後3年合戦古戦場ラン

像の説明

昨日は平泉を訪問した。平泉を開いた藤原清衡はその前に「後3年合戦」の結果、一人生き延びて出羽と陸奥の領地を治めるようになった。この合戦は凄惨な戦いだったようだ。父、母を異にした兄弟そして叔父を巻き込んだ身内の戦いだった。その戦いに多くの武士を含めて犠牲者をだした。絵図にはその凄惨な状況が描かれている。貴族社会から武士社会へと変わらる時代の転換期になった戦いだがその代償は大きかった。清衡はこの経験をして戦ったすべての兵士の浄土入りを願って平泉に中尊寺を建立したと言われている。

そして、今日は歴史の流れに逆らってその「後3年合戦」の地をおとずれた次第である。

後3年については義務教育で学んだはずだが当時はまったく興味を持っていなかったが、今日は資料館、さまざまなパンフレットを通してだいぶ学んでおおまかな流れは把握できた。「後3年の役金沢資料館」では見学者が私だけで解説者とマンツーマンでいろいろと解説してもらい非常に有益な一日だった。特にその古戦場跡をランニングしてみた。

古戦場跡のランニング(旅ラン)

まず目指すは「後3年駅」。これはJR奥羽線の駅である。特別な駅ではないが名前に惹かれて行ったが普通の無人駅だった。

広い広い農地の中のまっすぐな道をひたすら走ると公園がある。古戦場に作った公園だ。美郷町と横手市にまたがった地域のようでそれぞれの自治体が別の名前でそれぞれの公園を整備しているようだ。古戦場を利用してむりやり作った感のある公園だ。旅をしているとこうした公園、施設がどの自治体にもあるのが分かる。それぞれの地域振興の意味が強いのだろうがそれぞれの施設でそれなりのコストをかけて運用しているはず。いつまで続けられるか不安がある。こうした施設の廃墟が全国に広がらないことを祈っている。

画像の説明 画像の説明

画像の説明 画像の説明

そして金沢(かねざわ)公園。目指すは金沢城址と八幡神社。案内図を見ると近いように見えるので坂道を走り始めた。ちょうど足柄峠を思い出すような急坂を行くがなかなか見えてこない。結局1Kmくらいの急坂を登ったところにようやく神社が見えた。合戦の時には金沢柵と呼ばれる破れた側の陣地はこの近くにあったと思われている。ここでは最後は凄惨な戦いがあり女子、子供も容赦なく殺されたとか。高台から見下ろすと今は一面の広大な農地が広がる。当時は野原だったはず。

画像の説明

横手城と横手やきそば

今日は横手市内の横手城を見学したがこれはお城の形をした展望台。そして名物の横手やきそばを食べた。それなりのB級である。

画像の説明

コメント


認証コード7513

コメントは管理者の承認後に表示されます。