記録を残すということの意味

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私生活での活動を記録することは好きだ。最近はランニングした時の場所と距離。定型的なルート以外を走った時はそのルートをGPSの軌跡でのこしている。登山も同じだ。そして勿論このブログで残すこともある。かつては自転車で走ったコースと距離は記録していた。

そして、所属するランニングクラブでは各人の毎月のラン、スイム、バイクの距離を報告してもらいそれを記録している。また、各人の参加レースの予定、そしてレース結果の時間。

ところがその報告が最近とみに少なくなったような気がする。記録を残すということの意味は何でしょう。

私は20代の頃に約10年間某社会人山岳会に所属していた。今でもOBOGとは一緒にでかけている。その山岳会は今年で創立54年。その間、活動の記録を残し毎年立派な会報を発行している。会に在籍する期間は人によって長短あり多くの方が通り過ぎてきた。恐らく1000人以上。その中で記録をとおして会の文化、創立者の意思を継承してきたような気がする。

どうなんでしょうね、ひるがえって現在のクラブ、現在を共有することが最大の関心事でしょうが過去、未来を共有することも少し位は有りかなと思います。走った距離がなんじゃ、ということもあるかもしれませんが少しだけお役に立てばこの記録はつけていきますよ。

ちなみに、このクラブではFaceBookを使って情報共有をしているがこのFBとは実に刹那的なツールですな。タイムラインと呼ばれるところに次から次へと関係者が投稿してそれがどんどん消えていく。実際に消えていくわけではないが新しい投稿が多いので2日前の投稿はずっと古くなってかなり意識して戻らないと見つからない。まさにこのFBを使って現在を共有しているわけだ。アーカイブという概念はここには無いのでとにかく現在流れている情報を捕まえるだけ。逃したらそれっきり。そんなツールを使っているので過去を共有するなんてことは至難の業だ。と言ってもこれ以外のツールを使うことはまだないでしょう。

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