沢木耕太郎「旅する力」

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先日読了した「深夜特急」の解説編という感じの本。この本を書くに至るまでの子供の頃からの旅の遍歴、どのようなきっかけで香港からイギリスまでのバスの旅にでかけたのか、その為の準備状況、旅の中で学んだこと、旅への考察などが書かれている。

彼は大学卒業後はルポライターとして新聞雑誌に記事を投稿してきた。取材の一貫で韓国を訪れそのときに上空からユーラシア大陸を見下ろしてこの大地から歩いていけばイギリスに到達するのだという感慨にふけった。こうした思いがきっかけでその旅を思いついたとか。

26歳のときに書いた作品で何かの賞をもらいその賞金と周囲の人達からの餞別を資金にして旅立った。以来1年を掛けてイギリスまで到達した。その間に日々の行動や使ったお金のメモを残し、日本にいる知人に頻繁に航空書簡で旅の内容をレポートしてきた。こうした資料をもとにして帰国後10年にして産経新聞に1年にわたって掲載した内容を「深夜特急」第一、第二便として出版した。その6年後に残りのトルコからイギリスまでの行程を書いた第三便を出版。その数年後にこの「深夜特急」のノートとしてこの「旅の力」を書いたようだ。

彼の旅の様子はいちいち納得できる。私の昨年のミャンマー、カンボジアの旅の経験から彼が旅の中でどのようなことを感じて行動してきたのかは手に取るようにわかる。

私と異なるのは、この本の中でこの旅はできるかぎり事実に忠実にノンフィクションとして書いたと言っている。読んでいる時にはあまりにも出会いが劇的なのでそれなりのフィクションが入っていると想像していたがノンフィクションらしい。私の旅ではあれほどの劇的な出会いはなかった。

そして彼は期間の制約がなかった。私はいつも期間の制約がある旅だった。彼が旅だったのは1974年頃。ちょうどその頃に私はサラリーマンをしていて香港、カルカッタ経由でカトマンズに出かけたことがある。この時も3週間。彼はガイドブックを持たずに出かけ、街につくと周囲の人達にひたすら「聞く」。こうして素の彼自身を放り出してその街の空気を吸い吸収してきた。こうした旅をいつかはしたいものだ。

もう一つ、彼は漢詩の本を持参した。流石に作家。私も持参したが旅の中では読むことはなかった。ミャンマーではバガンからマンダレーまで12時間の船旅をした。終始見えるのは地平線だけだった。それでも変化のない地平線をずっと眺めて風を感じていた。それは、本は帰国してからでも読める。旅の中でしかできないことをしたかったから。

劇的な出会いが多かったように受け止めるがこれは1年という長い旅の中では有りうるようなきがする。彼もこの本の中で

「ひとり旅の道連れは自分自身である。周囲に広がる美しい風景に感動してもその思いを語りあう相手がいない。それは寂しいことには違いないが、吐き出されない思いは深く沈潜し、忘れがたいものになっていく。もちろん、せめて夕食のときはくらいは誰かと話しながら食べたいと思う。しかし、その寂しさを強く意識しながらひとりで食事するとき、そのひとりの時間が濃いものになっていく。」

と書いている。この本に書かれている出会いは1年の中での全てであり残りの日々は一人で過ごしていたのかもしれない。こう考えると少し安心する。この意味で昨年の旅の中では夕食の時にいろいろな方と出会って一緒に食事したことがある。3週間の旅としては良かったのかもしれない。

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