司馬遼太郎が語る水難の「人吉」

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熊本県で大規模な水害。線状降雨帯とよばれる気象状況によってかつてない量の降雨があり球磨川が氾濫した。堤防が各所で決壊し数千世帯が床上浸水をしたり流されたりした。

この辺は最近いろいろと読んでいる宮崎常一の本で紹介されていたので各地の集落の名前にも馴染みがあり他人事ではない気がしてニュースを見ている。

球磨川は暴れ川と呼ばれて過去にも何回も氾濫を繰り返してきた。そのたびに被害から立ち直ってきた。

そんなニュースに接したので改めて司馬遼太郎の「街道をいく」の肥後薩摩編を読んでみた。するとこうした一節があった。

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「おそろしか川ですよ」
と、このあたりの人ならばみな言う。秋の台風シーズンには毎年のように水害がある。
ダムもできているが雨季のこの川をなだめることができなくてむしろダムができてからのほうが荒れぐあいが物凄いという。水流は115キロである。流れゆくその両岸の山がみな急斜面をなし、このため山が雨水をスポンジのように貯えておくという堪え性がない。山に降った雨水はいきなり斜面を走る鉄砲水のようにして球磨川に落ちこんで、水かさをみるみるふやすのである。
(中略)
「あン川はおそろしかとですよ、水がほんにどこから出てるか、思いがけなか所から出て参リますとですよ」
人吉には水害がつきものである。この宿も何度か浸っているという。
熊襲八十帥のころは水をおそれ、山の斜面の高所に人間の住居が営まれていたようだが中世末期になって城下町がつくられるとひとぴとは盆地の低所に降リてきて町家をつくるという危険をおかすようになった。人間からみれぱ盆地かもしれないが、水の神さまからみれば人吉は本当は湖の底だというかもしれない。たまたま乾季だからわれわれはのうのうと宿で遅い夕食を食い、球磨燐酎を頂難しているのだが、じっは乾湖の底を山の水神たちからー時借用しているというカリソメの姿なのかもしれず、人の一生も人吉の地面もにたようなもののように思われる。

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この場に及んでここに住んでいる方が悪いとは言えない。しかし、こうしたところにはそもそも住むべきでないところかもしれない。現実膣的にはこうしたところにすまざるを得ない人が多い。

日本は海岸の津波にしても土砂崩れにしてもこうした自然災害を受けるリスクが高いところが各地にある。そもそも人が安全に住める場所が少ないのが現実だ。

それを知りながら自然にあらがって治水をして生き延びてきたのが人間だ。今回は抗うことができなかった。

こうした現実を前提にすると日本としては住む場所をどのように計画するか、都市づくり、街づくりをどうするかを考え直す必要がありそうだ。人口が減少している今、新たな街をどこに造るのか行政の力の出しどころだ。

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