であることを訴えていた投稿をしたのでそれに対して上にあるようなコメントを書いた。彼女は精神的にも立派なアスリートであるのでFaceBookに書かれてあるような状況にはなんなく対応できると思っているが励ましの意味で書いた次第。

このコメントを書いた後で狭山丘陵を走りながら少し考えてみた。

これまで登山とか自転車とかランニングとか肉体的には決して楽ではないことをあえて続けてきた。厳冬期に難しい山に登ってそれに満足していた。ランニングでは自己ベストをだしたり長距離マラソンを完走して達成感を得ていた。こうした自己実現を求めてランニングしているのだろうか。そのために時間を使って苦しい練習をしているのだろうか。自己実現のためにだけランニングしているのではないでしょう。

本当は人生を力強く生き抜くために必要な肉体と精神を作り上げるためにこんなことをしているのではないか、と思っている。

ビジネスの世界にはKGI(Key Goal Indicator)とKPI(Key Performance Indicator)という枠組みがある。KGIとは、プロセスの目標(ゴール)あるいはそれを達成したか否かを表す指標であるのに対して、KPIは、ゴールを達成するためのプロセスの実行、進捗の度合い(パフォーマンス)を示すものになる。人生を力強く生き抜くというゴールをKGIとしたらランニングで自己ベストをだすことはKPIと言える。この意味で自己ベストをだすことはKPIとして単なる途中経過の指標でありゴール(KGI)を達成しなければ意味がないと言える。

日々辛い練習をして自己ベストをだすのはいい。でもそれは最終ゴールではないでしょう。最終ゴールは日々の生活の中で起こる様々な困難に打ち勝って力強く生き抜くことでしょう。逆に言えば自己ベストを出しても力強く生き抜くことができなかったら意味がないと思う。

少々大げさな解釈かも知れないが大雑把にはこれでいいと思う。自分なりにストンと腑に落ちたことですから。

今日はこんなことを考えながら秋が深まった狭山丘陵を23Km走ってきた。
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