「辺境を歩いた人々」宮本常一

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久々の読書ネタ。昨年後半からこれまでは引っ越しやら仕事やらで落ち着いて本を読む時間がなかった。新型コロナ騒ぎの外出自粛のおかげでようやく時間がとれて読み始めてみた。

まずは民俗学者である宮本常一の「辺境を歩いた人々」。

民俗学はもともと好きで関連本は読んできた。アメリカ留学中も専攻とは関係なかったが文化人類学(Cultural Anthropology)のクラスに参加して基礎知識を得たものだ。人類学にはPhysical Anthropologoyもあるがこちらはあまり興味がない。

やはり生身の人間がどのようなきまり、制度のもとでどのように生活してきたのかに興味がある。地方に旅をした際にも可能な限り地元の郷土資料館に立ち寄ってその土地の歴史や文化を感じてきた。有名な観光スポットを訪れるよりも一般の市民がどのような家でどのような生活をしているかに興味がある。だから訪れた街をランニングして路地裏に入り込む。そこには多くの生活者の姿があるのでその街の匂いを体験できる。

そんなことで旅行記とか民俗学者のフィールドノートを読むのがすきだ。宮本常一の本はかつて「忘れられた日本人」を読んだ記憶があるが最近になって新聞記事で彼の「私の日本地図」シリーズを紹介していた。この記事をよんでから彼に興味を持って「辺境を歩いた人々」を読み始めた次第。

「辺境を歩いた人々」には江戸後期から明治初期にかけてまだ日本のすべての状況がわからなかったころに北端から南端の各地を踏破、探検した方が紹介されている。

松浦武四郎と菅江真澄だけはこれまでにいろいろのところで目に触れてきた。松浦武四郎は北海道の名付け親でもあり北海道の各地を旅して地域の実情を幕府に報告してきた。北海道旅行中にも彼の訪れた場所にはその旨の案内があった。そして菅江真澄は東北旅行中に知った。各地に彼の足跡がしるされていた。

この二人以外にもこの本で紹介されている数人を始めて知った。こうした方々の旅の困難さは現代の旅と比較にならないほどだ。私が経験した困難な旅は荒天時の登山だが彼らの旅は毎日がこうした状態だったと想像される。

以下は読書ノートから。

>最上徳内
江戸後期
北海道、千島、樺太探検

>近藤重蔵
明治8年生まれ
北海道 内地も探検
多くの記録を残した

>近藤富蔵
重蔵の子
殺人で八丈島に島流し「八丈実記」を著す
明治になって恩赦で帰京
西国札所めぐりのあと帰京
再び八丈島に渡って永住

>松浦武四郎
てん刻(印章彫り)をしながら10年間諸国漫遊 多くの山にも登った 一日60-70KM歩いた
赤痢にかかりそれから禅僧となった
27歳で蝦夷地に出発 「初稿蝦夷日誌」を書き水戸藩の支援を受ける
「三航蝦夷日誌」
四回目は幕府の役人として蝦夷、樺太探検
松前藩の暴利、アイヌ虐待を幕府に進言、助ける

>菅江真澄
旅行家

>笹森儀助
明治初期に牧畜業
西日本を貧乏旅行
「千島探検」明治天皇も評価した
その後沖縄諸島調査し「南島探検」「拾島状況録」を著した
奄美大島の島司として4年滞在

>田代安定
沖縄調査  日本の領土としての存在感を示した
島津藩が琉球王国を支配 ここを通して清国との交易で栄えた
沖縄諸島を探検し政府に報告

>伊能喜矩(いのうよしのり)
台湾を10年間調査
明治28年 日清戦争の後で日本領土になっていたころに台湾を調査、台湾開発に貢献した
故郷遠野で「台湾文化志」を著す
その後は台湾の調査

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