街道を行く「島原・天草の諸道」 司馬遼太郎

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コロナ禍が落ち着いて気持ちよく出歩くことができるようになったら行きたいところの有力候補は九州だ。これまでに宮本常一の「私の日本地図」や「街道を行く」で熊本界隈のことを調べてきた。

今回は島原、天草地方。戦国時代から始まった切支丹の文化、歴史が中心テーマだ。

この辺は松倉重政とその子勝家が収めてきた。この地域は耕地が少ないにも関わらず幕府には耕地を広めに報告していた。そのために収めるべき石高が高くなりそのしわ寄せは領民にきた。彼は領民から絞れるだけ絞って搾取を続けていた。そうした農民への弾圧と切支丹への迫害が重なって島原の乱に及んできた。

当時の農民の生活の苦しさは到底今では想像できない。粗末な家、衣類、食事、、、。死なさず、生かさず、というレベルの扱いをされた彼らの怒りは島原の乱という形で現れそして切支丹という形で癒やしを求めてきた。現地に行くことでそうした当時の姿を少しでも感じられるだろうか、かすかなのぞみを持ちながら読み進めた。

筆者は島原の乱にまつわる街、そして隠れ切支丹の村を訪れてその歴史を語っている。例によって膨大な資料をもとにした詳細の記述には感嘆する。

いつものようにGoogleMapの衛星写真をみながらの読書は楽しかった。多くの島々からなる島原、天草。僅かな平地に寄せ合うように住宅がならびカトリック教会がそびえている。そんな場所を是非ともこの目で見てみたい。そんな思いが強くなった。じっくりと回ってみたい。

この本では佐賀県は扱って居なかったがここにも興味がある。

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