5月20日 蚶満寺

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この旅は少し進みが早過ぎると思い始めた。現役のころは仕事上で次のアクションアイテムが決まるとさっさと実行に移すのが仕事のやりかただった。この旅でも次の目的地が決まるとすぐに移動開始しないと気がすまない。そんなことで進みがはやい。もう少しゆとりをもって進んでもいいのだ、と言い聞かせるようになった。と言うことで、象潟の道の駅には二泊した。

九十九島ランニング

昨日までのぐずぐずした雨模様が今朝は快晴。芭蕉が象潟に入った日も「汐風真砂を吹上(吹き上げ)、雨朦朧として鳥海の山かくる」だったが翌日は「天よくはれて朝日はなやかにしてさし出るほどに象潟に船を浮かぶ」と書いている。同じような天気だったのかもしれない、と勝手に思っていた。

例によって6時ころには朝食を済ませるのでその後はランニングで九十九島を巡った。芭蕉の足跡をたずねる朝ランだ。まずは芭蕉が宿をとったところ能登屋。その跡地を確認してから船を漕ぎいでた船着場を確認。その後は九十九島のエリアに向かった。ここはかつては松島と同じように海に浮かぶ小島が多数あった景勝地でした。それが1804年の地震により陸地が2mほど隆起しそれにより小島がすべて陸続きになったところ。

ついにこの場に来た、と言う思いで興奮しながらどんどん走った。かつての島々は小高く残りそこにはあいかわらず松の木が生えている。夢中で走った。もう少し先に行ったらどんな景色になるんだろう、と思いながらどんどん進んだ。できるだけ高いところから眺めてみたいと思って小高い丘の上に行ってみた。かつて海の中に浮かんでいた小島がいまは水がはられた田んぼの中に浮かんでいる。松島と比べられたこの象潟。素晴らしい。息を切らせてどんどん走った。田んぼのあぜ道、農道、、、好奇心を満たしてくれるランニングだった。

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それほど広くないこの地は芭蕉が訪れた1689年はまだ海の中だった。まさに松島と同じ姿だ。したがって、当時は芭蕉も船で島々を移動した。

蚶満寺(かんまんじ)

そして蚶満寺。九十九島の一つである象潟島にある寺。853年に慈覚大師が創建したと言われている古刹。芭蕉も、小林一茶も、近年では司馬遼太郎も訪れている。

ここでいい出会いが2つあった。一人目。人気のない受付で拝観料を払おうと人を待っているとそこにボランティアガイドと名乗るおじいさんがやってきた。「30分ほどで案内できますがどうですか」と聞かれたので「時間はいくらでもあります」と応えた。元気な声でいろいろと説明を始めた。途中で、「今朝は九十九島をランニングで回った」と伝えたところ強く反応。彼も73歳にしてランナーだとか。後で名刺をみると40年のラン経験とあった。青梅マラソンにも65歳まで参加しそれ以降は10Kmの部に毎年参加しているとか。会話が弾んだ。30分の予定が結局1時間半。半分くらいはランニングの話だった。芭蕉の俳句、奥の細道の一節をしっかりと覚えており、歴史上のできごと、もちろんこの寺の歴史、、、よどみなく説明してくれた。素晴らしい73歳だ。

キャプチャ 画像の説明彼の名刺の表は「象潟・蚶満寺ボランティア案内人」とあり裏にはこれ

二人目。そのガイドと別れた後で近くにある寺の売店に立ち寄った。そこの若いおばさんといろいろと話し込んだ。客は他にいないのであれこれと長話をしてしまった。楽しい会話だった。結局、気分よくおみやげを幾つか買ってしまった。商売上手だけなのかな、でもないな。

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象潟から今日の目的地である道の駅鳥海に向かう途中は旧浜街道を走ってみた。眼下に海岸を見るその方にいい感じの集落があったので行ってみた。秋田県小砂川集落だ。黒瓦が美しい大きな家並みがあった。能登で見たあの黒瓦がここ秋田にもあった。こうした片田舎の人たちはどのような生業でいきているのだろう、といつも疑問に思っている。都会の人たちよりもはるかに立派な家に住んでいる。この旅を通じて感じているのはやっぱり地方の方が豊かな生活をしていそうだ、と言うことだ。

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この日は道の駅鳥海の近くの温泉「あぽん西浜」。こうした片田舎の温泉は地元の人たちが銭湯代わりに使っているようだ。昼ころに来ているのは老人がほとんど。たまにいる若い人は仕事で出張している方が多い。こんな風にして昼過ぎから温泉に浸かっている自分はかつては想像できなかった。ああ、人生の洗濯だ。

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