5月26日 天童市ー立石寺
場所があの有名な句「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」を詠んだことで知られる立石寺。天童市山寺にある。限られは知識での私見を言わせてもらうと、ここは世界遺産クラスのポイントだ。数々の関連施設が自然と一体となって箱庭のような姿を作り上げていた。こうして自然の中に溶け込んだ建築は日本固有のものかもしれない。建築物の規模の点では他にも多くの大規模な宗教建築がある。でもこれだけ自然と同化した建築群は見たことがない。
天童市内
と、その前に早朝に天童市内を自転車で回ってみた。新たな発見は織田信長の子孫がここで藩主をしていた、と言うことである。二男は本能寺の変以降も生き延びて織田家としていくつか領地を変えながら江戸末期にはここ天童の藩主だったようだ。織田信長を祀った神社が建勲(たけいさお)神社。織田家の菩提寺が山寶寺。いずれも戦国時代から城があった舞鶴山を中心にした天童公園にある。
ここも城下町なのだ。城西地区に行ってみた。かつての藩士の末裔なのか多くの大きな日本家屋、大きな倉を持つ家が並んでいた。どこの城下町にもこうした地区がありそこには今でもこうした家が並んでいる。末裔なのかな。
やっぱり城下町は品がある。
立石寺(りっしゃくじ)
そして、山寺の立石寺へ。
山寺、いい響きです。行く前から期待に胸が踊りました。気温は30度近い暑いひでした。芭蕉が訪れたのは6月。同じような暑さだったのかも知れない。受付で入山料を払うとすぐに杉の木立の中。日陰はひんやりする。
まずは根本中堂にお参り。その後は参道の1000段の階段を登る。石段の一つ一つを登ることで煩悩をひとつひとつ消し去るとか。それでもまだ煩悩が残るような気がする。
参道を登るにつれ次々と支社が現れ小さな地蔵、石仏が迫ってくる。どれもが岩の間にあったりして自然と同化している。
かつての修験者が修行に使ったという小さな祠もいくつか見える。まさに崖の上の狭い場所に作られた修行の場だ。実際に何人もの修験者が落ちて命をおとしたとか。かれらは出世欲などの煩悩を持っていたからだ、と断ぜられていたとか。辛いことです。
最終点には本堂がある。それ以外にもいくつかの建物がある。これだけの急峻なところにこうした建物を作る意欲に感激した。宗教が持つ力でしょう。
帰路は下の眺望を楽しんだ。
この立石寺は素晴らしい。世界遺産とくらべても遜色ない。来る前に想像していた以上に素晴らしいところだ。来てよかった。日本人の力を感じた。
上山城(かみのやかじょう)
山寺から高畠町に向かう途中に上山温泉がある。そこはかつては上山城があった。現在は近年に再構築された城の形をした記念館。こういうのはよくあります。この中はパスして城下に武家屋敷があるようなので行ってみた。感激した。未だに生活の場として住んでいる。庭までは見学できるようになっておりそれ用にきれいに整備しているが生活感がある。