松前町から上ノ国町へ

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この日は日本海に沿って北上。

気温は20度位だったが朝から蒸し暑かった。道の駅をでてすぐに青函トンネルの工事に関する資料を展示してある「福島町青函トンネル記念館」に立ち寄り。そういえば道の駅の隣を新幹線が走っっておりその出口も近い。この資料館で知ったことだが青函トンネルの出口がどこになるかで知内町と隣の福島町がやきもきしたらしい。結局福島町が出口になったようだがこの工事のおかげで大きな雇用も生まれ周辺の道路も整備された。

記念館の展示はそれなり。難工事の様子はビデオでよくわかった。3年前に龍飛崎に行って本州側の同じような記念館を訪れたがそれよりも遥かに充実していた。それにしてもあの津軽海峡にトンネルを掘るという発想をするだけでもすごい。先の戦争直後から計画があったらしい。

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地方に行くと一体誰が訪れるのか、と思えるような施設がたくさんある。いわゆる箱物を作って地域振興を目指しているのでしょうが運営費をまかなえるほどの訪問者がいそうもない。大丈夫か?

松前町の中心街は江戸時代のイメージの家並みで統一されている。非常に好感度があがる。こうした街づくりをわが町の区画整理事業でも取り入れて欲しかった。

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ここは最北の城下町。松前藩だ。福島城の天守閣は残念ながら昭和に消失して再建されたもの。歴史の趣は感じられない。中は展示スペースになっている。松前藩は武田の末裔が開いたそうだ。

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そして、観光施設として松前藩が反映した頃の街の姿を再現した施設に行ってみた。奉行所から始まって商家、民家、漁家、番屋、、など14種類の建物を再現して展示していた。テーマパークみたいなもの。その中の一つでは民芸品を売っていた。そこには東京出身でこの街の歴史に没頭してついに移住したと言う中年男性がいた。なんでも聞いてくれと言われたが質問するほどの知識もないので一方的に松前藩の歴史等を話してもらった。物知りでした。

画像の説明番屋
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画像の説明髪結い

ここを見学してるころには快晴になり気温もどんどん上がって30度くらい。この日は北海道の各地で30度を越えたようだ。35度になってところも。

そして上ノ国をめざして再び海岸線をドライブ。ここが良かった。真っ青な海と空。のびる道路と草原。ときどき漁師町。おもわず車を止めてシャッターを押した。そして、時々脇道がある。国道から下の漁師町への脇道だ。狭い旧道をくだっていくと小さな集落がある。なぜが漁師町という雰囲気はない。普通の集落だ。船や漁具は別のところにあるのでしょう。人は殆ど見かけないが車が停めてあるので人はいるはず。こうして狭い通りをゆっくりと進むとそこの住民の生活が垣間見られる。

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上ノ国町に着いてから予定していたキャンプ場に行ってみるとそこは「熊出没」の張り紙があり誰もいない。広い原っぱでここにキャンプしたらさぞかし気持ちいいだろうと思えるがあまりにも寂しい場所なのでい引き返した。

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近くにあった「勝山館ガイダンス施設」。車が一台だけ駐車してある立派だが寂しい施設。これも例の箱物かと思ってとりあえず入ってみた。「勝山館」は初めて聞いた言葉だ。中には例によって学芸員のようなスタッフがいていろいろと展示してある。まずはいろいろと解説してもらってからビデオを見た。

この辺は12世紀ころから本州から和人が渡来して住み始めた。そして舘と呼ばれる拠点、その後の城、の施設を作ったようだ。そうした舘の跡がいくつかありこの勝山館もその一つ。

どうやらこの辺は和人が北海道で最初に集団生活を始めたところのようだ。北条の末裔がここに渡来しアイヌと何回も戦って勝利した。そしてその末裔が松前に移って松前藩の基礎を作ったらしい。そういうことでこの辺には北海道最古と言われる歴史的な遺跡や建造物がいくつか残っている。初めて聞いたことで非常に興味が湧いた。

キャンプ場を諦めたので近くの道の駅に泊まることにした。日本海を望む高台にある。夕日がきれいだ。風が強く車がグラグラ揺れる。

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