計画中の公園の名前を応募

キャプチャ

先日公園づくりについての懇談会があり参加した。その際に公園名の公募をするとのことだったので応募してみた。

提案は「モクレン憩いの公園」。。

命名の趣旨を書く欄があったが書ききれないのでそれを添付して応募してみた。その全文を以下に掲載しておく。

要旨は

1.この公園用地にはかつて大きなモクレンと百日紅の群落があった。区画整理によってすべて伐採されてしまったのでその再生を願う
2.新しくできる地域住民が交流して新しい地域社会を作る基礎としたい
3.伐採によって消えてしまった緑の復活

この中で命名の趣旨とは離れるが、「この公園用地はこの地区の地権者がすこしづつ供出した土地を利用していることを世間に知らしめてほしい」と書いた。区画整理事業に巻き込まれたこの地域の住民以外はこうした公園や道路用地は市が所有していたり新たに地主から買い取ったものであると認識しているようだ。このため土地の所有者には多額の資金が入ったと思っているらしい。無償で提供した土地所有者としてははななだ不本意なことであるという地主の意見を代弁したつもりだ。

今後、1,2年かけて公園の名前やレイアウトを決めていくはず。ここで提案した内容が採用されるのか注視していくつもり。


以下は別紙の内容

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4号公園 命名の理由(別紙)

アンケート用紙の枠には収まりきれないほどの理由、思いがありますので別紙で回答させていただきます。

この公園には非常に強い思い入れが3つあり、それらが命名の根拠になります。

その1 公園予定地の歴史としてここにはかつて白モクレンと百日紅の群落があった

この公園予定地は先祖代々耕作してきた農地でした。先祖代々が汗を流して耕してきたその農地は戦後の農地開放で多くを失い、日産自動車の工場用地として多くを失い、そして残った僅かな土地で義父が農業を営みそして晩年は販売用の植木を植えていました。

その植木の中の白モクレンと百日紅が最後まで残っていました。いずれも数十本あり白モクレンは3月後半、桜が咲く一週間前に華やかに白い森を形成してきました。華やかな期間は一週間程度と非常に儚い花でした。その時期になるとどこからともなく多くの方がやってきて花を愛でていました。三脚を立ててカメラを構える方もいました。大きく引き伸ばした写真を立派な額に入れて持ってきてくれた方もいました。

白モクレンとともに百日紅の木も数十本残りました。名前の通り8,9,10月の100日の間次から次へと花を付けて家族はもちろん地域住民を楽しませてくれました。

そんな木々は今回の区画整理事業によってすべて伐採された次第です。伐採されることになったその年の春には白モクレンの下で親族が集まり最後の花見をしたものです。

「白モクレンや百日紅の群落がこの公園予定地にあった」ことを少しでも再現したく思っております。こうした木々があったことは当家だけの関心事であり他の地域住民は少しも関心を持っていないということでしたらこの思いは単なる一家族のエゴかと思います。そう判断されるのでしたら思いが空回りしたということで理解します。

この土地の歴史に関連してもう一つの思いがあります。ただし、以下は命名理由とは直接の関係はなく区画整理事業のありかたについて公園への提案です。

今回の区画整理事業ではこの地域にできる道路や公園の用地は既存の公共の土地を利用するのではなくそれまでの地域住民が所有していた私有地を供出して集めた土地を利用しているということを初めて知りました。

こうした事実は当事者になって初めて知ったことでありこの公園をこれから利用する地域外のほとんどの利用者は知らないことかと思います。ほとんどの方は市が所有する既存の公共の土地や地主から買い上げた土地を使っていると理解していると想像されます。あるいは、この土地は現在でも地主が所有していて市に貸与していると理解しているようです。

つまり、これまでの地権者が無償で提供した土地であることが多くの方に知られていないと感じます。特段に土地を供出したことを吹聴したいわけではありません。少なくとも地権者は土地の売却で多額の資金を得たと思われていることは非常に不本意です。

この意味でこの公園はどのような背景で作られたのかの記録をひっそりとでも公示していただけると少しは心がいやされます。具体的には新しい公園の片隅にでもこの土地のかつての姿やこの地域の地権者から提供された土地である旨の印を残すことを希望します。

その2 地域住民のコミュニティー作りの拠点になるような公園を希望する

これまではこの地区の多くは農地でした。今後は次々と新しい家が建ち多くの新しい住民が移り住んでくることでしょう。すでに我が家の周囲にも多くの家が立ち始めました。しかし隣近所に住む方々との交流は限られます。ましてや遠く離れたところに住む方は全くわかりません。道を歩く方を見かけても話をすることもありません。かつて生まれ育った地域ではどの家でもどんな仕事をしてどの学校に通っているかをお互いに知っていました。

残念ながら今の地区では通りがかりの立ち話もなし、隣近所との交流もありません。今後この地区に住民が増えてきた時にお互いに立ち話ができる環境、関係が必要になってくると感じています。

区画整理事業は単に道路をつくる事業と理解しています。この事業によりハードウエアとしての道路ができつつあります。次はそこにどのような景観の街を作るかが重要になるかと思いますが景観については特段の指針がないようですのでこのまま自由という名の雑多な景観ができるでしょう。その前提でそこに住民が住むようになりソフトウエアとしての「街」が形成されます。

そのソフトウエアとしての街を作るための土台としての公園があると思います。子どもたちはもちろんのこと地域の大人たちが集まってゆっくりと会話する憩いの場としての公園が重要になると思います。

そうして「地域住民がゆっくりと集って交流できる場としての公園」を思い描いています。

その3 緑の復活

区画整理事業に関わって、区画整理事業用地内では基本的にすべての樹木を伐採することと理解しました。これによってすべての緑が失われました。さらに、残念ながら新しく建つ家の多くは庭が狭くしかもコンクリートで敷き詰められています。かつてはこの地域は農地と雑木が多くあり緑の街村山にふさわしい風景がありました。しかし、現在では緑が限られたものになりつつあります。この意味で少しでも緑の空間を増やして住民がゆったりと過ごせる場としての公園を望みます。

以上が3つの思いです。

という事で公園の名称を「モクレン憩いの公園」(通称「モクレン公園」)でいかがでしょうか。「モクレン」は最初に書いた思いを感じていただければ理解できると思います。そして「憩い」は二番目の思いから来ています。三番目の思いは公園としてデフォルトで当然実現されると信じています。

長くなりましたが以上がこの公園に期待することであり名称です。つまり、こうした思いが期待する公園のコンセプトになりますがこれはあくまでも公園づくりの素人の発想です。専門家は大所から高邁なコンセプトを考えるかもしれません。大規模な施設にたいしてはこうした高次元のコンセプトが必要になるかと思います。しかし、狭い地域の公園のような場合は素人感覚のコンセプトが実際に公園を使う方々の利用者感覚に合うと信じています。そして、公園の間近に住み毎日を公園ととともに過ごすことになると思われる老人の願いでもあります。

最後になりますが3日間の懇談会をするなど多くのコストを使って公園の計画を作りつつある以上この公園について役所の中でどのような議論が進んでいるのかぜひとも適宜情報公開をしていただきたく思います。ここに書いた住民当事者としての願いがどこまで実現し、もし実現しないとしたら何故なのかをフォローしたいと思います。


以上

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