島原から口之津

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トライツーリストとして車と自転車の機動力を活かして色々なところに行った。

まずは普賢岳の噴火被害を後世に伝える施設。道の駅の隣りにあったので早朝に訪問したがすでに小学生が見学していた。火山流で埋まった家が9棟そのまま保存されていた。ここ島原市は普賢岳から海に向かって広い斜面がある。人々は普賢岳を背中にして海に向かって生活している。後ろを振り返ると普賢岳が覆いかぶさるようにそびえている。そんな普賢岳が噴火したわけなのでどれほど恐ろしく感じたのか。その噴火は断続的に4年続いた。それから30年。よくぞここまで復興したと言えるほどになっていた。あっぱれ。

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そして車で島原市内の公園。ここから自転車。銀水と言われる湧水の場所。近所のおばさんが丁寧に案内してくれた。きれいな水が豊富に湧き出ているがこれは普賢岳の水。4つに区画がありそれぞれで何を洗うかが決められているようだ。
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島原市内のアーケードを通過して島原城を見学。築城400年だが昭和の再築。内部は資料館になっていてキリシタン関連の資料も豊富にあった。

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そして武家屋敷跡。この辺は下級、中級の武士の屋敷とか。敷地はあまり大きくはない。
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普賢岳と眉山を右に、海を左に見ながら原城址までドライブ。火砕流で埋め尽くされたところが見事に住宅街になっていた。
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原城址は広大だ。駐車場は遠いので自転車が最適だった。施設は無く単に石垣と草原が残っているだけ。ここで三ヶ月の間戦いがあったわけだ。15歳の天草四郎の墓碑もあった。一部は私有地とかで畑になってた。
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そして口之津。ここは長崎よりも早く16世紀半ばにポルトガルと交易する基地になった。その後も貿易港としてなりたっていたようだ。ここの口之津歴史民俗資料館に行ってみた。小規模な古い建物だが中には過去のこの町で使われていた生活道具、その他が所狭しと展示してあった。町としてこれだけの資料を収集しているのは初めてだ。職員からはこんな小さな町に遠方から来たということで大歓迎された。

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この日の逗留地に向かう途中で素晴らしい棚田を見た。棚田は景観的には素晴らしい。しかし耕作効率という点では限界があるでしょう。日本はこうした斜面の耕作地が多いことは旅行中に嫌と言うほど見せられた。

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この日の風呂は小浜温泉にある脇浜共同温泉。昭和12年からの温泉。昭和の銭湯だ。おばあさんが番台に座っている。いろいろと話ができた。
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この日も良い一日だった。

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