生き方、死に方

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今年の6月に行われた「越後カントリートレールラン」で9年のランニング人生で始めて途中棄権(時間切れ)をした。これまですべての大会で完走してきたのが誇りだったのでその経験が気持ちの中にずっしりと残っている。

ほとんどのランナーは何回も途中棄権を経験しているが私にとってはショックだった。以来、自分の体力についての自身をなくしつつあるような気がする。まだまだしっかりと走れるという気持ちはあるが本当にそうなのかと不安に思うことが多い。実際に走っていてもかつてのように軽快に走っていないような気がしている。

「老い」を意識し始めたのか。

そんな中、「仙崖礼賛」と言う作品展が出光美術館で開かれているのを知って見てきた。作品に興味があったと言うよりもこの仙崖という僧侶が江戸中期に63歳で隠居してから88歳までの間の隠居生活に興味があった。

作品は巻物になった墨画。俳句のような短い文章が添えられている。写実的な美しさがある墨画ではなくどことなく素人の匂いがする漫画のようなユーモアのある絵が書かれている。力が抜けていていい。

彼は隠居してからは和歌、俳句を詠み、茶の湯を楽しみ旅の中で見聞きした題材を元に絵を描く毎日。毎日は友人と楽しく洒脱に過ごしていたようだ。その様子が墨画に現れている。

いい老後を過ごしていたようだ。墨画に添え書きされていた

「鶴は千年 亀は万年 崖(本人)は天年」

が心に残った次第。天から与えられた歳までを生き抜く、と言うことかな。私はいつその歳(時)がきてもいいかな、と思っている。

一方、長寿を願う思いが多くの画に書かれていた。この辺は少し違う。

そしてNHKスペシャルで最近亡くなった樹木希林の密着ドキュメンタリーを観た。死の2ヶ月前までの1年間の様子を放映していた。彼女は何年も前から全身ガンだと宣言しながらも女優として仕事を続け最後の1年間に4本の映画に出演している。自分の死を真正面から受け止めて向き合い死の1ヶ月前まで仕事を続けてきた。死期が迫ってから入院しながらも死ぬ前日には自宅に戻って家族に見守られながら亡くなったとか。なんともあっぱれな死に方。

仕事をしたい、しなければならないという意志が彼女を支えて最後の最後まで生かされていたのかもしれない。

一見するとあの仙崖の洒脱な楽園にいるような最後の生活と比べると樹木希林の最後は対極のような感じがする。仙崖は趣味の世界に人生の生きがいを感じ、樹木希林は仕事に生きがいを感じていてそれが支えだった。

さて、私はどちらになるでしょうか。中途半端に終わりそうですな。

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