歎異抄講座

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先月から受講を始めた歎異抄。今日も参加した。今日は妻は都合がつかなくなり私一人での参加。いつものふれあいセンターには10人程が参加。

今日は歎異抄の4章の解説。歎異抄そのものは短い文章で構成されており中身が非常に濃い。語句の前後に入る修飾語が極端に削られていて読者はその修飾語を推測して意味を理解する必要がある。つまり行間を読むということの極めであるような気がする。そうした歎異抄の中でも特にこの4章は背景となく知識が必要とのことで講師が熱を込めて解説してくれた。

4章は

「慈悲には聖道・浄土のかわりめあり」で始まっている。

これは、聖道の教え(聖道仏教)と浄土(仏教)の教えとは慈悲についての考え方がことなる、という意味らしい。それぞれがどのような慈悲を唱えているかについての解説があったがこの解説の前に背景として慈悲についての解説があった。

つまり、仏教の根幹思想として「因果の道理」がある。これはすべての結果に対して原因があるということ。善因善果。これは良い行いに対しては良い結果がおこるということ。同様に悪因悪果。自因自果。

そして人間は「廃悪修善」を旨とすべきである。ここの善=布施をすること、そして布施=施すことであり親切にすることである。
つまり、慈悲、抜苦、与楽の心が重要 <これが仏の心である。

こうした慈悲の心について前述のように聖堂と浄土では慈悲がことなるそうだ。

聖道仏教でいう慈悲とは、衣食住、健康、人間関係などにたいするものであり「相対の幸福」を求めるものである。

対して、浄土仏教で言う慈悲とは、阿弥陀様の本願に救われて仏のさとりを開いて念仏を唱えることで大慈悲心(だいじひしん)を持って人々を救うことである。これを「絶対の幸福」という。これは平等に与えられて永久不変である。

という事を説明してくれたが最後まで理解できなかったのが「絶対の幸福」。どのような幸福を言うのかがまだ理解できなかった。いずれ真意を理解できるようになることを楽しみにしている。

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