5月7日龍飛崎

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龍飛崎は想像以上に厳しい自然環境だ。ここでどんな暮らしができるというのだ。

龍飛崎への道

前日の午後遅い時間に到着した。そこまでは竜泊(たつどまり)ラインと呼ばれる道をひたすら北に向かった走った。それまでは十三湖に沿った平坦な長い道だったが岬に近づくにつれた急峻な登りになった。低木が丁寧に刈り込まれた頭のように見える。高度が上がるにつれてガスが湧いてきて視界も時々悪くなる。それまでの快晴の中を気楽に走っていたのとは大きな差だ。運転も緊張する。見返りにガスが晴れた時の景色は高山に登っているようだ。
ちなみに吉田松蔭は宮間貞蔵とともにこの辺の道なき道を歩いて小泊から反対側の三厩経由で龍飛崎に来たらしい。苦労が忍ばれる。太宰治は東側から三厩経由で来た。

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まもなく半島の先端、つまり龍飛の集落が見えてきた。津軽海峡に突き出た山がとづぜん切れて猫の額ほどのところに集落がある。太宰が訪れた時は家々を見て「津軽」のなかで「鶏小屋に突っ込んだ」と表現している。山の上から一気に海岸沿いまで下るといまでも小さな家が窮屈に並んでいる。青函トンネルの工事にともなって家々と海岸の間を走る国道339は埋め立てられて車が楽に通れる幅になっていた。

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着いたところは確かに道の駅とかかれているがだだっ広い駐車場とその片隅にトイレがあるだけ。離れたところに「青函トンネル記念館」があるがすでにこの日の営業は終わっていた。広い駐車場の片隅に駐車したが風が強い。車が揺れる。いつもこんな感じらしい。龍飛崎の自然の猛烈さの洗礼を受けた。
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早朝、龍飛崎周辺を走ってみた。旅ラン。遠くに北海道を眺めたかったがこの日はモヤがかかっていて見ることができなかった。眼下に広がる津軽海峡と龍飛崎の高地を見るにつけここにトンネルを掘ろうと考えたことに驚嘆した。この自然をみると私にはそんな発想はでてこない。戦後の成長を考えて本州と北海道を繋ぎたいと言う政治家がいたということだ。結果的に日本、北海道の経済成長を支えたと思えるのでこうした発想には敬意を表したい。

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青函トンネル記念館

その青函トンネル工事の現実を紹介しているのが「青函トンネル記念館」。そこで坑内見学ツアーに参加した。ケーブルで水面下140mまで潜る。そこには坑道が残してあり工法の説明、工事で使った機械類が展示されている。計画から40年。工事着手から20年。機械類もすべてこのために開発されたものが多い。すべてゼロから機械を作り出して工事を進めた。何回も出水があった。長い歳月をかけて完成したことに最大限の敬意を表したい。

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龍飛館

太宰治が「津軽」の中で投宿したとされている「奥谷旅館」が今は「龍飛館」と言う観光案内所になりそこに太宰治、棟方志向の資料が展示されている。太宰治が友人のN君と泊まった部屋もある。それぞれの資料を時間を忘れて見て回っていた。小さな施設に女性が2人で案内していた。例によって客は私だけ。入るとすぐに全体の解説をしてくれその後はつかづはなれずの体制で質問に答えてくれた。途中で、「寒いでしょうから」とお茶も出してくれた。戻って大型TVのところにくるとさり気なく紹介ビデオをつけてくれた。きめ細かい気遣いに感激。別れ際に手作りのねぶた人形をもらった。

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コメント

  • 竜飛岬、行ってみたいところのひとつです。自転車で行くには怖そうですね。
    しかし、本当にいろいろなところに人が住んでいます。驚きです。


  • Re:

    >>1
    龍飛崎がある津軽半島と下北半島は自転車のベストコースの一つと言われています。龍飛崎の直前は急な登坂を覚悟する必要がありますがKikyoさんだったらチャレンジできると思います。気象条件とくに風がいつも厳しいのでその覚悟も必要です。明日から行く下北半島の方が走りやすいと聞いてます。明日確認できますが。ブログに書きます。



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