5月16日 尾花沢・銀山温泉ー大石田・そば街道

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今日からはいよいよ山形県。今回の旅で訪れてみたい県としては最後だ。これまで24日間。終盤になりました。

芭蕉の道

今日からは再び芭蕉がたどったルートになる。まずは、尾花沢を目指す。鳴子温泉を通って尾花沢への途中、芭蕉は封人の家に宿を借り「蚤虱 馬の尿する 枕もと」と詠んだ。馬が同居する曲屋での一夜の様子。赤倉温泉からは山道になる。いまでこそしっかりした道路があるが当時は山賊がでてもおかしくないところだったそうだ。「奥の細道」そんなことが書いてある。

尾花沢に着いてから「芭蕉清風歴史資料館」で勉強。尾花沢の豪商鈴木清風は芭蕉の弟子。ここに芭蕉は10日ほど滞在したそうだ。彼は大層気風がいい人で江戸で儲けたお金をすべて吉原で使いそこの一番の芸者とねんごろになったそうだ。芭蕉ともずいぶんと親しい関係だったようだ。その鈴木清風の家を資料館としてのこしてある。そうか、芭蕉はこうして各地でその弟子の支援を受けながら旅を続けたわけだ。少し疑問が解けた。

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芭蕉はここから一旦山寺まで往復し、最上川を下り、酒田、そして月山、、、に向かうわけだ。これらの地をたどってみる予定。楽しみだ。

銀山温泉

尾花沢への途中で銀山温泉を訪れた。銀山温泉は長い間訪れてみたいと思い続けていたところ。写真でみる大正の雰囲気を目でたしかめたかった。それがようやく実現した。まっすぐな道をどんどん進むとそのどん詰まり。これ以上道が無いという谷間にひっそりと10余軒の薄灰色の地味な色の木造建築が遠くに見えた。それまでの建物の色が異様に派手にみえた。

途中に車を駐車して歩いていくと写真のとおりの家並みだ。ようやく現実の銀山温泉をみることができて興奮しながらシャッターを押した。あいにくの強い曇り空。いまにも雨が降りそうな天気。しずかに川の両側から反対側の建物を見て回った。ほとんどが旅館。一軒だけ営業していない旅館だったと思える建物があった。有名な藤屋は気品高くその看板さえもだしていない。一泊5万円がスタンダードだとさ。(いまネット検索したら、この旅館の名物女将アメリカ人のジニーさんは旅館経営で若旦那とうまくいかず離婚して帰国したらしい。ちょっと残念)

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大石田のそば街道

尾花沢の隣にある大石田町は蕎麦の産地で有名。そば街道と呼ばれるところには多くの蕎麦屋がある。向かったところなんとも山奥。蕎麦屋が軒を連ねているかとおもいきやそれぞれの蕎麦屋はずっと離れている。その中の「七兵衛」に行った。ここのメニューはそばの食べ放題、だけ。山間の一軒家だ。客は多い。丼の大きさのお椀で持ってきてくれる。付け合せでわらび、昆布、大根の酢漬け、が出てくる。大根汁にそばつゆを加えて食べる。蕎麦は9割。おいしくどんどん食べた。4杯で満腹。これ以上食べたいがあとで苦しくなりそうなのでやめた。男性4杯、女性3杯が多いそうだ。満足でした。

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大石田・街ラン

吸収したカロリーを消費するために大石田の街を走ってみた。ここで初めて最上川と対面。前日の雨で濁っていたが流れは早かった。農村地帯なので住宅地は狭い。10Kmほど走るとほぼ住宅地は回れる。この辺のほとんどの住宅は雪対策で家がかさ上げされている。豪雪地帯ですね。主要道路には融雪ようのスプリンクラーが埋め込まれている。

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そんな中、路端の案内をみると「聴禽書屋」の文字が見えた。しかも今いるところからすぐ近く。で、走って行くと郷土資料館の隣にあった。齋藤茂吉が昭和20-21年にここに滞在したらしい。この地のお金持ちの別荘だった建物。やはり有名になると支援者がいるものだ。そこの庭を整備していたおじさんを少し会話。「齋藤先生」と読んでいた。たとえ二年間の滞在でも郷土の誇りらしい。ちなみに、かまぼこの「紀文」の創業者はこの町の出身で名誉町民としての銅像が道端にあった。

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