奥松島ー石巻 震災ボランティア

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会社の社会貢献活動の一環で震災ボランティア活動に参加した。場所は奥松島、石巻近辺。震災直後の2011年6月以来だ。

復興したか?感覚的に二割くらいは復興したかもしれない。物理的には崩壊した家屋はそのほとんどが撤去されて半壊、全壊家屋はごく一部を除いて残っていない。しかし撤去された残地はそのまま空き地になっている。夏のこの季節は草が伸び放題。この草がそこに家屋が建っていたということを見事に隠している。そこには何もなかったように。

かつては住宅が密集していた地区、店舗が立ち並んでいた海水浴場。それらがすべてきれいに消えていた。そして一面の草原が残った。そこは元から何もなかったように見える。

いつもは、自分の楽しみのために、自分の成長のために、自分の喜びのために、自分の将来のために、、、、これが行動のベースになっているが、誰かのために、と言う二日間でちょっと気分転換でした。

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木曜日の早朝の新幹線で仙台に入りそこから観光バスで奥松島の海沿いにある公園の整備が最初の活動。地元のボランティア団体が維持している公園だがここの草取り。この団体からの要請で活動した。小雨が時折降る中13人で半日の活動。
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近くの海は今は穏やかだ。津波で船着き場を失った船はゆらゆらと浮かんでいるだけ。

午後は石巻で復興活動の様々なプロジェクトを進めているNPOの事務所でその活動内容を紹介してもらった。若いリーダーがぐいぐいと引っ張ってプロジェクトを成功させている姿がたくましい。県外からの芸術家を招聘して工房を運営している。空き店舗を改装して宿泊施設にしたりギャラリにして若い芸術家に使ってもらっている。同じように空き店舗をおしゃれなレストランに改装して運営している。10年後に1000人のIT技術者を養成しようと塾を運営して10代の若者に教えている。その他さまざまなプロジェクトの状況を説明してくれた。それぞれのプロジェクトに参加している若く立派で素敵な方々がいた。

NPOの拠点でのレクチャ。
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プロジェクトの一つである石巻工房画像の説明

夜は繁華街を歩いてみた。市街地も空き地が目につく。画像の説明

プロジェクトの一つであるおしゃれなレストラン四季彩で夕食。画像の説明

翌朝は例によって旅ラン。5:00から宿舎を抜け出て12Kmほど走って石巻を見て回った。朝食の時間にはもどりました。昨日よりも明るい太陽がまぶしい。
橋を渡って石巻市内の住宅街を走るとここも空き地が多い。かつて家屋があったことを示す門柱も。
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復路は海岸にでてみた。堤防の工事が続いていた。その堤防の内側には何もない。一人でいた老人。真っ黒に日焼けしてしわくちゃな顔をしていた。その方の話によるとこの堤防の内側には住宅が密集していたそうだ。

この日は奥松島の奥まった入り江にあった10人が住む集落でただ一軒だけ残った家を訪問。ここでは7名の尊い命が失われ残ったこの方が一人で慰霊の植樹をしていた。これをお手伝い。家がなくなり空き地になったところを畑として野菜を植え、植樹をした。周囲は嵯峨峡として有名な風光明媚な松島の美しい島々が点在している。しかし、この入り江にも津波が入り込み7人を飲み込んだ。そして地盤沈下で水が引かないで田んぼのようになっている場所が広がる。
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石巻の観光協会の方が震災の悲劇の語り部としてバスに乗って当時の状況を説明してくれた。ユニークな語り口は説得力があり現実感がひしひしと伝わってきた。
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嵯峨峡:周辺は工事のダンプが走り回っていてせっかくの景観をこわしていた。
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その後は近くの大高森山に登った。そこから見渡す奥松島は絶景。
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