5月22日 酒田市

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酒田市で思い出すのは昭和51年の大火。大きな被害がでたことは新聞で読んで知っていた。そこを訪れると強風が吹いていた。酒田の名物らしい。そしてこの強風のために過去に何度となく大火にあってきた。そんな酒田は落ち着きのある街でした。

江戸時代の北前船が酒田を拠点に京都、大阪の物資と文化とそして繁栄を運んできた。北の鰺ヶ沢からも津軽の海産物、コメが届いた。こうした交易によって京都の文化も伝わってきたことが感じられる。酒田の舞妓、塗り物、そして華やかな宴会が行われた料亭文化。その面影が残っていた。

料亭文化

湊町酒田の繁栄を象徴するのがこの料亭でしょう。
かつての料亭相馬屋が廃業した後で観光施設相馬樓として復活した。こでは酒田舞妓の踊りを見せてくれた。内部は撮影禁止だがこの踊りが終わったあとは舞妓さんと写真を撮る機会が与えられる。京都の舞妓とは細部で異なっておりローカライズされているらしい。帯の締め方、髪の結い方などだ。

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相馬樓以外にもかつての料亭の建物として山王クラブもある。
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豪商

そしてもう一つの繁栄の象徴が本間家を代表とする商人。
鐙屋(あぶみや)は酒田を代表する廻船問屋で武士の身分を与えれていたが交易によって富を蓄えその屋敷が残っている。
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さらに、本間家。「本間様にはおよびもせぬが、せめてなりたや殿様に」と言われるほどの豪商だった。さまざまな事業を行って財をなし江戸時代には日本一の大地主だったとか。その本宅が観光施設として公開されている。少し離れて別宅もありそこには大きな庭園とそして収集した数知れない財宝を本間美術館として公開している。みると中国の紀元前の貴重な石像や陶器から始まってあらゆるジャンルの貴重な品物が展示されている。よくもこれだけの品々を手に入れたものだと感心。ちなみに、本間家直系はいまでも酒田市で様々な事業を行っているらしい。家系が続いていることは素晴らしい。

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かつての豪商はこうした財産を後世に残しその当時の文化を伝えている。これは酒田にかぎらずどこでも見られるものだ。豪農もその大きな家屋を残している。横手の奈良家、遠野の千葉家を見てきた。

現代にひるがえってみて、現代の富豪と呼ばれる人たち、孫正義、三木谷浩史、柳井正、、、。彼らはどんな物を残してくれるのだろうか。

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