第九合唱の練習中のできごと

2015-12-13 15

12月12日に予定しているベートーヴェン第九「合唱」付の公演を控えて練習が続いています。

この日の練習中、休憩に入る直前に指導している副指揮者が歌う場所を350小節というべき所を550といい間違えてしまった。話の中でよくある「言い間違え」。これを聞いて合唱団員の多くは違うのでは?と感じて少し沈黙があった。それに強く反応したある合唱団員が間違えたことに対して「しっかりしろ!」と叱るような言い方をした。くだんの副指揮者は一瞬動きが止まった。すぐに思い直したように指導を再開。そして、すぐに休憩に入った。休憩に入った直後に彼は声を出した団員のところにつかつかと歩み寄って「今、なんて言いました?」。するとその団員は「プロなんだからしっかりしてもらわないと困る」。彼は「ちょっと話したい」と言って団員を連れて別の場所に移動していった。そこでどんな話があったかわからないがその団員は席に戻るやいなや荷物をもって「もう辞めます」と言いながら帰ってしまった。団員は全員この様子を見ていて練習が再開されても少し重苦しい気持ちがして練習にも影響がでたような気がする。

合唱団員は皆それなりの参加費をだして指導してもらい合唱練習をしている。だから指導員に対しては「お客様」である。指導員はしっかりしてもらわないと困る。これがくだんの団員の認識のようだ。

対して、合唱を含めたオーケストラの「業界」では指揮者はいわゆる「マエストロ」と呼ばれて演奏内容の最高責任者となっており強い権威を持っている、と感じている。今回の合唱指導は合唱指導を専門とする方がほぼ毎回指導しておりその指導のおかげで初心者もじょじょに楽譜通りに歌えるようになる。それに対して副指揮者は指揮者の思いを受けて細かい点の改善をして指揮者の思うような合唱に作り上げていく。半年の練習の中で副指揮者は2,3回指導してきた。そして指揮者は本番の前に一度だけ指導し自分の思いが合唱の中に実現しているか確認し修正の指導をする。こんな階層構造になっているようだ。

こんな階層構造の中でどうやら指導者はお金を払っているか否かは別として大いに敬意を払うべき対象らしい。

くだんの合唱団員にはこの辺の理解と配慮が欠けていたような気がする。お金を払っているから「客」であり「神様」であるという認識はつい持ってしまうが本来は何かをしてもらう受け身の対象であることが基本にあるわけだ。お金をだしても、サービスをして「貰う」、品物を「頂く」、そんな気持ちはいつも持ちたいものである。

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