石見銀山

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今日の石見銀山は流石に世界遺産と言う感じで大満足の一日でした。

まず石見銀山の大きな意義は、ここの銀によって南蛮貿易が行われて西洋の文化を日本に引き寄せるきっかけを作ったということと理解した。16世紀以降に中国、朝鮮、西洋からの絹製品、香辛料、綿製品そして文化が石見銀山の銀と引き換えに日本に入ってきたわけだ。

石見銀山で見るポイントは2つ。重要伝統的建造物群保存地区に指定されている大森町の街並みと間歩(マブ)と呼ばれる銀山の坑道。

今日は朝一番で石見銀山 世界遺産センターで事前勉強。これは必須です。
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戦国時代に銀山が発見され仙ノ山の山麓に鉱山町が形成されて一時期は数万人が住んでいた。戦国大名の間でこの鉱山に奪い合いがあり毛利元就が勝ち取ったが江戸時代になって江戸幕府の管轄になった。

この街は柵で囲われて銀の持ち出しを管理されていた。そのころから山の下には現在の大森町に街が形成されて商人などが住んだ。大森町は江戸期に栄えた。

明治になり明治政府が管理したが次第に銀の産出量が減ってきて大正12年に閉山。山の上の街は崩壊し朽ちた。現在は石垣だけがところどころに残り大きな森林になっている。

午前は大森町、午後は間歩をガイド付きツアーでまわってきました。それぞれ500円で知識が実に豊富なガイドが解説してくれる。これも必須です。

大森町はこれまでに訪れた重要伝統的建造物群保存地区の中ではピカイチ。これまでは愛媛県の内子が一番だと思っていたけど今日の大森のほうがレベルが高い。とにかく居住率が高い。多くの家がまだ実際に使われている。先日の温泉津もそうだけど多くの伝統的建造物群保存地区には空き家が多いけどここは住んでいる割合が他よりも高い。しかもどこの家も環境に配慮するように維持されている。世界遺産になったと言う事で補助金が多いのかもしれない。

しかしながら実際に住んでいるお婆さんに聞いても色々な不自由はあるそうだ。やはりこの制度を改善する必要がありそう。

有名な障害者向けの装身具などを製造販売する中村ブレイス。作業場は外から見えるようになっている。
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もう見慣れた感のある街並み。江戸後期から明治、大正の建築物にまだ多くの住人が普通に生活している。

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小高いところから見下ろす家並みは美しい。ベンガラ色の石州瓦の屋根が美しい。

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ガイドは全部で50人ほどが登録されているようだがこの日のガイドは午前、午後ともに豊富な知識を持って上手に説明していた。

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中村ブレイスと並んで地域の雇用に貢献している群言堂。衣食住に関して新鮮な提案をしている。ここのレストランで昼食を取ったが高品質のサービスをいていた。

これらのお陰でこの街の人口は増えているそうだ。保育園も拡張中。生徒数21人の大森小学校は創立150年。
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間歩についてはただただ手掘りでこれだけの坑道を開いていたことに感嘆。個人的には決して入りたくない狭い空間で山師と呼ばれる事業者もすごい。

大森の町並みを抜けて山の方に進むとアチラコチラに銀を掘り出した間歩と呼ばれる坑道の入り口がある。なんとも狭い穴だ。こうした間歩がこの山に下に1000箇所以上あるらしい。

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観光用に整備されている龍源寺間歩の中に入った。ここは高さが2m近くあるが実際の間歩は1m+で立って歩くことはできない。途中にいくつもの横に伸びた間歩があるが人間がやっと入れるだけの穴だ。ここで薄暗い中ノミで岩を削って運び出していたわけだ。地下数100mのところで。鉱夫はホコリなどで心肺機能が衰えて30代で死んでいったそうだ。その代わり報酬は高かった。

世界遺産になるレベルを感じたところだ。遺産そのものが貴重でありそれを維持しようとしてる住人の意識、体制、仕組みができている。それが世界遺産となる条件だそうだ。

いい経験をした。

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