5月27日 高畠町、米沢から姥湯温泉

画像の説明

前日は高畑町の「道の駅たかはた」に泊まった。朝になって出発するときにこの三重塔が目に止まった。みどりの向こう、林の手前に控えめに見えた三重塔に惹かれた。この町はそれまでは特に意識しないでこの日の目的地である米沢に期待が膨らんでいた。そんな中でこの三重塔と出会って近くまで行った。

阿久津八幡神社

ここは阿久津八幡神社。慈覚大師が860年によって阿弥陀堂ができたのが始まりのようである。その後神仏混合で10世紀ころは12坊が存在し大きな施設だったようだ。現在の三重塔は18世紀に再興されている。明治になって神仏分離令によって寺院は廃絶し仏教施設としてはこの三重塔だけが残った。神社本殿はそのまま残っている。

画像の説明 画像の説明 画像の説明 画像の説明 画像の説明 画像の説明 画像の説明

素朴な感じのする木造建築、銅版葺。落ち着いたいい立ち姿だ。気に入った。派手さがなく歳を隠してないこういう建築物がいい。神社本殿の他に室町末期に作られた舞楽殿もある。これもいい。ここで毎年春と秋の例大祭で延年と呼ばれる神楽舞が奉納されるとか。
画像の説明
お参りをして戻るときに地元の方と思えるご婦人とすれ違った。朝からお参りのようだ。その方と少しだけ話をした。綺麗な標準語を話す上品な方だった。

高畠町

この町に興味を持った。車で町内をゆっくりと走ってみると田舎の町らしく家々の間にゆとりがある。中心地と思える通りにでると田舎町とは思えない品のある家並みが続いていた。天童市の城西で見たような家並みだ。白壁に銅葺きの屋根。凛として品格がある。いい町だ。

画像の説明

廃線となった山形交通高畠線の旧高畠駅や高畠郷土資料館に行って湖の街のことを勉強。しっかりした展示でした。

画像の説明

米沢・上杉神社

この日は米沢に期待していたが高畠町にずいぶんと時間を使って見て回った。ここから米沢までは20分ほど。

上杉神社。自転車で行ってみた。普通だった。続いて駅前を含んだ市内を自転車でゆっくりと回りながら見物。普通の地方都市だ。期待していたような趣きのある街並みは無かった。ここもかつては城があったがその面影はない。他の城下町に感じるような家並みはなく少し残念だ。

評判のいいラーメン屋で醤油ラーメンと米沢牛すじこはん。ちょっと醤油の味が濃い。

姥湯温泉

米沢がすこし期待はずれだったのですぐにこの日の宿、姥湯温泉桝形屋に向かった。

この道中が緊張した。これまで狭い山道は何回も運転して慣れているがここまでの15Kmは一番手ごわかった。対向車に会うこと3回。幸いにすれ違うスペースがあるところだった。
画像の説明 画像の説明 画像の説明
40分ほどの緊張したドライブの後で駐車場に着いたときは一安心。ここから250mは歩きで宿につく。

画像の説明 画像の説明

温泉は3つの露天風呂。一つは女性専用。二つは混浴。建物は最近建て替えられたようで内装もシンプルで綺麗。室内も全室に綺麗なトイレがある。早速露天風呂に行ってみるとまさに箱根の大涌谷のようなところ。地肌が露出した大きな壁が頭上に迫ってくる。お湯は白濁。適度な温度だ。もちろん掛け流し。

画像の説明 画像の説明 画像の説明 画像の説明 画像の説明 画像の説明

行くとすでに男の人が一人いた。神戸から夫婦でやってきた72歳。ずいぶんと話し込んだ。指がしわしわになるまで。聞くとこれまでに何度と無く日本全国を車で回ってきたそうだ。60歳から3年で100名山を制覇、その後100名城をすべて訪問。この温泉にも毎年二回きているとか。この方とは翌朝も同じ場所で会って同じように長話。元気なお爺さんでした。

リラックスできた宿でした。ここで今回のみちのくの旅をおしまいにして翌日は一気に自宅まで帰ることにしてある。

4月23日に出発してから36日間。何はともあれ無事故で戻れることが一番良かった。いろいろな所に行っていろいろなことを知った。まさに見聞を広めた旅だった。各地でその地の資料館をおとずれて現在だけでなく過去もしることができた。4次元の旅をしたような気がしている。

東北の印象が変わった。もっと殺伐として廃れた街を想像していたが緑が美しい農村風景をみられ豊かな農村の生活を垣間見る結果になった。田んぼはちょうど田植えの時期。旅を始めたころは田んぼの整地をしていた。次第に水を張った田んぼを見かけるようになり、後半では稲の苗が植えられているのが見えた。地方都市の中心市街地はやはりどの店もシャッターをおろしていた。空き家になった建物が多かった。それに対してコンビニと郊外の大型店が賑わっていた。このパターンはどの街も同じだった。

それぞれの町はいろいろな公共施設を持っている。日帰り温泉、道も駅も多い。郷土資料館、公園、スポーツ施設、、、、。こうした施設が地方の町でも充実している。都会と同じような生活を送っている。このことは30年前にアメリカを同じように一ヶ月ほど旅行したときに感じたことだ。当時の日本は都会と地方との生活環境の差が大きかった。それに対して当時のアメリカは都会と地方とで同じ生活レベルだったことに感激したことを覚えている。今回の東北の旅で日本でも地方も都会と同じ生活を送っていることを知った。

今回は見聞を広める旅だった。芭蕉のように旅を住処とする、と言う旅には違う。時間のゆとりがあるとは言え無制限に旅をすることはできない。中には自動車での旅を住処としているひともいるようだが私にはできない。現役で働いている人達からみると実に羨ましいゆとりのある旅に見えるかもしれないが時間の制約はある。その制約の中で東北をぐるっと回ってきてもう少しゆとりが欲しかった。一つの町に一日しか滞在せずに次々と移動してきた。同じ所に滞在したのは象潟だけだった。もう少しじっくりとそれぞれの街を味わいたかった。ただし、時間があってもそれができるか不安でもある。次々と新しい街への興味が湧いて一日でも早くその街に行ってみたくなる。だから早いペースで回ってしまうかもしれない。

また別の「街道を行く」を読んで次の旅路を考えてみる。

コメント


認証コード8681

コメントは管理者の承認後に表示されます。