5月6日三内丸山遺跡

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ここは江戸時代から数々の土器が出土してきたことで知られていた。そこに野球のグラウンドを作る計画がありその工事をする前に遺跡の発掘をしたら大きな柱の土台が6つ出てきた。工事は中止された。出てきたのは今から5000年ほど前の縄文時代の住居跡だった。しかも広い範囲に住居、道路、墓の跡が見つかった。豊富な食料と高い建築、土器の技術が垣間見られる。そんな三内丸山遺跡。

これも司馬遼太郎の「街道を行く」(北のまほろば)に登場してくる。縄文時代はいつ頃のことか、さえも覚束なかった私もだいぶ勉強した。「北のまほろば」という響きに惹かれて是非訪れたいと思っていた場所だ。

ガイドツアーに参加して解説を聞きながら歩いた。そこは広大なピクニックランドのようだった。天気も気持ちのいい快晴、遠くに八甲田連峰が白く見える。縄文人も同じ景色を見ていたことでしょう。そこにはかつて数百軒の住居が立ち並び集団コミュニティーを作っていた。200人ほどが入りそうな(多分集会用の)大きな建物もある。

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やはり目を引くのは6本の巨大なくすのきを使ったやぐら。この遺跡の象徴だ。何のための施設かいまだに不明らしい。まだまだロマンは残っています。

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書かれた記録がないので残された土器、その他から推測するしかない、この時代の様子。鉄がない時代に石だけで食器、宝飾品、建物、、、を作ってきた縄文人の生活をあれこれと想像しながら見学してきた。

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少なくともこれはまぎれもなく第一級の遺跡だ。文字がない時代にどのようにしてここまでの建物を作れたのか、どうやって統率していたのか、想像すると楽しくまた縄文人の能力に驚いた。

その後は五所川原を経由してひたすら北上して本州の先端、龍飛崎まで来た。この日はここの道の駅に泊。

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