ポツンと一軒家、小林家住宅を巡る坂道ラン@檜原村

画像の説明浅間尾根からの眺め

奥多摩の浅間尾根に登って北を見ると眼前にそびえ立つ御前山が見える。その浅間尾根と御前山の間は深い谷。秋川の支流が流れている。そして御前山に突き上げる急峻な斜面には点々と数軒の集落が見える。斜面を切り開いた所には集落が、深い森に隠れた一軒家もある。

そんなところに住む人達はどんな家にどんな生活をしているのか、浅間尾根に登る度にいつも深い興味を持っていた。

その一番奥に小林家住宅がある。ここと周辺の集落をみたくて走ってみた。檜原村の郷土資料館近くに車をデポして走り始めた。爽やかな5月の風、新緑に囲まれた快適な環境だ。

北秋川に沿って整備された道路を走ると時々民家、キャンプ場がある。
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9Km進むと小林家住宅への登り口。モノレールで登るルートと歩いて登るルートがある。モノレールは連絡すると迎えに来てくれる。みかん園にあるような華奢なレール上を人がやっと座れるくらいの幅の小さな台車が走っている。とにかく最大斜度は40度位になるらしい。
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私は迷わず登山ルートを採用。これがなんとも激坂。簡易コンクリートで固められているので滑らず歩きやすい。ただ、かかとを着けることができないほどの傾斜。つま先だけで登った。大きな杉林のなかで空気はひんやりしているがすぐに汗が噴出。地面だけを見ながらひたすら登った。

途中に民家が一軒。斜面にへばりついている。どうやってここで生活しているのだろう。庭を見るとまだ生活臭が残っているが戸締まりしてあった。後に聞くところによると昨年この家の主が亡くなり空き家になったとか。

10分少々で小林家住宅に到着。ここは300年前に建てられた民家で小林家は代々山仕事に従事し炭を焼いたり養蚕をしたりして生活していたらしい。その小林家は10年前にこの家を手放した。国の重要文化財。

この建物を一旦解体し7割の木材を再利用して再築し平成27年に公開となった。しっかりと環境が整備されていた。

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檜原村がしっかりと管理されているようで昼間は管理人が常駐している。行くとすぐにお茶をだしてくれ丁寧に由来を説明してくれた。太い梁はこの近辺の木を使っているとか。こうした狭く標高の高いところで住民がこうした建築物を作ってきたことに感嘆した。当時は人口も多く人手があったのでしょう。

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温かい日差しのさす縁側で持参したおにぎりで昼食。平日にもかかわらず観覧者が数人モノレールに乗ってやってきた。

ここから400mほど先には田上家の住宅が残っているので行ってみた。ここは築150年で現在は末裔が時々つかているそうだ。
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ゆっくりと休んでから上りのルートとは反対側のルートを下って藤倉のバス停までおりた。途中には閉校した藤倉小学校もあった。かつては藤倉集落だけでも数百人が住んでいたとか。

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そしてポツンと一軒家も所々で出会った。いずれも車が通る道はなくモノレールが設置されていた。どうやらかつての住人はすでに里におりているがここをセカンドハウスとして使っているようだ。BBQの道具も庭においてあった。家もしっかりと補修されている。
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藤倉バス停からは立派な舗装路を走った。道中も一軒家が時々現れる。そして周囲は新緑が眩しい。
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出発点に近くなったところで川の反対側に登ってみた。ここには湯久保という比較的大きな集落がある。といっても5,6軒の集落だ。

ここまでの道路も急坂だ。郵便配達のバイクが唸りを上げて登っていった。途中には比較的最近建てられたと思われる民家もあった。人里離れたこうした山奥に静かに暮らしているのでしょう。狭く急斜面の庭には小さな棚田のような花壇、野菜畑を作られていた。さらに奥に登っていくと数軒の民家。どれもしっかりと補修された家だ。狭い通路をさきほどの郵便配達のバイクが走っていた。
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小林家住宅の管理人の話によるとこの周辺の家に住んでいるかたの多くはサラリーマンとして里で働いているそうだ。山仕事はなくなっているのでしょう。

浅間尾根から眺めた時の疑問が少しづつ解けてきた。この辺の家は、里に通うサラリーマンが住んでいる、末裔がセカンドハウスとして時々使用している、空き家、のいずれかのようだ。それぞれが1/3のような感じだ。

5月の爽やかな風で汗も気持ちよかった。新緑に包まれた23Kmのランニングはなんとも楽しく気分がよかった。

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