5月28日 姥湯温泉から帰宅

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4月23日に出発してから36日間。何はともあれ無事故で戻れることが一番良かった。いろいろな所に行っていろいろなことを知った。まさに見聞を広めた旅だった。各地でその地の資料館をおとずれて現在だけでなく過去もしることができた。4次元の旅をしたような気がしている。

東北の印象が変わった。もっと殺伐として廃れた街を想像していたが緑が美しい農村風景をみられ豊かな農村の生活を垣間見る結果になった。田んぼはちょうど田植えの時期。旅を始めたころは田んぼの整地をしていた。次第に水を張った田んぼを見かけるようになり、後半では稲の苗が植えられているのが見えた。地方都市の中心市街地はやはりどの店もシャッターをおろしていた。空き家になった建物が多かった。それに対してコンビニと郊外の大型店が賑わっていた。このパターンはどの街も同じだった。

それぞれの町はいろいろな公共施設を持っている。日帰り温泉、道も駅も多い。郷土資料館、公園、スポーツ施設、、、、。こうした施設が地方の町でも充実している。都会と同じような生活を送っている。このことは30年前にアメリカを同じように一ヶ月ほど旅行したときに感じたことだ。当時の日本は都会と地方との生活環境の差が大きかった。それに対して当時のアメリカは都会と地方とで同じ生活レベルだったことに感激したことを覚えている。今回の東北の旅で日本でも地方も都会と同じ生活を送っていることを知った。

今回は見聞を広める旅だった。芭蕉のように旅を住処とする、と言う旅には違う。時間のゆとりがあるとは言え無制限に旅をすることはできない。中には自動車での旅を住処としているひともいるようだが私にはできない。現役で働いている人達からみると実に羨ましいゆとりのある旅に見えるかもしれないが時間の制約はある。その制約の中で東北をぐるっと回ってきてもう少しゆとりが欲しかった。一つの町に一日しか滞在せずに次々と移動してきた。同じ所に滞在したのは象潟だけだった。もう少しじっくりとそれぞれの街を味わいたかった。ただし、時間があってもそれができるか不安でもある。次々と新しい街への興味が湧いて一日でも早くその街に行ってみたくなる。だから早いペースで回ってしまうかもしれない。

また別の「街道を行く」を読んで次の旅路を考えてみる。

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