飛騨古川から神岡

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飛騨古川の町並み再訪

早朝、再び飛騨古川の町並み拝見にでかけた。前日に司馬遼太郎の「街道を行く」の中の飛騨路の部分を再読し行きたくなった。確かにああした方は見る所が違うと感じた次第。それを確認しにでかけた。

「蓬莱」の酒蔵の前では一人の男性がしずかに道を掃除していた。それ以外はまだ通行人はいない。静かな街だ。書いてあった飛騨仕様の軒下の組み方、色などを確認。

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ふと掘割りを見ると昨日よりも水がきれいになりそこには鯉が沢山泳いでいるのが見えた。この掘割を背にしている大きなくらはあの「蓬莱」の酒蔵であることが判明。長い間こうして伝統を守り経済的にもしっかりと運営されていることに敬意を表したい。

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宮川落合のバス停は普通だった

例の「君の名は。」に登場するバス停は今日進む方向にあったので昨日は行かなかった。という事で飛騨古川の市街を後にして10Km以上、神通川に寄り添った山間の道をすすむとそこに小さな集落がありバス停があった。聖地らしくそこにはノートが置いてあり訪問者が書き込んでいた。普通のバス停だった。昨日訪れた他の聖地と同様にこの映画の聖地は皆普通だ。

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神岡は味わい深い街だった

飛騨の深いところまで進んだものだ。越中東街道と呼ばれる道をひたすら進むと途中に奥飛騨数河葉公園がある。高原のリゾート地のようだ。スキーシーズンも終わっていまは誰もいない。更に進むと谷間に落ち込んで川をはさんだ狭いところに家が立ち並んでいるのが見えた。神岡の街だ。

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まずは神岡城に行ってみたが最近になって再建された展望台。登らずに高台から街を見下ろしてみた。そして道の駅で「カミオカンデ」の模型を見学。安っぽい解説のパネルが飾ってあったが理解不能だった。完全に知識不足でした。

そして街なかを歩いてみて驚いた。昭和の家並みが並んでいる。しかも各家の間が隙間なく町家風だ。飛騨古川で見た飛騨の作りの家が多いが飛騨古川ほどにはその作りは徹底していない。それでも同じ趣のある家が並んでいる様子は好感が持てた。高山、飛騨古川とそしてここ神岡。この順で家並みが少しづつ庶民的になっている感じがする。神岡鉱山の最盛期には多くの坑夫が住み経済的にも潤っていたはず。その当時の建物が今は昭和レトロとして残っているわけだ。

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ここは4月20、21日に「神岡祭」がある。高山祭、飛騨古川祭とともに飛騨の三大祭だそうだ。

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いい感じの街だ。狭いところに隙間なく家が建ち、肩を寄せ合って生活している感じがする。街の住人お互いの事情をよく知っているのかもしれない。生活しやすいようで息苦しいかもしれない。私は旅人として訪れる程度がいい。

金森宗貞の住居跡

前日読んだ「街道を行く」に登場したこの金森宗貞は江戸時代に鉱山開発で財を成し大名よりも多くの財産を持っていたそうだ。神岡から車で10分ほど北に進んだところにある茂住という集落にその住居跡があった。今の金龍寺が建っている。当時は神通川をはさんで巨大な住居がありは石垣で守られてお城のようだったそうだ。残っている石垣は当時のものとか。

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この隣には東京大学の宇宙線研究所があり例のカミオカンデを使った研究をしているようだ。見学はできない。3階建てのこの集落としては大きな建物。遠くにはアパートのような建物も見られる。研究者が住んでいるのでしょう。若い男性が数人歩いていた。東大の研究者かな。山奥で日夜研究しているわけだ。地道な仕事だ。

ここは神通川が流れている。この川に沿って神岡鉄道が通っていた。鉱山で掘られた鉱物資源を運搬するための鉄道だった。鉱山が閉山することでこの鉄道も2001年に廃線となった。廃線跡にも行ってみた。

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富山県砺波市へ

さらに北に進むと富山市だ。山を降りると次第に都会になり見慣れた住宅街になる。そして砺波市に入った。砺波平野の田園地帯が広がる。米農家だ。

市内の日帰り温泉に車を停めて例によって周辺をランニング。この日は12Km。暖かくなって汗びっしょりになった。風呂に入る価値があるという感じだ。

そして市内にある道の駅で宿泊。

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